見出し画像

別名「コーラ小林」。 伊良コーラ物語 第3話 IYOSHI COLA STORY

2018年7月28日、伊良コーラの移動販売車「カワセミ号」は初めて青山ファーマーズマーケットに出店した。

初出店までの記事はこちら。

第3話はその後のお話し。時期で言うと2018年の8月〜11月までの話。

カワセミ号での初出店を終えて、コーラ小林はくたくたになって祐天寺の一人暮らしのアパートに帰ってきた。

ところで皆さん大事なことを忘れていないだろうか。

「コーラ小林」はまだ広告代理店の会社員である。
四年目の下っ端営業である。
本当は「サラリーマン小林」だ。

翌日の月曜日からは会社に出社する必要があるのだ。

翌朝、激疲れの中、普段通り祐天寺駅から東横線に乗り、隣の中目黒駅で日比谷線に乗り換え、神谷町駅で降りて、歩いて7分ほどで会社に出社する。

当時は外資系メーカーをお客さんとして担当する、広告の営業を行なっていた。

入社してからのコーラ小林のキャリアを軽く振り返ってみよう。

農学部の大学院を卒業したコーラ小林はADKという広告代理店へ入社した。新人として配属された部署はプロジェクト開発本部といって、農林水産省や経済産業省をクライアントとして、様々な政府広報を担当する営業の部署であった(今思い返してもプロジェクト開発本部というネーミングは非常に謎である)。

この部署では海外向けの日本食の広報イベントを運営したり、子供向けに太陽光発電を啓蒙する人形劇を全国のイオンを回って行うなどなかなかレアな経験を積ませてもらった。その部署で二年半ほど働いた後、万博チームへと配属された。万博チームでは2017年にカザフスタンで開催された「アスタナ万博」という万博を担当し、2ヶ月ほどカザフスタンに滞在しては日本にちょっと帰ってくる、を繰り返すような動きをしていた。万博が終わった後はスポーツイベントを担当するチームに配属された。そのチームでは「FISE HIROSHIMA」というエクストリームスポーツのイベントを担当した。そして、4年目のジョブローテーションにて今までの部署から外資系メーカーを担当する営業部へと配置されたのである。

なお、ジョブローテーションが4年目の夏であったのだが、このジョブローテーションによって、どっちの部署にも所属しているような、所属していないような曖昧な期間が生まれ、一気にカワセミ号の準備を進めることができたのである。

※とはいえ、伊良コーラを始める際に「本業である広告代理店でのパフォーマンスを伊良コーラの活動によって落とすことはしないようにしよう」と決めていた。むしろ「より頑張ることでさらなるパフォーマンスを発揮する」ということを自分の中のルールとして設定した。

また、広告代理店で働き続けながら伊良コーラを行うことで、相乗効果が生まれるのでは、とも思っていて、ADKを辞めるということは全く考えていなかった。

「サラリーマン小林」のキャリア

本題に戻ろう。

そんな感じで、2018年の夏より、平日は広告代理店の下っ端営業「サラリーマン小林」として、土日は「コーラ小林」として活動をしていた。

先程、パフォーマンスを落とすことはしない、ということをマイルールとして設定したとカッコつけたが、月曜の朝はゲロ疲れていた。

念のため、土日のカワセミ号出店の流れを再度復習だ。

土曜の夜6時半に起き、カワセミ号をちょっと離れた駐車場まで自転車で取りに行き、アパートの3階の部屋からガスボンベや巨大なバッテリーなど諸々をカワセミ号に積み込む。そのままFMマーケットに行き、10時の開店直前にオーバルビル一階のファミリーマートで買ったおにぎりをお茶で流し込む。そこから怒涛のコーラ売り。特に炭酸水を作るために20キロのタンクを降り続けるのはきつかった。17時に営業が終わると、疲れで食欲もなく、荷物を積み込んで祐天寺へ帰る。
×2日の繰り返し。

「月曜の朝が最も疲れていて、金曜夜に向かって段々と元気になっていく」という、サラリーマンの物理法則をまるっきり無視した生活である。

こんな感じで平日はサラリーマンをしながら、土日は青山ファーマーズマーケットを中心としながら、代官山蔦屋書店の朝市や勝どきの太陽のマルシェや大宮のコクーンシティのイベントに出店させてもらったりと色々活動をしていた。

代官山蔦屋書店の朝市にて
青山ファーマーズマーケットにて

ちなみに、コクーンシティでのイベントは設営の都合上、金曜の夕方にカワセミ号を会場に入れる必要があったのだが、本業で午前中にどうしても出なければいけない会議があった。

