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政治家に話を聞いてみよう!~小田原潔衆議院議員編~

 カラフルデモクラシーでは2020年12月と2021年1月の2回にわたって、「政治家に話を聞いてみよう!」という企画を開催しました。与野党の衆議院議員をゲストにお迎えし、普段身近に感じることのない政治家に、若者目線でお話を聞いてみよう!という企画です。「政治家に話を聞いてみよう!第二弾」では、自由民主党の小田原潔衆議院議員に来ていただきました!この記事ではその模様を皆さんにお届けしたいと思います。

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政治家になるまで・・・

 現在衆議院議員をお務めの小田原潔さん。なんと政治家になろうと思ったのは8歳の時だったという。きっかけは第二次世界大戦後、アメリカの支配下にあった沖縄県の返還だった。

小田原さん 私が政治家になろうと思ったのは8歳の時でした。それはなぜかというと、沖縄が返ってきたからです。昭和47年5月15日のことでした。
私の父親は自衛官でした。自衛官の子供の多くは、いざというときは父親が命を失うかもしれない仕事をしているっていう、自覚があって育ちます。私もそうでした。名誉ある殉職であれば、残された家族は胸を張って生きていけるんですけれども、バカな思い付きだとか、無謀な作戦で犬死をするのは勘弁してくれ、という風に子供ながらに思っていました。
 沖縄返還のニュースをみて、一発の銃弾も発射せず、一滴の血も流さず、戦争でとられちゃった領土が返ってくるなんて、政治と外交の力はすごいなと思ったのが、政治家になろうと思ったきっかけです。

 高校生の時、なんとしても東京大学に行きたいと思った小田原さん。模擬試験ではD判定続きだったが、猛勉強の末、現役で東大に合格!

 そのころは政治家になりたいという思いは変わっていなかったが、なれっこないと思っていたという。卒業後は、小学校4~5年生の時に、父親の米国陸軍指揮幕僚大学への転勤についてアメリカに行き修得した英語を活用した仕事をしようと、沢山海外に拠点を持つ銀行に就職した。2年目でニューヨーク支店に転勤。とってもワクワクしたそうだ。ところが・・・・。

小田原さん ところが、仕事はめちゃくちゃつまんなかったです。ニューヨークに行って、外資系の投資銀行をみていると、ものすごく面白そうだったので、10年目に外資系の投資銀行に転職しました。よく業務の内容を知らない人たちが、外資はハゲタカっていうけど、私のやってた仕事は、日本の借金、国債を外国人のお金で返させるっていうものです。なので、尊王攘夷の外資系だったと思います。

 その後、2000年に小泉政権が発足して以降、自民党が公募を開始した。小田原さんは4回目の公募で、大分県選挙区から参議院選挙に立候補。26万票を獲得したが惜しくも落選してしまう。3年の浪人生活ののち、現在の衆議院東京21区から衆議院選挙に立候補することになる。

小田原さん 実は、当時はものすごく強い野党の方がいらっしゃって、自民党は20年間東京21区から衆議院議員を出していませんでした。これは火中の栗を拾うような公募だなと思ったんですが、これを断ったら2度と私に声がかからないって言うのも直感で分かりました。損得勘定とか人生設計とか、一切受け付けない判断でした。9年前、政権奪還の風もあって、比例復活で当選しました。

 政治家になる前の2011年。東日本大震災が起こった。小田原さんは震災発生直後から被災地に入り、ボランティア活動を行っていた。その経験についてもお話を伺った。

小田原さん おそらく皆さんもテレビつけっぱなしにして、不安な日々を過ごしたんじゃないかと思います。僕もそうだったんですけど、だんだん、45歳で、健康な成人男子が、こういう国難の時にテレビ見てるだけでいいのかって思って、だんだん恥ずかしい思いになってきたのね。それで女房の後押しもあって、東北自動車道が14日後に開通したんですけど、その翌日の夜にガソリン満タンにして被災地に向かいました。受け付けてくれるボランティアセンターを探し、宮城県の七ヶ浜町というところに行って、テント生活をしながら1年以上スコップでヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を運び出したり、っていう活動をしていました。
 僕は普段あんまりこの話をしません。それはボランティアは本来、黙って行って、黙って働いて、黙って帰ってくるべきだと思っているからです。でも、お誘いがあってその時の経験は本にまとめています。


