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【プロ野球】 『生え抜き史上最高の助っ人投手』スコット・マシソン投手へ感謝を込めて

拝啓 スコット・マシソン様

冬が近づき、風のある日は寒気が身にしむようになりましたが、いかがお過ごしでしょうか。


あなたが巨人の一員でいてくれた8年間、自身のピッチングはもちろん、人間性の面でもずっとチームを引っ張ってくれていました。外国人選手の枠を超えて、1人の野球人としてとても尊敬できる方でした。

……そんなあなたへの感謝の言葉を伝えられるのが、こんな遅くになってしまい、本当にごめんなさい。でも、今伝えないと、ずっと伝えられないままになってしまう。誰よりも優しく、誰よりもたくましいあなたにそんな真似はしたくない。そう思って、今回の文章を書かせていただきました。見苦しいかもしれませんが、最後まで付き合っていただければ幸いです。


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僕があなたを初めて知ったのは、2012年の春季キャンプでした。

今でも忘れない、2012の春季キャンプでの紅白戦。あなたが初めて新聞の紙面に載った、加治前竜一選手への頭部死球。正直に言うと、僕はこの時に「ああ……また自前のハズレ外人か……」と思ってしまいました。いまから思うと、バカみたいな話ですよね。まだシーズンが始まってもいないのに、……あなたの”真価”をまだ知らなかったのに、たった1日の結果だけで烙印を押そうとしていたのですから。

あなたの”真価”は、ここからだったのかなと思います。

開幕2軍スタートだったけど、豊田清投手コーチ(当時)からフォームの矯正を命じられたときに、すぐに応じる素直さ。すぐに修正してみせる順応性。テレビで試合を見た時のあなたが、キャンプの時のマシソン投手とは別人かのようにストライクを入れているのを見たとき、春先の「ハズレ外人」扱いを激しく後悔したのを思い出しました。あなたはもう、”中継ぎの柱”になっていたのですから。

それからのあなたは、まさに獅子奮迅の活躍ぶりでした。2012年から2014年の3連覇に、最も貢献した選手の一人だったのではないでしょうか。中継ぎエースの山口鉄也さん、西村健太朗さんと一緒に「スコット鉄太朗」と呼ばれていたのもつい最近のように思えてしまいます。それほど、あなたたち3人は、僕たち巨人ファンに幸せな時間をくれました。この3年間は、今から考えると夢のような時間でした。


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2015年に優勝を逃すと、そこからの4年間は、巨人ファンにとってあまりに長く辛い時間でした。「常勝」を義務付けられた球団なのに、どれほど補強しても勝利につながらない。それどころか、毎年当たり前のように不祥事が起き、球団がバッシングにあった。試合を見るのが辛くなって巨人ファンをやめたいと思ったことなんて、一度や二度じゃありませんでした。

…………でも、そんな状況の中でも毎年必死に投げ続け、チームを支えてくれたあなたには、ただただ感謝しかありません。シーズン途中の配置転換、回跨ぎ、連投……。1年で潰れる投手も多い「中継ぎ」という過酷な状況下で、チームが困ったときには必ずあなたがいた。しかも、どんな場面で出てきても当たり前のように結果を残してくれた。そんな姿を見た僕の周りの野球ファンは、みなマシソンが好きと言っていたのを覚えています。

2017年に、複数球団との争奪戦の上、新たに2年契約を結んだときのことも覚えています。あなたが残留したあと「残りの2年が、プロとして最後のキャリアになるはずだ」と言ったことは忘れません。こんなにも巨人のことを思ってくれている、巨人に骨を埋める覚悟をしている外国人選手なんて、僕の中では記憶にありませんでしたから。


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僕があなたに感謝を伝えたい、伝えたいほど愛していた選手である理由は、プレイだけではありません。あなたほど、チームの鑑となる外国人選手は、今まで見たことがなかった。あなたほど、チームメイトのことを愛していた心優しい外国人選手は、今まで見たことがなかった。プレイも最高なら、人間性も最高だった。真の意味で「最高の外国人選手」と思えました。

巨人に来てから、あなたを見た投手仲間・コーチは、みな口を揃えて「マシソンは練習熱心で真面目」「一生懸命に練習をしている」「積極的にコミュニケーションをとってくれる」と言っていました。そんな選手、日本人選手でも数多くはないでしょう。あなたがジャイアンツにいてくれて幸せなのは、僕らファンだけでなくチームメイト全員がそうでした。

