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周りに不登校の子がいたら①親同士の関わり

「子どもが学校に行かなくなってしまった」「行き渋りで困っている」「不登校になってしばらく学校には行ってない」そんな子を持つ母親に対してどう接したらいいのか。

きっとこれだけ不登校の数が増えているので、近くにも数人はいるかもしれません。いつも通り会っていても、子どもの様子は知らなくて本当は不登校だけど言えていないお母さんももしかしたらいるのかも。そして、うちは不登校でしばらく経つからと明るく割り切っているように振舞っているけど、本当は悩んでいる人も。

同じ学校に通う保護者との会話や、小さい時から仲良くしていたママ友がそんな状況だったとき、きっと良かれと思ってかける言葉が、相手にとって辛く傷つく言葉になってしまうととても残念ですが、実際には悲しい思いをしている人が沢山いるように思います。

私が体験した中で感じたことを思い出しながら書いていきたいと思います。(もちろん全ての方からの言葉は善意であり、私のため、子どもたちのためを思った言葉だということは受け取っています。関わってくださったことに感謝です。)

ひとくくりにどの状況のときにどう関わるのがいいかということはまだ私の中でも分からなく、それぞれ思いも違い受け取り方違うので全てが当てはまるわけではありませんので、参考までに。

『学校に行けるようになればいいね』は、他人事のように聞こえました。学校に行けることが【普通】であるということ、そこから外れてしまっていること、問題がある人と思われている、学校に行ってる人が行けない気持ちは分からないだろう、など、この言葉には、『そうだね、行けるようになればいいね』と、合わせるように伝えるしかありませんでした。

『うちも行ってない時があったけど、今は行ってるから大丈夫だよ』は、今悩んでいることも悩む必要がない、心配し過ぎ、「うちも」と言っているが我が家のことは分からないのに分かった風に言われている、と感じました。こちらから『学校に行かない時、どんな状況だったの?』と聞いてみたり、その方の上手くいったエピソードを聞くことが多い時間で、打ち明けられる感じはなく悩みはそのままな感じでした。

学校に行けるようになればいいという、たくさんの人が持っている考えは、親自身も少なからず持っています。しかしそれを再確認するように、伝えられることは苦しさが増してしまう。そして、藁にもすがる思いで不登校の現状と向き合い、アドバイスを求めているはずなのに、現状を聞かれないでされるアドバイスや成功の体験談は、良い気持ちがしないと思いました。

状況は様々ですが、例えば『どんな状況なの?』『何が困ってる?』『今の気持ちはどう?』と、今、この時を聴いて、知ろう、分かろうとしてくれる気持ち、『そうなんだ』と受け止めてくれる感じがあると、また話してみたくなるかな、と今は感じています。

いつも気にかけてくれる同じ親同士だからこそ、心の頼りになる関係でいて欲しい。そうなれることを願っています。

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