広島の謎

赤い看板が多い気がする。

赤い車も多い気がする。

それはそれとして。

福山市はわりと栄えている。

しかし、岡山から西に進んでいくと、福山を越えて広島駅付近に到達するまでの間、県境にありがちな自然の世界がひたすら広がっている。

二号線から降りたら実はそうでもないのかな?

だとしたら今回の話はナシになる。

まあつうか、岡山の二号線沿いはちょっとおかしい。

いつでもやたら混んでいる。

岡山のプロは可能な限り二号線を使わない。

幹線道路なのに普通に両側に店が並んでいる。

あんまり高架でもない。

そりゃ混む。

岡山から東に進んでも西に進んでもスイスイ進む二号線がある。

大まかな移動用道路と買い物したりする日用道路を分けているから。

そういう事で福山〜広島間が何も無いように見えるなら今回の話はナシになる。

一応元々書こうとしていた事を書くと、

県境らしい山山山山山エリアを県境とするなら、岡山県福山市とした方が自然な感じがする。

広島の親岡派(もしくは反広派)が東部に集まって出来たのが福山市なのではないか?

などという妄想をする予定だった。

広岡戦争が起きた場合、福山の動き方で戦況が大きく変わる。

つーか、体感だが福山にはあまりお好み焼きを感じない。

(やはりそうなのか…?そういう事なのか?)

広岡戦争が福山の岡山を利する動きのせいで岡山勝利となった時、福山軍の大佐は英雄となり、新生岡山の王としての資格を主張するのではないか?

岡山軍主力は当然それを面白がらないだろうが、戦後の広島軍残党への対応を考えた場合どうするか。

福山軍の新体制を表向きだけ認めておく。

口では新体制と言えどその内部は一枚岩とはいかず、誰が実権を握るのかなどを掃討戦をやりつつやって、旧福山軍は疲弊する。

旧体制は倉敷以東で福山軍のやってる事を他人事のように傍観しつつ弱るのを待ち、頃合いを見てニュー岡山を奪還すれば良い。

旧福山軍の副山勝大佐は「ここがどこなのかではない、我々がなんとするかである」との言葉を遺し、その生涯を終える事になるのである。

旧体制岡山は福山統治に積極的でないため広島にそのうち取り返される。

取り返されながらもそこには旧福山軍の残党の色合いが残る。

さて、つまりこのほれそのなんだ、

要はこういう(よ う な)事がその昔あって、その結果今の岡広地勢が出来上がったのである。

とっぺんぱらりのぷう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?