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〘ネタバレ有〙バーニング 劇場版 物語考察

村上春樹の原作小説の再現なのかいろんな解釈のしようがある難解な物語になっている本作ですが、そこで僕なりの解釈をここに記したいと思います。
その前に基本となる物語の主筋(物語の普通の受け取り方)を簡潔に書きます。

幼馴染のヘミと久しぶりに再会したジョンスは彼女からアフリカ旅行中の飼い猫の世話を頼まれて部屋に招かれ彼女と肌を重ねます。
ヘミがアフリカから帰国するのを心待ちにしていたジョンスですが、当然一人だと思っていた彼女が男のベンを連れて戻ってきて困惑します。
そして、何かと「ヘミとベンとジョンス」というジョンスからすれば普通は(ちょwww僕はどういう扱いで呼ばれてるんスかwww)ってなりそうな組み合わせで遊ぶ事が多くなります。
そんなある日、又3人で遊んでいる時にベンから突然「僕にはたまにビニールハウスを燃やすという趣味があるんです」と明かされて怪訝に思うジョンスでしたが、その日を境にヘミと連絡が取れなくなります。
やがて様々な状況証拠から「ビニールハウス」とは「役立たずで目障りな価値のない人間」を指す隠語でヘミは殺人鬼であるベンの趣向のために殺害されたと確信したジョンスはベンに復讐を…という物語でした。

いつものように結論から言うと僕は上記のあらすじは小説家志望であるジョンスが自分の都合の良いように作り上げた妄想がかなり入っていると思います。

次にどうしてそう思ったのかその根拠を順番に書いていきます。

まずジョンスとヘミの関係です。
猫の世話を頼まれた事をきっかけに親しくなる二人ですが、肝心の猫が出てこない事からジョンスはヘミと飲んでいる時に彼女が言っていたパントマイムのコツの「あると思うのではなくない事を忘れろ」という理論から「猫も(あの時のミカンと同じで)空想上の存在なのではないか?」という問いかけをします。
つまりジョンスは「猫は口実で本当は俺とお近付きになりたかっただけなんじゃないのwww」って言いたかったのだと思いますが、ヘミは嘲るような表情で「いない猫の世話を頼んだって事?面白い発想だね」と割りときっぱり否定するのですが、ジョンスは(恥ずかしがり屋さんだなぁ)とでも思ったのか「猫がいないって事を忘れたらいい?」とまだその道筋で話をしようとして呆れた様に笑ったヘミに話題を変えられて話は「昔、私にブスって言ったよね」という話に移るのですが、ジョンスはその事を覚えていません。
この事からジョンスは良いように言えば小説家志望らしく想像力豊かで、悪く言えばかなり自分に都合のよい考え方をする(都合の悪事は忘れる)人間だという事がわかります。
(ちなみにその後も頑なに姿を見せない猫ですが、留守中にウンコが発見された事から実在する事はほぼ確定しています)


そして「本当はどうなの?(可愛いと思ってんじゃないの?)」という展開になってキスをして(ヒューーー♪)身体を重ねるのですが、これは彼女が不思議ちゃんとはいえいくらなんでも急展開過ぎないでしょうか? 
ヘミはその時の事が直接の原因だとは言っていませんが、顔を整形しています。
つまり顔にコンプレックス、あるいは拘りがある人間なのに自分をその事で侮蔑した人間にラブコメじゃあるまいしそんないきなり好感度MAXになるでしょうか?
だから僕は実は性行為自体もなかったのではないか。男子にありがちなそういう展開になったらいいなというただの妄想だったのではないかと思います。
それを裏付ける他の理由としては印象的なシーンとしてジョンスはヘミの部屋に訪れる度に自慰行為をするのですが、初めて入ったガールフレンドの部屋ならまだしも一度性行為をした女性の部屋にそこまで興奮するでしょうか?
そんな長期間の旅行ではないのですから中学生じゃあるまいしわざわざ彼女の部屋に行く度にシコシコしなくても彼女が帰国してからじっくり「本物」を堪能しようと思うのが普通ではないでしょうか?
物語の後半に自慰行為の際の想像(ネタ)の内容も出てくるのですが、それもヘミにしゅ…手コキされるというものでその先を経験しているのだとしたらあまりにも夢がないというか現実的過ぎるもので、その割に手コキは性行為の際には行っていない行為なわけですからやや不自然なシーンになっています。

そして性行為を行っていないのならばヘミが男を連れて帰ってくるという行為も全くエキセントリックではなくなりますよね。
単にシングルの女性が旅先で同郷の人間と会って意気投合しただけの話ですから。