そのため、カワセミ号で会社のある虎ノ門ヒルズに行き、地下駐車場に停め(4000円とかでめちゃくちゃ高かった)、午後休でそのまま霞ヶ関から高速に乗って大宮へ向かった。

大宮からの帰りは高速の風圧でカワセミ号の全てのドアが開き、死にそうになって緊急で路肩に避難してなんとかやり過ごしたしたのはまた別の話。

また、電通関西の方から声をかけてもらい、「関西万博誘致のイベントを国連大学の敷地で行うので出てほしい」と依頼を受けて出店したこともあった。
だが当日は急にゲリラ豪雨に襲われ、すぐにカワセミ号の跳ね上げを閉じ、一人カワセミ号の荷台の中で雨が上がるのを耐え忍んでいた。
150人分の準備をしていたものの、その日は結局3杯しか売れなかった。

なお、毎週土日はカワセミ号で何かしらの営業を行なっており、休憩なしで営業し続けるのはきついと思い、indeedで求人広告を出したが、なかなか人は集まらず、一人で営業をこなす日々が続いた。

8月の半ばには伊良コーラのイメージ写真となる写真も撮影した。この時撮影した写真は伊良コーラの原点でもあり今でもキービジュアルとして使っている。
ちなみに写真は伊良コーラのデザイナーのMBDの山本さんと大谷さんに撮ってもらった。大谷さんはイラストレーターでありながら写真も上手いという多才な方だ。

写真を撮る山本さんと大谷さん。
大谷さん

8月末のある日には、急にインスタにDMが来て驚いたことがあった。
送り主を見ると「自家製コーラともコーラ」と書いてある。
「ともコーラ」さんは現在でもクラフトコーラの先駆けとして活躍しているメーカーさんなのだが、同じような時期にコーラを作っている人が現れたことにはとても不思議な感覚を抱いた。

一方で、よく伊良コーラは「コーラ小林が広告代理店出身だからかPRがうまい、広報がうまい」と言われることがあるのだが、特別なことは何もしていない。

広告代理店時代のキャリアを見ていただければよく分かると思うのだが、コーラ小林はPRや広報というよりはイベント屋であった。

なので、広報としてやったことといえば「伊良コーラが誕生しました!」という記事を発信したことだけである。
だが、ありがたいことに今までクラフトコーラという存在が世界に無かったからか、いろいろなメディアに注目してもらったのは事実だ。

その中でも9月の頭にTABI LABOさんから連絡を頂き、伊良コーラの動画を撮らせて欲しい、と言われた時はめちゃくちゃびっくりしたし、嬉しかった。

ドキドキしながら、池尻大橋のお洒落なオフィスに行った。朝の246の通勤ラッシュに巻き込まれ、バスを降りてからもうダッシュで汗だくになりながらコーラを握りしめてオフィスを訪問した。

ディレクターの石井さんと打ち合わせをし、すぐに撮影することになった。撮影自体は10月ごろに行った。ヤシの雰囲気が良い道を探したところ、横須賀の道路が雰囲気が良さげで、そこで撮影を行った。
例の如く、カワセミ号で高速で横須賀まで行くのはかなり応えた。

撮影し終えて駐車場での1コマ

この時撮影した動画は11月に公開された。
友人から「たまたまYoutubeを見ていて、コーラを作っている面白い人がいるなーと思って見ていたら、急にこれ、知り合いの小林だった!と驚いた!」と言われることが増えた。

ラジオに呼ばれることも少しずつ増えていった。
スケジュールの関係上、会社に衣装を持っていき、早上がりして衣装に着替えて、ラジオのスタジオに行くことも。

2018年10月3日、THE GUY PERRYMAN SHOWの収録でInter FMへ。
2018年11月30日、ジョンカビラさんのTHE HIDDEN STORYでJ waveへ。

そんな日々を過ごしていたが、相変わらず本業はサラリーマンとして、土日は伊良コーラ活動をしていくという方針は変わらず、趣味の延長として伊良コーラを行っていたような温度感だった。

というのも、土日のフードトラックカワセミ号の売上だけではまだまだ生計が立たない状態だったからだ。

そんな中、大きな転機につながることが2つ起きる。

1つ目はロンハーマンさんとの出会いだ。
夏頃に、クリエイターの「佐藤夏生」さんに伊良コーラのことを話しに行く機会があった(そもそも佐藤夏生さんと出会ったのは私の母が通うスポーツジム仲間の方が佐藤さんとお知り合いで、ご紹介いただいた、という経緯だ)。
クリエイティブ業界のトップクリエイターである佐藤さんにさまざまなアドバイスをいただき、その日は一旦終わった。

