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現代社会においてヒポクラテスの誓いは医師だけに必要なものなのか

今日の話は舞台からは少し離れます。
でもむしろすべての人に知って欲しいことでもあります。
そして決して舞台からそんなに遠い話でもありません。

医学・薬学を学ぶ時には必ず最初に「ヒポクラテスの誓い」というものを習います。
医療を司る者の倫理やその任務についての宣誓文で、紀元前古代ギリシャでヒポクラテスらによって書かれたとされている文書です。

これは医学教育には500年以上前から採り入れられているそうです。
医療の技術は日進月歩で次々に新しいものが生まれているわけですが、それでも変わることなく教科書の最初には一貫してこれが記載されています。

感染症の診療に従事することを目指す人も、薬物やアルコールに依存する人を助けようと思う人も、心の痛みに耐えかねて自殺しようとする人を救おうとする人も、みんな先ずこれを学んでいるのです。

確かに社会の変化や医療の進歩により現代ではコントラバーシャルになっているところはいくつかありますが、読めばおおよそ「今更そんなことを言われなくてもまぁそうだよな」ということが書かれています。
少なくとも医療を担おうと思う人が読めば、「あぁ、昔の偉い人はこういう風に考えたんだな」とは思えるであろう内容です。

なので分かったつもりでいると、テストでは結構細かい言い回しが問われたりして意外とここで点数を落とした経験もあります。
世の中にはこのような当たり前のようできちんと理解されていないことが結構たくさんあるように思います。

そのような当たり前で大切なことが書かれている文章なのですが、昨今の社会状況を視ていて、医療について学ぶとき最初にこれを確認することの重要性をあらためて感じるようになりました。

現代では医学薬学に関する知識の多くが専門職の人だけでなく、広く一般にも開示されるようになっていてそれはとても良いことだと思います。
人には知る権利もあるわけですし、このような知識を特別階級の人だけのものにはしてはいけないと考えます。

例えば、新型コロナウイルスの流行に対応するには新型コロナウイルスに関する情報を知ることが重要なわけで、これが広く社会に知らされる必要があることは疑いもないでしょう。
まだまだ不明なことも多い新型コロナウイルスについては明確になっていることだけでなくその可能性についても様々な情報発信がされています。
それは個人にとって自分の取るべき行動を判断する際にそれはとても有用ですし、これから様々な場面に遭遇することを想定しても事前に知っておけることは貴重なことです。

しかし、もしその知識を駆使して他人の症状やそれに関する社会の動きに対して意見を発するのであれば、医療に従事する人でなくてもやはり上辺の情報だけでなく医療の基礎についても知っておく必要があるのだろうと思います。
この上辺の情報から発せられた声が今しばしば他人を傷つけ社会を混乱させているように思うのです。

さてやっと本題ですが、ヒポクラテスの誓いにはこのような一文があります。

「医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。」

医療従事者であれば、医療についての質問を受けた時には少なくともこれを認識したうえで回答していると思います。
(その上で失敗していることもあるかもしれませんが。)

しかし現在マスコミやメディアから流れてくる声からは到底そんなことを意識しているとは思えない意見が聞こえてきます。
そしてそれはSNSによって更に増幅されながら拡散され続けています。

多くの疾患について診断基準もガイドライン化されている昨今では、その症状を知れば診断の見立てくらいまでなら素人にもある程度は出来てしまうこともあるのは事実です。
ただそういう行為はそもそも医学の最初のところで禁じられているのです。

この社会状況に対して口を閉ざせとは決して言いません。
様々な人が知恵を絞り意見を発することは重要だと思っています。
ただ、医学知識に簡単に手の届く現代社会において、それを識り扱うのであれば医療従事者でなくてもヒポクラテスの誓いは理解したうえで行動した方がよいのではないかと思うのです。

そうすれば、うっかり他人を傷つけたり、社会に対して影響力のある人やメディアが混乱を発生させるようなことはもっと少なくなるでしょう。
また他人の話に耳を傾ける時にも、信じてはいけない情報にもっと早く的確に気付けるようにもなると思います。

もちろんメディアに出てきてインフルエンサーとなるような人であればヒポクラテスの誓いくらいは知っていると言う人もいるかもしれません。
しかし、先ほども書いた通り、分かっているつもりでもつい忘れがちなのがこの宣誓でもあります。

ちなみに中山七里さんの小説に同名の作品があり映画化もされているのでそれで知ってるよと言う方もいるかもしれませんが、それだとちょっと情報が足りないかもしれません。

今ちょうど私たちはまだ平仮名を全部覚えていないのに自分の名前だけは漢字で書けるようになった子どものような存在になっているのかもしれません。
新型コロナウイルスの感染拡大については依然先行き不透明な状況が続いていますが、何だかよくわからないものが巷に拡がっているという状況は脱していると考えています。
この半年くらいの間に一気に詰め込んだ情報を少し体系的に整理してみても良い時期なのではないかと思います。
学びとはいつもそうなのだろうと思うのですが、知識を頭に入れることだけではなく、それを適切なタイミングで適切に使いこなせてこそ学びだと思うのです。

新規感染症の流布は感染症の専門家にとってももちろん恐ろしいことですが、この微生物と人類のいたちごっこは今に始まったことではなく、そしておそらくこれからも延々と続いていくことして覚悟していることでもあります。
感染症自体は人類を滅ぼすようなことはなく必ず最後には収まります。
むしろ本当に恐ろしいのは、そのいたちごっこの過程において感染症以外での社会不安や社会混乱が増大することの方なのです。

そして感染症の大型流行はこの社会へ及ぼす影響も大型化させると言えるでしょう。
その例についてはあらためて挙げるまでもなく皆さんにも指折り数えるくらいにはすぐ浮かぶだろうと思います。

もしこれを読んでくださったみなさんがこういうことに気づき、そして周りの誰かに少しずつでも伝えてくれたなら、こんな状況下であったとしても社会はもう少しましなものになるような気がしています。

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