ヒーローという虚構

 私はヒーローだと思っていた。ヒーローに憧れたから。ヒーローになれると心の底から思った。そして、努力をしたから、なれたと思った。

 今日は帰宅してすぐにベッドに直行し、大泣きをした。
 とても苦しいのに、正体不明の澱が溜まっていた。何もかもが不明瞭な苦しみ。しかし本当は、自分自身で不明瞭にしているのだと思う。見えないようにしておくことで、自分自身を守るために。
 明瞭にして自らを責めて、他人を責めて、傷ついてしまう弱い弱い自分を守るために。

 ベッドで横になっている時、まず最初に思い浮かんだこと。それは、インナーチャイルドセラピーの時の父の幼少期をイメージする時の話だった。
 このイメージをするだけのことが、私の中では曲者だった。父をイメージする指示をもらったのだが、その時すでにカウンセラーの中では父の幼少期の話をしていたようで、私はその意図が汲めておらず、現在の父を呼んでいた。
 しかし驚くことに、答えを理解しても、想像ができない。
 「小さい父を想像できません」と素直に申し出た時には、私の目からは滝のように涙が流れ続けていた。
 想像ができないということ。それは、父の弱さを見たくなかったということ。私は渋り続けた。小さい父を見るのが怖い、強く大きな姿でいてほしい、と。そんな中でポロッと私の口からこぼれ出た言葉。
 「ずっと怒っていてほしい」
 続けてカウンセラーが「そうです、あなたはお父さんに怒っていてほしかったんです」と強く肯定したのに対して、私って父に怒っていてほしかったんだ、と初めて気づいたことを鮮明に覚えている。一番記憶に残っているシーンと言っても過言ではないぐらいだ。

 今思えば、父親の姿は、私にとって理想のヒーローの姿そのものである。当然のことだ。私にとっての理想のヒーローは、父を見て作り上げたのだから。
 何も言わずに情緒の定まらない母を支え続け、わがままで好き勝手生きる娘たちに対して怒りや重鎮で圧制しようとしていたが、母とは違って他人として一線引いて関わり続けていた。
 自分の中の全てをまさぐり、追憶に耽ると、私の考え方の大半は父で構成されているように思う。

 私が母の慰め役に徹していた時、私のことを見てなどくれない無能だと思った。しかし、慰め役に徹するキッカケは紛れもなく父なのだ。
 家事を全くしなくなった母に対して何も言わずに代わっていた。私はそれに倣い、家事を始めた。次第に、母に寄り添うようになった。

 私は、「どんな姿でも、その人をそういう人だと認める」という父の姿に憧れた。
 弱音なども吐かずに、この荒んだ一家を支え続けた彼の姿を、かっこいいと思った。私も、何も言わずに、この世の全ての人間を支えようと思った。「この不条理にまみれた世界を私が救うのだ」と決心をしていた中学時代を今でも覚えている。
 事勿れ主義のこの家で唯一、しっかりと自分の意見を持ち、崩れぬ芯で母親に立ち向かう姿を見て、自分の芯をしっかり持つのが人としての完成形だと至った。
 何も言わないけれど、常に自ら考え、柔軟に変化をしていく彼の姿に、心の底から憧憬し、自分もそうなろうと努めた。だから、私は常に考え、毎日自分を変化させ続けている。

 怒りや重圧という恐怖で場の空気を掌握するのが得意だが、本当は確かな優しさや温もりを持っている彼は、私にとってはまさに「いつだって強い完璧なヒーロー」だったのだ。

 でも、違うよなと今は思うのだ。
 ヒーローなど、この世に存在しない。
 ただの人間に、同種族のはずの人間たちが、守ってほしさに勝手に屈強という皮を被せた、偶像。
 時を経て「ヒーローにも弱さはある」とだんだんと信仰を抑えつつあるが、結局救ってほしい思いが消え切らないようで、ヒーローというキャラクターはどうしても欲しいらしい。
 ヒーローとして崇め奉られる人間も、大したことのないただの人間だ。
 身体能力が著しく高かったり、正義感が強く気配り上手で、共感能力が高くて情に熱かったりする姿が見えるだけで、「守ってもらえる」と思うなど、お門違いも甚だしい。
 どれだけ名前を付けて持ち上げようが、彼らが人間だという前提は絶対的に覆らない。人間同士、足りないところを補い合って生きていくという提案は、通らないのだろうか。


 父も、紛れもなく人間なのだ。強さの皮の下には、本当は寂しさを感じていて、「疲れた」と言いたがった弱さを持った、ただの人間だ。
 もちろん、私もそうである。
 みんな、誰が強いだとか弱いだとか、序列などつけずに、「一つ」になれないのだろうか。

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