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ていねいに、毎日やることを選んでいく

お盆休み中、ずっと家にいた。

長いお休みだったから、本当は実家に帰ったり、少し遠くへ行ってみたりしたかったけれど…

でも、家にいることですごく自分の心と向き合えた素敵な時間になった。

コロナ禍をいいことに、もともと社交性の低い私の薄い交友関係はさらに薄さに拍車をかけ、もはや5年着倒しているエアリズムのように擦り切れ寸前だ。
7日間くらいある休み中、人と会う予定はたった半日くらいしかなかった。

つまり、6.5日を自分の好きなように使えるのだ。
何をしようかな。せっかくだから今までやりたいけれどめんどくさくて後回しにしてきたことをやろう。

まずはシャワーだけじゃなくて、毎日お風呂(湯船)に入ろう。ちょっと良い歯磨き粉を買って、歯をちょっとでも白くしてみたい。
(歯が白いと実年齢より5〜10歳も若く見えるらしい!)
最近肌も乾燥気味だし、しっかり保湿してあげよう。朝ごはんも最近食べてなかった。
せっかくだからスーパーのじゃなくて、近所のパン屋さんで食パンを買ってみよう。

そうやってゆっくりと毎日を過ごしていって、
6日目にふと思った。
これ、もしかして「ていねいな暮らし」では…?

白状すると、私はその日の夜に風呂にも入らず、ひどい時は歯も磨かずメイクも落とさず、ソファーで毎日寝落ちするような人間だった。
遅刻しないギリギリの時間まで寝て、人間として最低限くらいの身支度をして出勤。
とりあえず1日の仕事をこなして、夜はカロリーの高い飯をドカ食いして、夏ポテトのワサビ醤油味を1袋たいらげてソファーで寝落ち、のループ。
(改めて見るとほんとにひどすぎる…)

それが毎日歯を磨いて、メイクを落としてからベッドで寝るようになった。
風呂にも入るし、朝ごはんも食べる。
世の中の大半の人にとって当たり前のことかもしれないけれど、私の中ではそれだけでじゅうぶん「ていねいな暮らし」に値すると思っている。

何も「ていねいな暮らし」は、
麻のワンピースを着たり、
自分でイチジクのジャムを炊いたり、
こだわりの豆から挽いたコーヒーを飲んだり、
ひよこ豆の煮込み料理を琺瑯の保存容器に詰める
「いかにも」なやつじゃなくても良いんだ。

毎日自分に向き合って、自分を労る時間がある。
「お、今日のパンはうまく焼けたぞ」と、毎日の少しの変化を感じ取れる余裕がある。
その日1日に着るもの、食べるもの、やることを「自分の心地良さ」を基準に選べる余地がある。

それが「ていねいな暮らし」なんだなって思えた。

だから、自分で選ぶことができていれば、
量販のTシャツを着ていても
レトルトのご飯を食べていても
「ていねいに暮らしている」ことになると思う。
むしろ選択肢を多く持って、自分が良いと思えるものをベストなタイミングで実行できることはとても豊かだ。

こう考えていれば、仕事をしながらでも「ていねいな暮らし」は続けていける気がする。

「やむを得ず」「仕方なく」ではなく、「私がそうしたいから」を増やしていく。
自分の生き方を自分で選んでいく。
「ていねいな暮らし」には、きっとそういう意味が込められているんだなって思った。


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