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アスリートから学ぶ!成長スピードを速めるマインドセット

こんにちは!
コミュニティマネージャーの藤井 麻由です👐

今回はJリーガーからエンジニアにキャリアチェンジをし、「アスリートのセカンドキャリアを切り拓く」というミッションを掲げ、挑戦を続けているメンバーのお話!

何かを突き詰めたことがある人には、強い信念を感じます。目標に向かって取り組むという場面は誰しもある中で、それを人一倍経験し、酸いも甘いも知っている人の経験談を知れることは、アスリートではない私たちにとっても意味のあることだと感じ、深堀りさせてもらいました!💪

サッカー少年がアスリートになるまでの過程を辿りながら、これまで感じてきた挫折や喜びに想いを馳せて、読んでいただけると嬉しいです。

内村 圭宏 (Yoshihiro Uchimura)
元Jリーガー。北海道コンサドーレ札幌所属時代には決定的なゴールを決め、チームをJ1昇格に導いた立役者。コラボスタイルのメンバーとして働く傍らサッカー塾 FC.Hooksの代表を務める。「アスリートのセカンドキャリアを切り拓く」というミッションを掲げ、日々チャレンジと発信を行っている。
▼本人執筆の「アスリート×ITエンジニア」のブログhttps://zenn.dev/uchimura/articles/845c2ac94554b8
▼サッカー塾 FC.Hooks
https://fc-hooks.net/


Q.サッカーを始めたきっかけは?

小学校3年生のときにキャプテン翼を見て衝撃が走って、習いたいと親に伝えたのがきっかけです!ちょうどJリーグが開幕したタイミングだったのと、公園遊びに飽きてきた頃で(笑)野球チームに入ろうとしていた寸前だったのですが、監督に「やってごらん」と誘ってもらい、サッカーを選びました。


なんと!あの時の選択が違ったら、もしかしたら野球選手のうっちーさんが生まれていたかもしれない…!?


Q.サッカーのどんなところが好きですか?

始めてから今までずっと楽しさと面白さが落ちないんですよ。まず足を使うのが面白いですし、だからこその難しさもあって。ミス前提でどんどんチャレンジできるのも楽しいです。終わりが無いものを無限に突き詰められるのが良いんですよね!実はサッカーの中にも流行りがあって、育て方や戦術などは移り変わりが激しいです。1つ強い戦術が生まれると、それに勝る作戦が出てくる…の繰り返しで、常にレベルアップしていきます。
また今は教えるのも面白いんですよね!どうやったら楽しくできるか、どう言語化したら伝わるか、リアクションを見ながら思考錯誤するのが興味深いです。

引退して改めて、スポーツっていいなって思ったんですよ。「負けたときに握手する」とか、スポーツマンシップを感じる場面が好きですね。


Q.いつ頃からプロを目指していたのですか?

小中学生の頃から、漠然となりたいと思ってはいましたね。目の前の人に勝ちたい、強くなりたいと思いながら日々練習していた覚えがあります。高校生になる頃には現実的にどうかという思考になってきて、「県内進学だとなれなそうだな」と感じたので、県外のJr.チームの選考を受けました。しかし最終選考で落ちてしまって。そこに進む一択で考えていたので、あの時はかなり落ち込みました。結果的に大分県内では1番強くて、毎年1人はプロに進む高校に進学しました。

そこからだいぶ上手くなったのですが、3年間でプロからのオファーは来ず。進学先も決まっていたので、大学進学するしかないなーと考えていたとき、ギリギリ滑りこみでオファーが来たんです。
その時は即答して、スキップして帰ったのを覚えていますね!(笑)
中には後々のキャリアを考えてあえて大学に進む人もいますが、自分はとにかくプロになりたかったので、遅らせる理由は無くて即答しました!


Q.念願のプロサッカー選手になって、どうでしたか?