そして、ジョンスはヘミも自分の事が好きだと思っている(思おうとしている)ようですが、その根拠である幼少期の井戸の話ですが、そもそも井戸が実際に存在しているかさえ怪しく、実際、彼女の家の跡地には井戸が見当たらず、話を聞きに行ったヘミの家族も井戸の存在自体を否定しています。
さらにその際にジョンスは井戸の逸話を説明する中で何故か助け出した自分ではなく井戸の中のヘミの視点で話をしだしてヘミの家族から気味悪がられています。
自分の都合の良い様に考えた作り話だから小説的に言うと人称が一人称、つまりは自分の視点になってしまったのではないでしょうか?
唯一、井戸の存在を認めてくれたのは十数年ぶりに現れた母ですが、子供を残して家を出たのにまるでその事を言いに来たかのようなタイミング現れるというのはいくらなんでも都合が良すぎるので彼女が実在するのかさえ疑いますし、仮に実在していたとしても先述のような後ろめたさがあるのだからジョンスが食い気味に質問したら何でも同意してくれるはずです。

そしてジョンスからしたら彼女のヘミとその彼氏っぽい人と自分という謎過ぎる組み合わせのネットワークができます。
勿論ジョンスはその環境を不快に思うわけですが、嫌なら嫌と言えばいいし、ヘミに「ベンとはどんな関係なんだい?」とか「確認だけど俺たち付き合ってるよな?」と一言言ばその関係性の謎は解けるわけです。
でも頑なにその事には触れず、しまいには自宅に帰る彼女をベンに送らせる事さえします。
呼ばれてとはいえ会う時は必ず三人で二人で会おうとしないのも謎です。
ジョンスはベンのようなパリピと違って田舎者の青年なのですから(恐らく性行為に関する含蓄の無さ等から童貞だとも思います。)性行為をしたって事は彼氏と彼女って事だよね。という昭和的な価値観を持っていてもおかしくなく、それならもっと強気に出たはずで、つまり心の中では彼氏と彼女はベンとヘミであって自分は第三者でしかないと解っていたのではないでしょうか?

そして最後に一番の根拠ですが、ジョンスはベンが2ヶ月周期で付き合った女性を殺すシリアルキラーだと思い込みますが、その証拠になるのが上記の様に想像力が豊か過ぎるジョンス自身の言動とベンの発言のみです。

まず前提としてジョンスは何故か、彼女が行方不明になったのは殺されたからだとすぐに確信をするのですが、彼女は先述の通り急にふらっとアフリカに行ったりするタイプですし、その一方で作中何度も「死」という本来ならネガティブな要素に憧れのようなものを示しています。
つまりまた旅行に行ったりはたまた自殺してしまっている可能性も充分あるわけです。(乱雑だった彼女の部屋はまるで最後の身辺整理をしたかのように綺麗に整頓されていました)

でもジョンスはそういった可能性には想像力が豊かな割にはほとんど触れず、彼女は殺されたのだと信じて疑いません。
一応「ふらっと旅行説」に関してはベンから「彼女には金も友達もないからその線はないでしょうね」と否定されるのですが、ベンが本当にシリアルキラーなのだとしたら行方は解らないけど旅行にでも行っているのかな?となっている状況の方が好ましいはずでそれをわざわざ否定する意味が解りません。

次に殺害説の決定的な証拠となる彼女の遺留物でベンからしたら連続殺人のトロフィーであるスマートウォッチですが、ヘミの友達が腕に付けているのがわかるシーンがわざわざ出てきます。
つまりそれが何の意味もないシーンでないとすれば、ジョンスから時計をもらったヘミがダサ過ぎる事から付ける事を嫌がって友達にあげたと考える事が自然で、だとするとその時計をベンが持っているのは不自然どころか物理的におかしい事になります。
そしてそもそも「絶対に捕まらない」とまで豪語しているシリアルキラーがいくら豪胆とはいえトイレといういろんな人が出入りするような場所に鍵も付けずにそんな決定的な証拠を残すでしょうか?

次に猫です。ジョンスはベンがヘミを殺した後に彼女の猫を自宅に持って帰ったのだと考えていましたが、当時、ジョンスが世話を受け持っていた間は警戒心の強さから長期間(二週間だっけ?)に渡って一度も姿を見せなかったのに、ベンの猫はというと彼が初対面であるベンの新彼女がいるリビングにダッシュで現れて脱走し、ジョンスの呼びかけに反応して寄って来さえします。
ヘミの猫とはいくらなんでも性格が違い過ぎます。
さらに言えば飼えなくなった友達から預かったと言ってるだけなのだから本当にそうなのかもしれませんし、ヘミからそう言われて預かった可能性さえあります。
ベンの猫はヘミから奪い取った猫だ。これもジョンスの決めつけなわけです。

最後にミステリアスな男ベンのキャラですが、ジョンス評で言えば「感情のないサイコパスで韓国に多いギャッツビー(暗に財閥を差していると思いますが、金を持っている理由が計り知れない富豪の若者)の遊び人」と、間男である事も相まってよく遊ぶ仲な割にはかなり辛辣な評価を受けています。
感情がないといういかにもシリアルキラー物の小説に出てくるサイコパス設定ですが、ベンは「泣かない」と言っているだけで感情がないとは言っていませんし、彼の飾り気のない性格からしたら仮に親が本当に財閥の御曹司なら「僕が何をしたというわけでもないのですが、親が金持ちでね。HAHAHA!」と笑い飛ばしそうですし、「最近は遊びと仕事の区別がない」という発言からおそらく「好きな事を仕事にしている」あるいは「よく働いてそれ以上によく遊ぶ」といったアメリカンな考えのベンチャー企業等でちゃんと働いてる可能性もかなり高く、つまりジョンスは嫉妬心から彼のことをかなり穿った味方で見てる事が解ります。