また、あなた自身もチームメイトを愛していた姿を、僕はたくさん知っています。同期入団のジョン・ボウカー選手とあなたはずっと仲良しでしたし、チームが離れても2人楽しげな写真をたくさん載せてくれました。戸根千明選手が自主トレを志願してきた時には、あなたと戸根さんで楽しそうにハンティングをしていましたよね。しかも、わざわざ自分の家で戸根さんを泊めながら自主トレをしていたのを思い出しました。ヤングマン投手が来日した時も、真っ先に写真付きツイートで紹介していました。

そんなあなたが2018年に投手キャプテン就任という話を聞いた時、僕が真っ先に思ったことは「マシソンさんで良かった」。そう思えるくらい、あなたは誰からも愛される、最高の投手でした。


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2019年のシーズン前、あなたの「感染症のため闘病中」というニュースを聞いた僕は、驚きで体が震えていました。

なぜなら、9年前の、同じように「誰からも愛され」「みんなを愛し」「チームに誰よりも貢献した」人の病気と早すぎるお別れが脳裏によぎってしまったからです。とてつもなくいい人に限って、早くにお別れが来てしまう。まるで、当たり前に彼がいることの大切さを痛感させるために、神様が与えたいたずらかのように。もうそんな悲劇は見たくありませんでした。


絶対に戻ってきてくれ………マシソンさん…………。


僕のちっぽけな声が届いたのかはわかりません。でも、あなたは病魔とケガに打ち勝ち、グラウンドに戻ってきてくれた。そして、病気だったことを忘れさせるかのように腕を振り続ける姿を見て、あなたの真の強さに涙が出そうなくらい感動させられました。


9月27日のDeNA戦。阿部慎之助選手の引退試合です。この日4番キャッチャーで先発の慎之助さんは、先発マスクにマシソンさんを指名して、こんなことを言ってくれていました。

『たくさん受けたいなと思う人はいるんですけど……現時点でのチームメートなら、日本にも長くいるマシソンかなぁ。いろんな思い入れがあるので』
『たくさん優勝しましたし、僕の首に激痛が走ったときも(投手は)マシソンでした。マシソンの剛速球を(打者が)ファウルチップしたのを食らって、そういう(捕手を離れる)運命になったので……』

巨人史上…いや、日本史上でも屈指の捕手であった慎之助さんにそこまでの思い入れを抱かせるほど、あなたは素晴らしい選手でした。試合後のInstagramでも、心から幸せそうな表情を見せていたのを覚えています。


2019年、読売ジャイアンツは5年ぶりの優勝を果たしました。マシソンさん自身はあまり投げられなかったかもしれないけど、みんながあなたの復帰を待ち望んでくれたし、そんな年に優勝できるということは、神様までもあなたの復帰を待ち望んでいた。そして、復帰したあなたに最高のご褒美を与えてくれたように思えるのです。


2019年のシーズンを最後に、あなたがジャイアンツを離れることになると聞きました。その理由が「自分のプレーが出来なくなった」「カナダ代表として五輪に出て引退したい」「膝がもう限界」と知った時、また僕は涙が出てきました。だって、今まで”身を粉にするかのごとく”チームのために投げ続けていたあなたの体は、本当に粉になってしまったような状態だったのだから。また、体が限界でありながら、母国のオリンピック出場のために最後の力を振り絞って投げ続けようとしているのだから。

なにより、それほど大変な状況でも、つらさを一切表に出さずに明るく優しく頼もしい『助っ人投手』スコット・マシソンでいてくれたのだから。


あなたが僕たちに与えてくれた最高の8年間を、僕らは絶対に忘れません。

本当に、本当にありがとう。

間違いなく、巨人の生え抜き投手では最高のピッチャーでした。僕はそう断言できます。


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………僕からあなたへ、最後にひとつだけわがままを言わせてください。

もしまだボールが投げられるのなら、2020年の東京オリンピックのマウンドに立っていてほしいのです。

その瞬間が見れたら、今までのすべての思いを噛みしめながら、あなたの最後の雄姿を見届けたいです。


本当に、本当にありがとう。

最高の外国人選手でした。ずっと尊敬できる、最高の人間です。

敬具

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