後日、佐藤さんから「伊良コーラを紹介したい方がいる」とご紹介いただいたのが、ロンハーマン代表の三根さんだった。

千駄ヶ谷にあるロンハーマンの前で佐藤さんと待ち合わせをする。
あらかじめ持参していたいつもの衣装に着替え、佐藤さんと一緒に店舗の奥にある部屋へ入る。部屋にいたのは三根さんとロンハーマン飲食事業部のマネージャーである土田さんだ。

そこで実際に伊良コーラを飲んでいただいたところ、「非常に美味しい!」と喜んでいただき、11月末のレディース展示会でのケータリングとしての提供と、12月1日、以降のロンハーマンカフェ(千駄ヶ谷店と六本木店)での卸としての取扱いただけることになった(ちなみに、伊良コーラは漢方由来のクラフトコーラということもあり、疲れているととても美味しく感じる気がするのだが、もしかすると多忙な毎日で非常にお疲れであったのだろうか)。

今まではカワセミ号でお客さんに直接コーラを提供していたが、自分が作ったコーラが間接的に卸先の店舗からお客さんに届くのは不思議な感じがしたし、同時に自分の商品を取り扱ってもらえるのがとても嬉しかった。

また、もしコーラを作っていなかったら人生の中で出会えたり話す機会もないような方々と出会えたことにもコーラに対する感謝の気持ちを抱いた。

2つ目はアップリンクさんとの出会いだ。
ある日、いつも通りカワセミ号で青山ファーマーズマーケットに出店していた時のこと。
突然、「このコーラは卸はやっていますか?」と40代くらいの背の高い男性に話しかけられた。
名刺をいただくと名刺にはアップリンクという文字が。
アップリンクは奥渋谷と呼ばれる場所にあるミニシアターで、ギャラリーやカフェを併設するなど映画好きに知らない人はいない、カルチャーの発信地的なミニシアターである。

話を聞くと、今度オープンする吉祥寺店にて新しく伊良コーラを取り扱いできないか、とのこと。名刺を交換して、アップリンク渋谷店で一度代表と商談をすることになった。

ほどなくして、会社で半休をとり、祐天寺からカワセミ号でアップリンクさんの奥渋谷へ向かう。
アップリンク横のコインパーキングにカワセミ号を停め、持参した衣装に着替える。
店の中へ入り出会ったのがアップリンク代表の浅井さんだ。
その場で伊良コーラを作って浅井さんに飲んでいただく。
浅井さんからも「美味しい!」との声をいただき、改めて今回の経緯を聞く。

浅井さんによると、吉祥寺店を新しくオープンするにあたり、「コカとペプシ、取り扱うならどっちが良いか?」というワークショップを行ったとのこと。
そのワークショップではコカとペプシを飲み比べをしたり、ディスカッションをしたらしいのだが、そのワークショップの参加者が伊良コーラを飲んだことのある方だったらしく、伊良コーラの存在を教えてくれたとのこと。その流れで、担当の方が伊良コーラを飲みに行った、とのことだった。

カワセミ号で提供していた日々がこんな機会に繋がることが不思議だったし、同時に嬉しかった。

アップリンク渋谷店へ商談に行った時の写真。

12月12日に行われるメディア向け内覧会でまずは提供し、オープン日の12月14日から取り扱い開始となることが決まった。

ちなみに、伊良コーラはコーラのオリジナルレシピをベースに、漢方の手法を用いてクラフトコーラを作り出したが、オリジナルのコーラであるコカコーラに対してもリスペクトがあったことから、吉祥寺店ではコカコーラと伊良コーラがどちらも併売されるという非常に珍しい販売形態になった(なお、伊良コーラはアップリンク吉祥寺店に来る、こだわりのあるお客さんに愛されて、売上は伊良コーラが数倍あると浅井さんから聞いたのは後の事)。

こんな流れで、カワセミ号での提供だけではなく、12月以降は卸としてアップリンクさんとロンハーマンさんの2つのお店に卸すことが決まった。

そして、少しだけ時を遡るのだが、9月初頭、コーラ小林はとあるところに実は一通の手紙を出していたのだが、これが後に大きな動きへとつながっていくこととなる。

第4話へ続く。


この記事が参加している募集

仕事について話そう