見出し画像

#250 支援も仲間の存在

おはようございます。フミオです。

昨日は、noteの投稿ができませんでした。ご飯会に出席していたのもので(^^)/出席者は、元同僚居宅介護支援専門員、ただい目の前の地域の福祉を丹念に紐解き、対人援助にも手を抜かに抜けない医療も福祉も介護も子育ても考えている方と。


■生きづらさを抱えた方が連れてくる仲間との出会い


 ↑この捉え方は、養護学校の先生から教えて頂いたことです。そして、その通りに、出会ったお二人なんです。
どんな出会いの始まりは、私の勤務している機関の特徴をしっかり踏まえて、支援をしている利用者とその家族の今後に対して、しっかり意向を確認しながら支援の方向性と情報を伝え「対話」しながら相談をしてくれた方たちです。

でも、この方々(他にもいる仲間いるんですが)は、その後は、ちょっとズルいんですね。電話が事業所にかかってきて「フミオさん?ちょっと聴いてくれる(とか、聴いて欲しいいんだけど)・・?」と始まり、担当ケースの利用者の相談というか経過を語ってくれます。

そして、私、「これって、私に〇〇すればいいじゃん?」って、支援の方向性とやり方を「言わされちゃう」いうようになってしまい、「協力」となってしまいます。((笑))

支援の腕を磨き、支援の醍醐味をともに共感できる仲間であり、困った時に期待してくれる私にいさせてくる仲間です。

■お互いに現時点の話と支援の話題と向き合い方に


 今日・最近の話から、やっぱり支援の話になって、支障がない範囲でケースの話や支援についての向き合い方について、始まります。当然というか、それぞれ語らえれる内容は「複雑」です。

地域の成り立ちと家族の成り立ち、支援関係の組み立ての経過、支援関係の組みなおし、そこに立ちはだかる医療と介護などを汲み取り、ひも解き見通し、向き合っていく。医療・介護・こども・生活困窮・障害などが絡み合た複雑な背景。

そして、向き合う支援者、職種、分野、機関についての話題へと・・・。最後は、個人として支援に向き合う自分になっていきます。

■正直、かなわない


 この話のオチは、最後に私自身と向き合うことになるんですよね。そして、昨日の私自身は、自己満足と自分だけのことしか考えていないかもしれない!と思ったことです。

自分の正面に、「何を置いて向き合っているか?」がないことに気づいたこと。「仕事を辞めて今いる自分をしっかり説明できない」こんなことを考えさせられるんだから「かんわないな~」私の気持ちになります。

■今日のnote


 大事な仲間がいることは、やっぱりかけがいのないこと。そして、そんなつながりがないと支援がつながらい、「連携」ができないこと。仲間は、支援マインドや人としてのマインドの「栄養」になるってこと。


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?