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【ネタバレあり】ゴジラ キング・オブ・モンスターズ ストーリー考察

この作品は「怪獣が出てくるシーンの迫力は凄いけど、人間達のドラマ部分はいまいちだね」というのが一般的な評価のようです。

僕も初めは同じ意見だったのですが、確かに核兵器の描写や物語の展開面でご都合主義的な大雑把さこそあるものの改めて考えてみるのストーリー部分も中々のデキではないかと思ったのでその理由を考察を中心に発表していきます。

まずこの作品の登場人物で一番目立っている人物はなんと言ってもエマ博士だと思います。

彼女はテロリストに誘拐されて無理やり従わされているのかと思っていたら物語の中盤になんと実は思想面からしてテロリスト達と共有しているテロリストの仲間だったという衝撃的な事実が判明します。

その事実が解る際に「怪獣は地球を守る抗体であり人類こそが駆除されるべきバクテリアなのだ」といきなり言い出して、夫であるラッセルは勿論、同僚であり思想的にも近いはずの芹沢博士にさえ「イカれてる」とキ○ガイ扱いされるので、まるで彼女が異常者であるかのように見えますが、彼女がそのような極端な思想に至る理由は実は冒頭のシーンから推測できます。

冒頭で彼女はサンフランシスコの悲劇で息子を失っている事が解り、その後に災害被害者達からの「巨大生物の存在を知っていたならば事前に対象する事ができたはずだ」「研究は間違いだった」「そもそも災害が起きたのはモナークのせいだ!」といったモナークに対する批判を険しい顔をしながらTVで見ているシーンが入るのでこの時点では彼女も他の遺族達と同じ様にモナークを恨んでいるのだろうと視聴者が思うようになっているのですが、このさらに後に彼女は実はモナークに所属する科学者である事が判明します。

この事はいわばミスリードになっているわけですが、その一方で立場が違えど彼女も遺族であるという事実に変わりはないわけです。

さらに言えば彼女はモナークという怪獣管理機関の当事者なわけですから余計に「対策はできたのではないか」「研究は間違いだったのではないか」という指摘は共感する内容であると同時につまり「息子が死ぬことになったのは自分のせいなのでは?」と意味で自身に向けた問いかけにもなり大いに自身を責めたはずです。

人は大きな悲劇が起こった場合、何かのせいにする事で自身を正当化して慰めます。

他の災害被害者はモナークのせいにして、モナークの元職員である夫ラッセルはモナークを辞職して家族とも別れゴジラを含む怪獣達を憎む事で自身を正当化しました。 

劇中で彼女が言っている通りラッセルのこの行動は科学者であるエマからすると「逃げ」だと思えました。エマは逃げずに問題と向き合って考え続けました。その結果、怪獣達は地球にとって重要な存在なのだから自身の研究は間違いではなかったのだと、息子の犠牲にも意味が必要性があったのだと必要以上にそう思い込む事で自身を正当化したかったのではないでしょうか。
先程ラッセルが逃げたと言いましたが、彼女もそこに逃げるしかなかったのだと思います。  

そして夫のラッセルは、先述の通り怪獣を憎む事で息子の死への責任から逃避していましたが、やさぐれてる割に人が良くて困っている人をほっておけない彼は妻の様に大局的に物事を考える事ができません。とりあえず眼の前にいる人々を救おうと思いますし、そしてそのためには憎んでいるゴジラに頼るしかないという二律背反的な状況になります。

その過程で怪獣達の超常的な強大さを間近で見ている内に大嫌いだった怪獣であるモスラを美しいと感じ、ゴジラに畏敬の念を抱くようにもなります。
怪獣を人の力の及ぶものではないある意味では天災とも言える超常的な存在だと思う事で、ある意味では芹沢博士の言葉を借りる所の「許す」事で彼は自身の事も赦し憎しみの感情からも開放される事ができました。

怪獣を神聖視するというのは実は妻であるエマと同じなのですが、彼女は一見は現実逃避しているようで心の内にある憎しみの感情を捨てきれず、つまりは自分を許す事ができなかった事から極端な思想になり、やがて悲劇的な最後を迎える事になります。

以上の事から推測するにこの映画には「超常的な存在による受難で悲嘆して我を失うもそれと向き合いそして許す事でついに安息を得る」というどこか宗教的な、怪獣達の激闘にも負けない程に壮大なテーマがあったのではないかと思いました。

これまでのシリーズ程には核廃絶への想いが伝わってこない事や子供の手の届く所にそんな重要な物を置いとくなやとか批判点もありますが、そう考えるとストーリー面も中々悪くないなと。

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