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空想の手を止めて

 ここ最近、空想を抱くことがなくなった。歩いている時に、取り巻く空気が膨張していて、自分だけがこの世のものではない感覚になることや、逆に、澄み渡った空気の中を自分の輪郭だけが殊の外はっきりして、自分の行動一つ一つが監視されているようなプレッシャーがかかっている感覚もなくなった。  何よりも、創作物が生み出せなくなったことだ。  私は、創作BLや創作百合と呼ばれる、所謂オリジナル作品をずっと描いていた。  彼らを描くにあたって、コンセプトは「理想的な平和な世界のヒューマンスト

    • 優しさを曖昧にすること

       優しい人、優しくない人、とカテゴライズするのをやめた。  カテゴライズしてしまうと、自分の求めたアクションが返ってこなかった場合の落胆が大きくなってしまう。  「あの人は優しいはずなのに、こういう反応をする人でもあるのか」と、自分の中での基準を満たしていないだけなのに、その人自体を否定するかのような見方に一気に変わってしまうことが増える。  それは、相手を否定することでもある気がしたのだ。  私は基本的には、他人が何をしようが特に何も思わない。他人が怒ろうが、泣こうが、「

      • かつての空虚な主人公

         いつだって世界の主人公になりたかった。  私が優雅に、美しく歩いているだけで道行く人々は、私に注目するような存在になりたくて、いつも凛々しく、堂々と歩いていた。  幼いころ、眠る前には、必ずベッドの中で自分が主人公の演劇をした。  常に誰かからの視線を妄想しながら、生活をしていた。私というキャラクターが、世界の主人公だったらいいのに。そんな願いをずっと抱えて、一挙手一投足全てを「演じること」に費やした。  でも、満たされるわけがなかったのだ。なぜならば、そんなのは所詮妄

        • 努力の矢印の方向

           私はマンガな絵を描く人間だった。この話でのキーワードは「マンガな絵」である。  小中高、全て「校内で一番上手い人」だった。そこまで登り詰めるために、血反吐を吐くぐらいの苦労をしたと思う。  私にとって、絵自体が勝負だった。必ず勝ち負けがあり、上には上がいて、下には下がいるもの。どれだけ両隣の者を蹴落とし、どれだけ勝者になるか。  常々言っていたことがある。  「絵なんて本当は好きじゃない」と。  マンガな絵を描くことが、好きと思えないのも当然の話。何百枚、何千枚と描いて

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          分からなくても許される世界

           分からないことが増えたと、最近感じることが多くなった。  たとえば、人の顔色を窺うこと。人と話している時、常に顔色を窺いながら話していた。主に、ネガティブ感情に対して過敏だった。しかし今は、窺ったところで何も分からない。  ほかには、人の行動の意味を考えなくなった。「今この人のこの動きはこういう心理状態からくるものなんだろうな」という憶測を立てなくなったということだ。  ここまでのことでの分からないことというのは、要するに、「自分の脳内」を突き詰めず、不明瞭化したというこ

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          ヒーローという虚構

           私はヒーローだと思っていた。ヒーローに憧れたから。ヒーローになれると心の底から思った。そして、努力をしたから、なれたと思った。  今日は帰宅してすぐにベッドに直行し、大泣きをした。  とても苦しいのに、正体不明の澱が溜まっていた。何もかもが不明瞭な苦しみ。しかし本当は、自分自身で不明瞭にしているのだと思う。見えないようにしておくことで、自分自身を守るために。  明瞭にして自らを責めて、他人を責めて、傷ついてしまう弱い弱い自分を守るために。  ベッドで横になっている時、ま

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          転嫁の先は理由

           少し前までは、全てに責任を負っていた。自分の一挙一動、一言一句が人に影響を与えるという意識で動いていた。  無責任な人間が嫌いだったために、自分はそうはなるまいと決めていたら、いつしか責任と自責の境界がつかなくなっていた。  しかし、ここ最近はその異常なほど強い意識はなくなり、一定的に責任を放棄するようになった。できないものはできないし、過去の私がした発言と今の私の考え方が合うかと言われたら合うわけがない。私は毎日自分自身をアップデートしているので、昨日の私ですら、今日の私

          転嫁の先は理由

          慈愛と傷の経歴書

           優しくありたい。  私にとって優しさとは、他人のありのままを受け容れるということだと思う。「あなたはそういう考えなんだね」だとか、「そういうところで怒りを抱くんだね」だとか。  そこに、私自身と波長が合わない、分かり合えないなどはさほど関係はない。分かり合えないならそれでいい。私も相手に怒りを抱くかもしれないし、申し訳なさを感じることもあるかもしれない。  それに、私だって人間だ。他人に何かを求めたい。ありのままを受け容れてほしいと思っている。自分がそう思うから、それが優