 今回の参加者は中高生が中心だった。そろそろみんな、進路のことなどを考え出すころ。人生の先輩である小田原さんにアドバイスをいただいた。

小田原さん 僕、実は宇宙物理学者になりたいと思っていたこともあるんです。16歳の時に、カールセーガンっていうコーネル大学の宇宙物理学者が、コスモスっていう本を書いて、それがテレビ番組化されていたのをみました。それに完全に魅せられて、世の中で最も尊い仕事は宇宙物理学者だって確信した時があったわけ。なので、本当は理系に進んで、それこそ科学者みたいになって、JAXAに行ってはやぶさ飛ばしてみたいって、思ってたんだけど、自分の理系としての才能とか能力二流だっていう自覚はあったの。ずーっと理系の科目は取っていて、数学も物理も化学も勉強してたんだけど、理系の才能のある人には全然かなわなかった。学校では5とれたとしても本質的に頭の良さが全然違うと思った時期があって、僕は仮に科学者になったとしても、世の中の足を引っ張るだけで、活躍できないっていう風に思ったのね。
 そういう事もあって、海外に行ける仕事で、出来るだけ給料の高い仕事、っていういい加減な気持ちで会社を選んでしまったから、結局10年持たないでやめることになっちゃったのね。
 なので僕自身は、進路を決めるっていう現実的なことと、自分の心の中にある本当の興味っていうものを、2つとも大事にしてほしいと考えています。その2つがいつか結びつく日が来ることもあるし、結びつかなかったとしても、本当の自分の心の興味は自分を裏切らないし、人生をずっと豊かなものにしてくれると思います。僕も、今でも宇宙の本を読んだり、学説の要約を見たりします。僕は科学者として日の目を見る人生ではないけれど、それでも楽しいの。例えば、宇宙というのはこれから膨張していくのか、いつかそれがほんとに減速して縮んでいくのか、一定の速度のまま膨張していくのか、という事は、私たちはどこからきて何処へ行くのか、というテーマの一つでもあるからね。面白いと思います。
 勉強したり、どういう職に就くかということもさることながら、自分は何をしている時が一番ときめくか、自分の知性が喜ぶ瞬間は何をしている時か、って言うのを大事にしていただくのがいいかなと思います。

小田原さんの考える政治家の仕事

 8歳の頃からの思いをかなえ、政治家になった小田原さんが考える政治家の仕事とはどのようなものなのかを伺った。

小田原さん 国会議員の仕事、これは、市議会議員、都議会議員、国会議員みんな似たり寄ったりなんだけど、先ずやらなくてはいけないことの一つに、選挙区=地元をよくするって言うことがあります。これは決して利益誘導という意味ではありません。暮らしやすい街を作ったり、暮らしやすい街を維持するっていう意味で、地元をよくするってことが一つ大きな仕事ですね。
 それから国会では、国が直面する課題、あらゆる問題がリアルタイムで議論の俎上に乗ります。それは、皆さんが例えば情報番組見るでしょ、今だったら先ずコロナの問題が出てくる、それとかいじめの話がある、保育園が足りないっていう話もある。そういう報道されてることは、ほぼリアルタイムで、いや、むしろ報道される1日前くらいに、少なくとも自民党の会議の場では議論をしてるの。そういう、皆さんが関心がある課題に、当事者として直接関与できる、というところが、この仕事の醍醐味だし、一番大切なところだと思います。

 そんな小田原さんが実際に取り組んでいいらっしゃる政治課題については後半戦で聞かせていただくことにしよう。(後半戦に続く)

               (記事作成:松浦 薫・黒野優喜)


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