3月に「オリンピック選手村を首都圏の新型コロナウイルス軽症無症状患者収容施設として開放せよ」と言っていたわけを説明します。

3月にTwitterから何度か「オリンピック選手村を首都圏の新型コロナウイルス軽症無症状患者収容施設として開放せよ」という発信をしました。賛同する声もいただけた他方で、何を狂ったことを言っているのかというように感じられた人もおられたようです。10ヶ月ほどの時間が流れて今、日本中がある程度の感染症の知識をつけた状況と、まさに医療体制が崩壊しようとしている状況の中で、あの時どうしてそういうことを言ったのかを少し振り返りたいと思います。

まず逆にオリンピック選手村を患者収容施設として使おうとする考えが狂っていると言われた理由を考えてみます。そもそもオリンピック選手村は東京都中央区晴海にあるわけですが、これをオリンピック以外のことで使用することは制度的に容易ではありません。総理大臣や都知事が勝手にOKを出せるものではありませんし、IOCの会長や組織委員会の会長がどうぞ使ってくださいと提案しないのもその立場を考えれば当然です。そういう意味ではやはりそもそも難しい提案であることは否定できません。

そしてそこには潜在的にもしくは顕在的に世界のトップアスリートを迎えるために造った施設で先に感染症患者を受け入れるわけにはいかないというその場所を聖域とする考え方もあるのだと思います。今の状況下でその感情を理解できる人もできない人もいるとは思いますが、結論としてはこの感染症を治めないことにはオリンピックは開催できないわけで、実際に開催されないオリンピックの選手村は無用の長物となってしまっており(オリンピック開催後の活用方法については後述します)、そこにはロマンチックな感情の入り込む隙はありません。それは今オリンピックが延期になってもそこにある建物が寂しげに物語っています。

また科学的な見地からも一旦患者収容施設として使用することでその後利用するアスリートは安全にそこを使用できるのかという心配をされる方もおられると思います。それについてはウイルスはそれ自体で毒物ではないので適切な清掃と消毒によって除去することが可能です。それは現在浸透している清掃や消毒についての知識を踏まえればもう誰にでもご理解頂けることだと思います。そして結果的に日本中どこで新型コロナウイルスに接触するか分からなくなってしまった現在においては最早その建物を使わずに置いておけば安全という保障もなくなっているわけです。

そしてこの建物のオリンピック開催後の利用についてですが、一般に販売されて継続使用されることが決まっています。そこへの影響はないのかという意見もあると思います。それについては患者収容施設として使用した後のオリンピック選手村としての使用同様に、十分な清掃と消毒をすれば安全面での大きな問題はありません。もちろん販売時の契約とは異なる使用をすることで補償などの追加のコストは必要になるでしょう。しかし現実的にはオリンピックの延期によって引き渡し時期の変更などに別のコストのかかることも決まっているわけです。またそんなこと以上にこれまでにこの国が支払っている代償と比較すればそれはどんなに安上がりなことでしょうか。

こうして考えればそれは大変なことではありますが絶対にできなかったことではなくて、そこまでする必要はないだろうという楽観的な考えとそもそもそんなこと無理だろうという消極的な考えが相まってそのような動きは起こらなかったのだろうと思います。

では続いてどうしてそうすることが得策だったのかを説明します。ご承知の通り、この感染症にはいまだ特効薬的治療薬がありません。そして医薬品の開発サイクルについての知識があればどんなに急いでもそのようなものがすぐに手に入ることのないことは明白です。ニュースで取りだたされた治療薬の開発情報に一喜一憂する方々の気持ちもよく分かるのですが、流れていたのは残念ながらあり得ないと判断できる情報ばかりでした。万一無理をして早期に使用したりすると、過去にはそれがその後の社会に別の大きな問題を招いた記憶も少なくはありません。

ワクチンもまたしかりです。海外でやっと臨床使用が始まりましたが、日本国内は未承認ですし、まだ大規模な使用における有効性や安全性のデータも十分には備わっていません。またワクチンによる抗体の獲得には一定の時間がかかるものですし、その持続についてもまだまだ未知のことが多いという状況です。

それからちょっと考察しなければいけないのがPCR検査についてです。当初十分な検査体制が整わないことに対して社会的ヒステリーのような状況が見受けられました。今も同じような気持ちの人もおられると思います。しかし、春のいわゆる第一波の頃と比較すると飛躍的に検査体制は整ってきましたし検査件数も増加しています。それなのに患者数は日々増加しています。これは検査数を増やすことが患者数の増加を抑えないというエビデンスです。