それと原作小説の題名でもあり作中の象徴的なセリフでもある「納屋を焼く」が本作では「ビニールハウスを焼く」に変更されていてこれに関しては監督が「今の韓国にはそんな納屋がないから時代背景にあわせて変更した」と言っているそうですが、僕はベンの住んでるカンナム(韓国屈指の高級住宅街)には納屋よりむしろビニールハウスの方が少ねえだろとツッコミをいれざるおえません。
つまりこれは監督のネタバレを避けるための嘘…ミスリードではないかと思うのです。
では何のミスリードか ベンの発想にしてはやや突飛な存在であるビニールハウスですが、田舎者でビニールハウスに囲まれて育ったジョンスの発想だとすると非常にシックリ来ます。
そしてジョンスには炎に対してトラウマに近い感情とその一方で夢に出てくる程に深い情景の思いがあります。
そしてその『ビニールハウス』が作中で指す対象の「やたら数だけが多くて役立たずで汚くて目障り」というのがヘミよりもむしろ余りにもジョンスのコンプレックスと合致しすぎています。ヘミは不思議ちゃんだけど綺麗ですからね。

以上の事からジョンスはベンに関して「どうせ都会の金持ちは田舎の貧乏人に対してこう思ってんだろ」という、繰り返しになりますが、かなり一方的な視点での穿った見方、決めつけで見ている事が解ります。

他にもいくつかありますが、長文になって疲れてきたのでそろそろ話を要約、以上の事柄を踏まえて僕が考えたように物語のあらすじからジョンスの妄想を抜いて本当のあらすじを書くとするとこうなると思います。

「貧富の差が社会問題になっている韓国で貧富で言えば間違いなく貧側の立場であるジョンスはこの年になっても金がないわ彼女はできないわで未来に希望を持てず、もしもの時のために納屋でナイフを集めたり、無言電話の幻聴を聞くほどに心が追い詰められていた。
そんなある日、偶然幼馴染のヘミと再開したジョンスは彼女から旅行に行ってる間の猫の世話を頼まれて部屋を教えられる。
その事で彼女は実は自分に気があるのでは?
これをきっかけにいずれはムフフな展開もあるのでは?
そんな風に考える事で何の希望もないように思われたジョンスの未来に一筋の光が見えた。
ヘミの帰国を心待ちをしていたジョンスだったが彼女はなんと現地で知り合ったという男性のベンと帰ってくる。
ベンは富と自由という自分にはないものを持っていて太刀打ちできないと悟ったジョンスは唯一の希望を打ち砕かれるが、それは自分ではなくベンが悪いのだと逆恨みする。
空気が読めないヘミを心のなかでは自身もバカにしている事を自覚しつつも彼女への想いを断ち切れずに「恋人二人とその友達の自分」という歪な関係を続けていくがストレスは溜まっていく一方で、ある日ついにヘミにキツく当たった事で彼女は行方をくらませる(おそらく部屋を片付けたあと自殺した)
その事への後ろめたさからさらにベンへの逆恨みを募らせたジョンスは
次第に彼女がいなくなったのはベンに殺されたからだという妄想に取り憑かれていきベンを呼び出して殺害。
刃物で刺されて意識を失っていくベンが孤独な自分を理解して哀れんで抱きしめてくれたと最後まで自分に都合の良い受け取り方をした後、母が出ていった時の夜と同じ様に、あるいは想像上のベンがそうであったように超自然上の存在である炎に自身の衣服を焼かせて罪を清めてそして二度と戻らない行く先の解らない旅に出る…
という流れだと思います。

ジョンスに妄想癖がある事の最大のヒントである彼が頑なに書きたい小説のジャンルを明かさない事と最後の最後まで小説を書かない事から物語の中盤以降は全てジョンスの小説でベンは別に人を殺しても死んでもいない説も考えたのですが、それだとベンの最後の「ヘミはどこ?来てないんですか?」というセリフに矛盾が生じるので(小説の中の出来事ならそれこそ作者であるジョンスにとって都合が良いように「や、やめろ そんな事をしてもヘミは帰ってこないぞ!」とか「な、なぜ解った!?」とかの解りやすいセリフになるはず)
『ベンは無実だが、不幸な青年に逆恨みで殺される』という筋書きだと判断してその通りに考察してみました。
たまに言われる『常に都合がいい返答をくれるベンはジョンスのイマジナリーフレンドで実は存在しない説』は確固たる証拠こそ
見つけられませんでしたが、ありえるとは思います。
そういったいろんな捉え方や考え方ができる正にミステリアスな作品でした…

つ、疲れた…


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