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「卒業」という言葉に覚える違和感

「卒業」という言葉は通常の使い方のほかに、アイドルや脱退や会社員の退職など様々な場面で使われます。しかし、私はそのような特殊な使われ方に触れるとき若干の違和感を覚えます。違和感というか、ざわっとした不快感といってもいいかもしれません。
その理由はきれいごとに聞こえるから。何かから逃げているような感じがし、本音が言えない状況にあるそんな状態を感じるからです。

私はそれを自尊心を原因とするものではないかと考えます。
自尊心というものは、私たちが皆持っており、ほとんどの人がむやみにそれをさらけ出さず大事にしたいものです。
特に、インターネットやテレビなどで、人が周りに対して着飾らなければならない状況がある場合には、その自尊心を守ることが大切なのはわかります。

しかし「卒業」という言葉を使う人たちは、時に安易に真の理由から逃げているように感じます。周りの人たちも、それをわかっていながら見て「暖かく」見ぬふりをすることが多く、全体が虚構で、本音を言えない状況に陥っている空気を感じます。私はその本人と周りが全員で演じている、偽った演劇のような空気が苦手なのかもしれません。

私自身もその場面になったら同じように逃げるかもしれません。
それでももっと本当のことを言えばいいのにという気持ちがあります。

これらから、私は「卒業」という言葉を使うことには違和感を持ちます。

本音ばかりでも傷つくことは確かです。円滑に物事を進めるためには時にはそういった手法も必要でしょう。
ただ私たちは、もっと真摯に自分の思いを伝え、自分自身をまっすぐ進めていくために、自分の本音を言えるようになることも必要です。

自尊心を守りながら、正直に自分の気持ちを表現することを許容する社会になってほしいなと考えます。

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