ではどうしてPCR検査の件数が増えても患者数は増え続けるのか。答えは簡単です。PCR検査は検査であって治療薬でもワクチンでもないからです。診断のための検査と予防のためのワクチンと治療のための薬剤、これらが全く役割も用途も違うものであることは医療関係者でなくても簡単にわかることのはずですが、何も打ち手の無い状況の中で唯一頼れそうなこの検査に対して過剰な期待がかけられてきました。念のために書いておきますが、ある定点で一斉に全人口に対してPCR検査を実施すれば、ある程度の効果を得ることはできるかもしれませんが、これは対応能力的にも国民に対する拘束力的にも不可能です。

結果として、診断はされても増えることの止まない患者さんのうち軽症または無症状の患者さんは自宅療養を選択していることが多いようです。繰り返し言ってきましたが、ここが今の感染拡大抑制対策のボトルネックです。感染拡大を抑えるためには患者さんを見つけること以上に、見つけた患者さんで感染拡大をとどめることの方が重要なのです。

フィールドワークの中で報道には乗らないような色々な町や村の声を聞いてきました。まず自宅療養すると家族のいる人はどうしても家庭内感染を起こしてしまいます。診断確定後帰宅する際には生活への指導はありますが、家庭内で人と人が近づくことによってどうしても感染率は上がっていきます。これはどんなに厳しく言っても、すべての患者さんでそれを完全に順守することは不可能です。

また自宅療養というのは自宅での生活を継続するということで、しばしば患者さんが近所のスーパーやコンビニ、時には飲食店へと外出しているケースを耳にしています。これを書いている途中にも自宅療養患者が公共交通機関を使用して長距離を移動したというニュースも聞こえてきました。多くの人があり得ないだろうと思うようなことが実際にはたくさん起こっています。患者さんの個人情報は守られるべきですし、もちろん差別もあってはいけません。しかし、折角見つけた患者さんを自宅療養と称して自宅へ帰らせていてはやはりすべての人の行動を抑えることは不可能です。このような状況ではいくら検査を増やして感染者を見つけ出していてもきりがないのです。

そこであらためて言います。治療の確立していない感染症の鎮静において最も重要なのは厳格な隔離です。これは感染症診療のセオリー中のセオリーです。決してやみくもに検査数を増やすことではありません。見つけた患者さんからの次の感染を防いで確実にその安静を担保することです。

そのために必要なのが大規模な療養施設です。患者さんんを一か所にまとめることのメリットは、先ず第一に重症患者を確実に病院に回せるようになること、その他に看護スタッフを効率よく配置できることや施設内での感染リスクを抑制できることなど色々あります。

それからその場所はどうしてもオリンピック選手村である必要があったわけではありません。それくらいの規模の施設があれば他でも良いわけですが、首都圏ではサイズ感的にもその段階では特に適した施設であると感じられました。そしてこれが国のものでもなければ都のものでもないことはかえって好都合で、そこをセンター化すれば千葉・埼玉・神奈川など近隣県の軽症・無症状患者を受け入れることができたのです。

実はこれは初期には少し上手く行きかけていました。自治体で療養施設としてホテルを借り上げて軽症・無症状の患者さんをどんどん収容する方法は一応の成果をあげました。それはある意味導き出されたエビデンスですので本来であればその路線で更に精度をあげた体制を構築すればよかったのです。けれども実際は十分な鎮静を見ることなくその手を緩めてしまい、その結果が今の惨状です。

これも繰り返し言ってきたことですが、ウイルスに自治体の境は関係ありません。地域状況を踏まえた自治体ごとの対策が必要であると同時に自治体を越えた対策も必要なわけです。しかしそんな検討をするべき時に、各自治体はこの患者さんは東京由来だとか埼玉由来だという不毛な舌戦をしていたわけです。

3月にすべての人にこのことを理解してもらおうとしても無理だったことは承知しています。けれども感染症の専門家であれば当然それくらいのことは分かっていたでしょうし、それに近いような提案はきっとあったはずだと思います。それなのにそういった意見を抑え込んでここまで来てしまった結果がこの有様です。現状においてそれは単なる感染症ということではなくて人災としての側面があることが今であればこうして説明することでどなたにでもご理解頂けると思います。

これも継続して議論のある所ですが、この感染症は指定感染症の2類相当として位置づけられています。それはその感染力も予後の悪さも不明のウイルスに対して確実に抑えこむための対応で、それ自体は感染症臨床の基本的な考え方と合致しています。これによって提案したような対策を実施することも可能だったわけでそもそもはそのためのものであったのだと思われます。しかしもうお分かりの通り、実際の対策ではこうして位置づけすることによってできる運用を誤ったわけです。

残念ながらこれを説明してすべての患者さんが救われるわけでもありませんし、すべての方が感染から免れることのできるわけでもありません。ただ、今ならばわかっていただけるのではないかと思ってこれを書きました。そして現在の感染拡大抑制対策に対する疑問について少しでも晴らすことができて、これを読んでいただいた方が少しでも安全に過ごせるようになればと願っています。

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