テクニックはあったので、結構余裕で、プロの人強くないな?と思っていました。最初だけは(笑)ただ試合になるとやっぱり違って、すぐボールは獲られるし、監督には怒られるし、レベルが高くて早々に引退のことを考えましたね。コーチになるか、先輩から競輪選手や消防士も勧められていました。結局3年の契約期間を終えた後、別のチームに移籍したのですが、以前よりもレベルが下がってしまうので乗り気ではなく、活躍もできずで、試合にすら出られなくなってしましました。ここでも挫折を味わいました。とうとう終わったか?と思っていました。


Q.転機

1つ目の転機は、この頃MF→FWにポジション変更したことでした。FWになった後は活躍できてレギュラーにもなれたのですが、自分が想定していたほどの反響はなくて。腹はたつし、評価を得ないという思いで必死でした。そこからプレースタイルを変えて点を獲ることに注力したら、複数チームからオファーをもらって、ここで選んだのが北海道コンサドーレ札幌です。現在のキャリアにも繋がっていることを考えると、ここも大きな転機の1つだったと感じます。コンサドーレを選んだ理由は、当時J2のチームでしたが、これからJ1に上がる期待感を感じていたのと、完成された環境に入るよりも、チームと自分が一緒に成長していけるのっていいなと思ったからでした。
ですがなかなか順風満帆とはいかず、2年後にJ1に昇格できたのですが、あっさり落ちてしまって。その後J1に戻ることはできましたが、結構苦しかったですね。


Q.なぜそこからエンジニアに?

エンジニアは自分の努力次第で、活躍の幅が広いと感じたからです!あとは知的な感じがして、単純に憧れを感じたのもありました(笑)
引退後も大好きなサッカーに関わっていたかったので、自分の努力次第でスキルアップや多様な働き方を選択できるエンジニアには、可能性をとても感じました。また最後に所属していた愛媛のチームには単身赴任で行ったのですが、家族や子どもたちに会えないのが嫌で、引退後も単身赴任しなければいけない仕事は選ばないようにしようと考えていました。そういう意味でも、場所に捉われない働き方がしやすいエンジニアは、自分にとっては望むものが詰まった職業でした。

Q.現在は?

コラボスタイルでエンジニアとして働きながら、週2回サッカー塾を開いています。今は思い描いていた日々が手に入って、すごく嬉しいですね。仕事をしながら、サッカーも好きなようにやりたいと思っていたので、今のスタイルが自分には合っています。
サッカー塾はボールを蹴るのが好きだから楽しいですし、教えながらサッカー少年だった時の自分のことも思い出して、とにかくみんなすごく可愛いです!(笑)


Q.仕事↔サッカー塾、活きることはありますか?

ありますね。
エンジニアになっていたことでHPも作れたし、日常的に「いかに効率的に取り組めるか」を考えるので、限られた中で準備・運営していくために役立っています。


Q.「アスリートのセカンドキャリアを切り拓く」というミッションを掴んだのはいつ頃からですか?
引退を決めて、次のキャリアを具体的に考えた時ですね。
エンジニアになりたいと言ったとき、誰もが自分を止めたし、事例もなくて自分が困ったんですよ。だから自分が事例になろうと思ったんです。その時は結果的に失敗事例でもいいから、誰かのためになるなら挑戦しようと考えていました。

くぅっ…この経験が、どうかたくさんのアスリートやアスリートを目指す方々の勇気になってほしい!

Q.これからの展望はありますか?

成果を出して目立っていきたいです。本気でアスリートのセカンドキャリアを切り拓くためには、より強いインパクトが必要だと思っています。これからも挑戦と発信を積み重ねていきます!


◎編集後記


今回お話を伺って、印象的だった言葉を2つご紹介します。
ずっとサッカーが好き、面白いが落ちない
誰もが憧れるアスリートという夢を叶えた方が言うんですよ、「ボールを蹴るのが楽しくて面白い」って。数えきれないほどの回数触ってきているはずなのに、ずっと無邪気に好き!面白い!と言えることってすごいことじゃないですか?
好きで居続けられることも1つの才能なのかもしれないなと感じます。この純粋さと無邪気さが、突き詰めた人がゆえの強さなのかもしれません。

●落ち込んだことだから忘れていた
失敗したとき、反省をして次に活かすべきはもちろんですが、「失敗→反省・振り返り→次の挑戦」のサイクルを速くまわせる人ほど、人より速いスピードで成長していけると思いませんか?
そのスピード感が根付いているから、どこのフィールドにいっても成長を掴み、活躍できるのではないかと感じています。
落ち込んだことを忘れるのはなぜか聞いたところ、2つの答えが返ってきました。
目標が大きいから小さい失敗は当たり前で、気にならない。
②スキルやベストプラクティスはあるけど、それをふまえて最終的な選択は自分でする。選んだのは自分だから落ち込んでいる場合じゃない。


あなたの背中を押せていれば、嬉しいです!
最後までご覧いただき、ありがとうございました!