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          終結は小さくていい

           今日、仕事中や自動車学校のバス内でぼろぼろと泣いていた。  二度目のインナーチャイルドセラピーを受けてから、母親と父親と普通に顔を合わせて会話をしているし、自然を見に行くために車を出してもらっている。  その時、私が会話に混ざった時よりも、夫婦二人で会話をしている時の方が楽しそうなのだ。  この二人の姿を見ていると、「いいなあ。温かそうだ。家族が欲しいなあ」と、そう思う。  人生の終わりというのは、小さな幸せでもいいのだろう。  この人たちは物凄く色々なものと闘ってきた

          終結は小さくていい

          大したことのない世界の話

           この世の何もかも、別に大したことなかったなと気づいた。  身分を詐称した話を以前書いたのだが、あれからずっと「実際は本当に小さい人間なのであろう自分」と「全てを包み込む世界の優しい母親でありたい自分」のズレについてを考え続けていた。  なぜ私は就労支援で働く人間ということに極度の劣等感を抱いているのかがずっと分からなかったし、それを話すと「それはお前の心の持ちようだ」と言われ続けていたため、私の考え方の問題なだけだから今こう考えるのもしょうがないものとして腑に落としつつ毎

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          解決しないを選択する解決

          もう降参することにした。 本当は、誰とも関わりたくなくて、できることなら自分の世界に閉じこもりたくて、でも寂しがりだから本当の本当は誰かに見つけてほしくて仕様がない弱くてちっぽけな情けない自分を、受け入れようと思う。 そんな弱くて自信の無い自分で居てしまうと、一生誰も寄ってこないんじゃないか。一生一人なのではないか。そう思えて仕方がないが、今の私の精一杯はここなのだ。 無理やり人と関わろうとした。何かチャンスが待っているかもしれないと思ったから。 何度も同性愛者向けのバーに

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          七色に変わる熟れ

          私はカメレオンの自覚がある。 基本的には相手に合わせる。相手の出方を常に窺って、それに対応した返答を送る。 そしてそれは特段自分を押し殺しているわけでもない。 自分の時間であっても意識の中で欲求や願いはあまり存在していない。 好きなことは特にない。 厳密に言えば、意識に対しては感情を特に抱かないのだ。 顕在意識に潜在意識があまり干渉しない感覚、この二つがリンクすることが難しいという感覚。 あくまで感覚だ。これが心理学やら哲学やら何やらの世界ではありえるはずがないなどと完全否定

          七色に変わる熟れ

          涙の量

          「分からないこと」。 私は人の感情や言動の含有物を分析しようとする癖がある。 分からないことが嫌いなのだ。 分からないことは私を傷つけてくる、そう認識しているからだ(しかし、ビジネスなどの現場での傷つきはさほど響かないし、数分後には忘れているぐらい)。この人間のこの言動は過去にこんな経験をしたからだろうだとか、今まで言われた言葉たちをかき集めては家庭環境や社会環境を妄想してしまったり。 正直、考えたところでどうしようもない。 それに、私のこの勝手な分析というのは、悲しみが主

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          脳が楽をした愚痴

          考えてしまう=備えてしまうという人間だ。 傷つくのが嫌で、傷つく前に不安で備えてしまう。 何をしていても考えている。 仕事中に貰ったものの数を数えてはどう返そうかを考えているし、四六時中過去の行いに対してずっと反省をしている。 私はやはり知識をひけらかすように語っているらしいし、皆が通ってきた思春期の失敗を大人になってから経験をしているし。 反省ばかりの人生なのだ。 正直、もう考えるのはやめたいのだ。 もう何も考えたくない。 反省だってしたくないし、自分がどんな人間かの分析

          脳が楽をした愚痴

          一瞬の暴力か永続的な和平か

          「優しくありたい」。 そう願った。 いや、正しくは「優しい世界であってほしい」。 少し前までは「優しくあれ」という呪いがかかっていた。 でも、今は私自身の欲求だ。 私の思い描く優しい世界とは、単純に誰も責められない世界ではない。 誰もが怒りや他責の根本を見つめ、多くの人間がそこに眠る悲しみや願いに気づいてくれる世界だ。 「なぜ」を理解し合い、理解した上で自分の感情を取捨選択していく人間が増えること。 ずっとそう願っている。 如何せんこんな思想や意志が強すぎるため「できるだ

          一瞬の暴力か永続的な和平か

          父親の表面

          今週、ついに実家を出て、一人暮らしを始める。 その話を父親に話すと「出ていっちゃうの?寂しくなるねえ」「もし無理だったらルームシェアだと思って帰っておいで」と。 少し前から「ローンも払い終わるし、ずっと居ればいいのに」と2回ほど言われていた。 まとめる荷物をリストアップしていた。 リストアップがなぜ必要か。それは、このクソ汚い部屋の片付けよりも身の安全を守るためだと判断し、片付けは徐々にしていこうという算段の元初めは必要最低限の物を持っていくつもりだからだ。 そしてリストア

          父親の表面