「観劇おじさん」という言葉の変遷を考える

1980年代の小劇場ブームが終焉を迎えた後、1990年代に岩松了、宮沢章夫、平田オリザらによるいわゆる「静かな演劇」が現れもてはやされるようになった。演劇界全体を見渡すとこれはそれ以前の「賑やかな演劇」から取って代わったのではなくて演劇の形が多様化したという方が適当な見方で従来のような作風がなくなったというわけではない。「賑やかな演劇」は消滅することはなく今も継続して上演されている。

小劇場ブームの頃は正にブームと言うだけあって、観客が友人や恋人と次の観客を劇場に連れてくることによる波及効果も大きく、それによって観客はどんどん増えていった。しかしそれが下火になって来ると一緒に劇場に行く人を失った観客は一人で劇場に通うようになる。小劇場ブームにも少なからず影響を与えていたバブル景気がはじけたのもちょうどこの頃である。そして熱狂を謳歌した若者であった観客たちも次第に「おじさん」「おばさん」と言われる年齢に差し掛かっていった。観客が一人減り二人減りしている中で上演される作品はしばしのファンタジー体験のような作品からリアルな現実との地続きのような作品が増えて、かつては帰り道に観客同志で吞みに寄って感想を語りあったりすることもあったのが、次第にしみじみと作品を振り返りながら一人で帰り道を行く観客が増えていった。いわゆる演劇おじさんや観劇おじさんと言われる観客の初期形態はこのようなものであったと思う。

2006年に放送されたドラマ「下北サンデーズ」は下北沢を拠点に活動する小劇団の人間模様を赤裸々に描きながらその渦に巻き込まれて行く上戸彩が演じる主人公の姿を描く青春群像劇だった。この中でちょっとしたキーになる存在として、藤井フミヤが演じる「牛乳おじさん」と呼ばれる人物が登場した。彼は年間100本以上の演劇を観続けている演劇通で良い作品を上演した団体には牛乳を差し入れているという設定だった。そしてもう一つ重要なことが、観劇後はすぐに劇場を後にするためほとんどの演劇人が彼と言葉を交わしたことがないし姿も知らないものが大勢いるということだ。ドラマの中ではミステリアスな存在として脚色はされているが、ここに描かれていたのが最初に小劇場界隈の演劇人たちが「観劇おじさん」と名付けていた観客のイメージに近いだろう。このドラマにも終演後のごった返すロビーで挨拶を交わす演劇関係者の姿は描かれているが、この頃は劇団や出演者の関係者ではない観客が終演後のロビーにぐずぐず滞留するようなことは少なかった。

2005年頃にAKB48が「会いに行けるアイドル」として登場してファンと直接交流もしながら活動をする形態で成功をおさめ、アイドル業界ではそのようなプロモーションが数多く行われるようになった。そしてそのような波は小劇場演劇にも影響を及ぼし始めた。有名スターの出ている大劇場の商業作品とは違って小劇場演劇では終演後に出演俳優と直接話ができるような場合もあり、またそれを前面に売りに出して興行する団体も生まれるようになった。売り出し中の新人アイドルが小劇場演劇に出演するような機会も増えて自然とそのファン層が小劇場にも流入するようになった。

そもそもタレントとファンの直接的な交流には様々なリスクの可能性も伴うので、その安全管理は大手事務所に所属するタレントであっても大変困難なものである。ストーカー化したファンに付け回されタレントがあげくには大きな傷を負うような事件もこれまで既に発生している。そんな大事件にはならなくても熱心過ぎるファンの直接的なアプローチに小劇場の俳優が迷惑をするようなケースはしばしば耳にする。一方俳優は人気に支えられて活動をしている側面もあるし、それはチケットの売り上げに影響することも多いのであからさまに蔑ろにもできないというのが彼らの悩みの種である。そこで小劇場で活動する女優から「観劇おじさん」を嫌悪するような声が上がるようになった。これによって「観劇おじさん」という言葉そのものに「いかがわしい人」を意味する場合が生じており、その言葉が出た時にはその意味の判別が必要になり始めた。

本来「おじさん」「おばさん」という言葉は年配者に対して親しみを持って使う呼び方であって蔑称ではない。「観劇おじさん」と言えば「観劇が好きな中年男性」くらいの意味の理解で良いのだろうとは思われる。ただ現代社会において平均寿命が延びて同じ年齢でも従来よりは若く見える人が多くなる中で「おじさん」「おばさん」と呼ばれたくないという人は増えており、そういう人のことを考えれば親戚などの場合を除いて積極的に使う必要はないのかもしれない。

呼ばれる方も気にしなければそのまま呼ばれていても良いのかと言うと、それでは明らかに若い女性から拒絶のサインを受けているのにそれを気にせず近づき続けるという状況を更に悪くする場合があり、いずれにせよ残念ながらそう呼ばれたら自分の振る舞いと相手の真意を一度確認する必要はあるのかもしれない。

これが私の知るところの「観劇おじさん」という言葉の変遷である。この言葉の持つ意味が善なのか悪なのか、私からこの言葉の使用について提言するつもりはないが、このような流れをご承知いただいた上で賢明なる皆様それぞれにご判断を委ねたいと思う。


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