見出し画像

こんばんは フミオです。

今日は、負担についてnoteしてみます。
いままで自分で行えていたことがある日を境に難しくなり、できなくなり、そして、誰かがそのできなくなったことを代行しておこなう。これが介護です。


■負担のはじまり


 ベッドから起きる、顔を洗う、当たり前のできていたことが難しいので、ベッドから起こす、着替え、ベッドからキッチンまで移動(歩く、付き添う、車いすを押す)・・・・。この介護は、介護者の力ばかりでなく、時間や気持ちも一緒に使います。

この一緒に使う力や時間や気持ちは、自分のことをすることを後回しにして行います。後回しにした自分のができない・・・いつしかイライラしたりするようになります。
このイライラを軽減するために、準備や工夫をして日々を過ごすけれど、工夫してもイライラはつのり、いつしか怒りや悲しみにつながります。

介護をしている相手が、介護している家族に不用意な言葉を使って気分を害することや、介護している相手の姿に、介護する側が傷つくこともあります。

■自分で自分が受入れならないことに気づく


 自分の生活と家族への介護が上手くリズムよくできていも、ある日なんとく自分らしくない(疲れや違和感)から、家事や介護の段取りが上手くできなくてイライラが増してしまったり、仕事の場面でも思わぬことが起きて失敗してしまうこと。

介護も生活も仕事もできていたことが何となくうまくいかないことに気づき出す。自分を責めたり、たまたまうまくできない介護を受ける家族に冷たい感情を向けてしまう。

今まで経験したことのない自分の感情に、驚き、受入れられない自分に更に気持ちがつらくなる。

■負担感を自覚する


 こんなこと、いつまで続くんだろう?と考えてしまうことも自覚する様になります。負担感の兆し、仕事や自分や介護をする家族以外への影響(迷惑をかける)と感じつようになり、仕事を辞めたり考えたり、考えるようになる。

【ここでいう負担感は??】
・家族へ不本意な状況への不満や怒り
・自分が思う通りにできない事への不満や怒り
・職場への気遣いからくる不満

以上のようなことに対処できず、常に心や頭にいた小さな不満などの感情に自分で対処できない自分でしょうか?
この小さい不満が貯まり、怒りになり・・・言葉や行動の暴力につながり。
また、ここまでに至る前に、介護をしない・・放棄になることもあるかもしれないです。

■負担(感)の軽減


 負担(感)に過度に敏感になり、普段通りの日常生活や仕事、介護ができなくならないように・・・介護サービスを使って代行しもらうことで時間的・身体的・精神的なゆとりを持てるようにする。このことで負担(感)を少なくすることを心がけます。

しかし、負担(感)は、介護をしている家族だけが感じている訳もなく、当然本人、介護を必要としている本人もイライラや負担(感)を持ってます。
本人の負担(感)の軽減って、家族の代わりに、介護サービスを提供する側が行えば実現できていいるのだろうか?

■ニュースで語られる負担(感)の軽減は、介護者側の話が多い印象


 介護者のキャリアが途絶える、働き盛りの年代が離職して経済的損失が話題の中心になっていないだろうか?

介護を受ける側のできない部分を介護する家族の時間や労力を使わず、介護サービスで対応する。介護を受ける側の「現存する能力」と失った能力へを含めての対応については、負担(感)の議論にはならない。

■今日のnote


 介護をすることは、不便になった介護を受ける人が家族や誰かの力を借りて、介護を受ける期間でも、キャリアでもなく、損失でもない、自立して生活できるように、不便なことによるできない行為や時間を代替するサービスで負担していくこと。

この状況が、安心して家族が仕事やキャリアアップに集中できることが誰にでも幸せな時間と関係を継続できていくと説明して欲しい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?