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バランスをとる、とはどういうことかを考えてみた

2024年は無理しない年にするといいらしい。

この本をみて無理しないで行こうと思った


私がずっと悩んでいるというか考えているのは、自分の生活のバランスのこと。
常々バランスとりたい、と思ってるけど
私の考えるバランスとは一体どんなことなのか。
そんなことを今回書いてみました。

ちなみに自分は仕事に偏っていて自分のやりたいことはできないと思っている。
ずっと仕事とのバランスかと思っていたけど、
仕事ではなく、仕事以外の時間での自分の中の配分(バランス)なのではないかと今日書いていて思いました。


1日24時間の配分

1日は24時間で、平日ならそのうち少なくとも10時間は仕事(通勤含む)、6時間は睡眠。
そうすると残りは8時間。
8時間も体感としてないのが実情だけど
そのうち半分くらいは家事やなにかの準備に追われているとして、自分の時間が3時間くらいはあることになる。
3時間もあるのになんだかいつもやりたいことができていない、と感じるのは
自分の中で何か形に残せていないからなんだろうなと思います。
何かを形に残せたら充実していると思えるのかもしれない。
それがnoteでの投稿なのか、SNSの投稿なのか
何かお金になることなのかはわからない。
今の生活は偏りすぎていると思っていたけど、それは仕事と生活のバランスとばかり思っていたけど、実はそうではなかったように思います。

バランスを取るとは

「バランスを取る」
一言で言ってもその取り方は実に様々だと思います。
人によって感じ方もちがう。
私は仕事とのバランスがおかしいとずっと感じていて、そこ(仕事)を減らすことを考えていたけど、
実はそれは生きていくためのデフォルトなので、仕方ないとどこか割り切っていて、実際はそれ以外の部分でバランスを取ろうとするほうが大切で、私なりのバランスではなのかも。
私にとってバランスは単に時間の配分ではなかったようです。

バランス=配分ではない

バランスとは、平衡、均衡という意味がある一方で、「調和」という意味もあることがわかりました。
「調和」は私の好きな言葉でもあります。
この調和は、全てが等しいわけでもなく、限られた中でのいい具合なのかなと私の中では思っていて、
今回のバランスを考えたときにもそうなのかなと思えました。

頑張れば毎日3時間は自分時間として使える計算になるのだけど、体感としてはそんなにない。実際はもっと少ないのか自分が使いたいように使えてないとからそう感じるのかもしれない。
仕事にかかる10時間に比べたら3時間はとても短いがそれが自分のために使えると思ったらこんなにあるんだ、と思えたので不思議だった。
単純に、時間で割ることがバランスをとることとは違うのだなと思った。
面白い。
結局は自分の使える時間を認識して、その時間が充実しているかしていないかなのかもしれないと思った。
そうすると単純に自由に使える時間が長ければいいというものでもないのかもしれないなと。
バランスのとり方は人それぞれ。
私はこの自分が自由に使える3時間をどう使うのか、どう守っていくかに注目して過ごしていきたいと思いました。
そこが充実している時間になれば、1日も1週間も1か月もバランス取れているなと思えるのかもしれないですね。

まとめ


年明けからKanaさんのコミュニティに参加していて、その中のテーマでジャーナリングして出てきたことを少し自分なりに掘り下げて今回の記事にしてみました。

きっと私の中で、バランスはいつも課題だったし、この仕事の時間がどうにかなれば!とずっと思ってきたし、
拘束されない仕事がしたいとも思ってきたけど、今の私には毎月決まったサラリーがあるこの体系が安心材料で必要ということも頭ではわかっているけど…と、もんもんとしていたのが少し解消されたような気がします。
バランスって常にとっているもの、というよりとりながら過ごしているものなんでしょうね。
1日では難しくても、1週間、1か月、1年…みたいな期間で見たときに、取れてるように調整することなのかなと思ったりしました。そういうこと日々自然とやってるんだと思います。
やはり日々の積み重ねも大切。そんなことも思いました。

まとまらなくなったので、このあたりにしておきます。
答えは都度変わるのかもしれないです。
みなさんにとってバランスを取ってるな、取れてるなと感じるときはどんなときですか。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

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