見出し画像

ロビンソン/スピッツ【彼の1曲】

彼の1曲
タイトルの曲にまつわる恋の思い出をテーマにした小説。ライター・於ありさが趣味の範囲で不定期に更新しています。

「なんのために生きてるんだろ」ーーどこに行けばいいかわからないけど、なんとなくここじゃない。

朝、目が覚めると、こんな言葉が頭の中を駆け巡る。今に始まったことじゃない。物心がついた頃から、こんなことはしょっちゅうあった。涙が出るわけじゃないけど、希望は持てない。私の17年間は、そんな朝を繰り返し迎えて、暗くなったら眠り、また憂鬱な朝が来て…の繰り返しだった。

でも、こんな言葉を口にしたら「めっちゃ病んでんじゃん!」「めんどくさすぎて、ウケる」だなんて言われるだろうから。わたしは絶対に口にしない。

高校に入ってから出会った"いつもの"友人たちの顔を思い浮かべて、深いため息をしながら寝返りを打った。

「ナツキ〜!急がなきゃ置いてくよ〜」

そんな私の気持ちも露知れず、"いつもの"友人の1人、アヤは住宅街の車道のど真ん中から、私の部屋に向かって呼びかけた。

こんな朝、抜け出せるなら抜け出したかった。頑固な一重まぶたをアイテープで拡張する暇があるなら寝たかったし、そんなに仲良くない近所の人たちに「あ、今日も迎えにきた」「そろそろ家を出なきゃいけない時間だ」と朝のルーティンの目安にされるのもウザかった。そもそも名前を呼ばれることで、ただの通学ではなくなる。完全に思い込みだろうけど「私がナツキです!」と主張しながら、堂々と道を歩いている気がしてイヤだった。

……とはいえ、この狭い街の中で上手くやっていくには、ここのやり方になじむしかない。

ポスカでデカデカと「ウチらの友情永久不滅」とデコったスクールバッグにジャラジャラとストラップをつけたスライド式の携帯電話を入れ、今日の気温にはふさわしくないミニ丈のスカートで外に出た。

この3つがそろって、私はこの街に溶け込むナツキになれるのだ。

#

彼氏がいたことは、何度もある。でも、こんな街で恋なんて出来るわけがなかった。

カーストが近いくらいの他高の生徒を紹介されては、2回目のデート、または即日に付き合うことがほとんど。好きでもないのに付き合うのは、恋愛がしたかったからじゃなくて、別に断る理由もなかったから。それだけだった。

あ、でも、恋愛は好きじゃないけど、2ケツをするのは好きだった。どこかに連れてってもらったら、このかったるい毎日から抜け出せるんじゃないかってちょっとだけ期待してたから。

まあ、実際はそんな期待は期待に過ぎなかったけど。

どいつもこいつも変わりなかったからテキトーな理由をつけて「マジで無理なんだよね」と冷たく言い放ち、ちょっとだけ盛って"いつもの"友人にグチを報告。「ないね〜」「超キモイじゃん」と盛り上がるためのダシにした。

そんなんだから、他高で私は最低女として、名が通っているらしいんだけど、まあ、別に。他高とうまくやることよりも"いつもの"友人と盛り上がる方が、この街で生きていくためには必要だから。彼女らの望むナツキとしての振る舞いをしてみせた。

#

「那月ちゃんの那にはね、美しくて、豊かなという意味が込められてるんだよ。9月15日が誕生日ってことは、きっとキレイな月が出ている日に生まれたんだろうね」

進学校に通う幼馴染を見習えとの理由で、よくわからないまま通わされることになった個別指導塾でアルバイトをする彼は、私の名前を漢字で呼んでくれる人だった。苗字でもなく、カタカナでもなく漢字で。彼の声が字幕になっているわけではないから、そんなのは私の空想なんだけど、ゆっくりと柔らかな声で呼ぶ"那月ちゃん"のおかげで、私は生まれて初めて自分に対して興味を持った。

聞くところによると、彼の出身はここじゃないらしい。もう、それだけで窮屈な毎日から抜け出せるんじゃないかと胸が高鳴る。顔は全然タイプじゃないけど、直感的に彼を好きになりたい、なった方がいいと思った。

先生、といっても2歳しか変わらない彼はスピッツが好きだという。塾の帰り、先生が出てくるところを待ち伏せて「親が来るまで暗くて怖いから」とテキトーな嘘をついて雑談したときに知った。

スピッツは、なんとなく知ってる。"いつもの"友人がスピッツの歌詞が書かれた画像を待ち受けにしていて「超イイんだけど〜」って言ってたから、たぶん流行りのラブソングなんだろう。

この唯一の知識を頭の中から引っ張り出し「わたしも知ってます!超イイですよね、2人だけの国ってめちゃくちゃキュンってする〜!ナツキも先生と2人だけの世界に行きた〜い」と、これまでの彼らにそうしてきたような猫撫で声で、褒めてみた。

しかし、彼は表情ひとつ変えなかった。少し間があった後で「スピッツの歌はね、“セックスと死”がテーマなんだよ」とだけつぶやいて、ホットの缶コーヒーに口をつけた。

「あー敵わない」私の無知を察しておきながら、それを指摘しない彼のスマートさ、そして博識さに心がキューッとなった。

そして、居心地が悪いといいながらも、この街でうまくやっていくためにバカな女を演じる私がものすごく稚拙な女に思えた。

彼ならきっと、どんな場所にだって連れて行ってくれるんじゃないか。そう思うようになった頃には、私はタイプじゃない彼を完全に好きになっていた。

#

「今いるこの場所よりは、2人だけの国の方がずっとずっと広々としてるはず」「この人と2人でずっといられたら、他に何もいらない」そんな想像をするようになってからは、朝が楽しくてしょうがなかった。

でも"いつもの"友人たちはそんな私を許さなかった。「やべー」「さすがにおじさんキモすぎ」「ナツキが男と続かないのって、おじ専だったからじゃね?」と根も葉もない噂を立てられた。

でも、私はそれを否定する気になれなかった。

これまで積み上げてきた処世術を無駄にすることになっても、初めてした恋を嘘にしたくなくて、私は"いつもの"友人たち、ひいては彼女らを絶対的に思う街の同世代の笑いの標的になる道を選んだ。

そこから数日、気づいたらアヤは迎えに来なくなったし、私は毎朝のアイテープも、ポスカでデコった鞄を持つことも辞めた。

きっとこの恋は始まらない。

今の私には、目を閉じて彼が特に好きだと言っていたロビンソンのメロディと歌詞を噛み締めるこの時間がとにかく幸せだった。

それだけで私は生きている意味を感じられたし、彼と2人だけの国にいる気分になれたから。

▼前作はこちら

▼編集後記

次回作、更新のタイミングで追記します(有料)

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

いただいたご支援で働き方を楽しくできるようなヒントとなる書籍などを購入します。ご支援よろしくお願いいたします☆