ウェディングハイとロクシタン
27歳、ご祝儀が飛んでいく今日この頃。
お茶しようよ、という誘いに乗って軽自動車を走らせる。
『かもめ食堂』インスパイア系のカフェに入る。
丁寧に野菜をこねくり回した1600円もするランチを食べて
延々と結婚式についての話を聞く。
お色直しのアクセサリーはどれがいいか
花冠を被りたいが、若すぎないか
聞いておいて、答えが決まっているらしい。
10代の終わり、理由もなく集まって、ただ一緒にいるだけで楽しかった時間は蒸発してしまったのだなと思いながら、聞き役に徹する。
早く終わらないかな。
常識的で、できる限り趣味が出ない結婚祝いを渡し帰路に就く。
また、ロクシタンが増えた。
「幸せな報告」という題目で人の耳と時間を豪快に使ってくれる友人たちは
決まって、ロクシタンをくれる。
もらいっぱなしではダメだ、という心遣いなのだろうが、
ああ、ロクシタンきっと持ってくるんだろうな。と思うし実際持ってくるので、こちらも何か買わなければならない。
人間関係の維持にはお金がかかるという現実をOIOIで噛みしめる。
そろそろ潮時だな。
また、お互い人生が落ち着いたら付き合えるだろう。
と思う場合は、できる限り刺激しないようにフェードアウトしたい所が本音だ。
心から祝福する気持ちは、もちろんある。
自分のことのようにうれしいし感慨深い。
親友という十字架の下、お茶という名の自慢大会ロードを並走する羽目にならなければ。ではあるけれど。
おそらく、社会的なお付き合いの人々にはうざがられちゃうかな、って本人も少し遠慮している部分を、全力投球でぶつけてくるのだろう。
だって、この人は興味があるんだもん。言ってもいいよね。聞きたいよね。
って所だろうし、
興味があるふりをしたのは私の意思。仕方ない。
なるべくして、こうなってる。
誰かに言いたい。誰かに聞いてほしい。
「誰か」になってくれる人が欲しい。
事情も分かるんだけど、
余裕がないとけっこうキツイ。
脳から変なホルモンでも出てるんだろうな、で受け流せるし
何の悪気もないことも全てわかっている。
それでも、限度といモノがある。
良い思い出もたくさんある。好きな所もたくさんある。
だからこそ、よくない感情が溢れる前に撤退したいのだ。
私は何もキャリアウーマンという訳ではないけれど
積み重ねてきた時間は、学生時代の自分とは違う部分を少なからず作った。
理不尽に耐え機嫌を取らないと仕事が終わらない。という部下の現実は、
社会的にお付き合いできる人の幅をぐっと広めてくれた。
失敗されることが分かっていても任せる。
聞いてほしいことを全部聞かない限り、こちらの話は聞いてもらえない。
など、上司としての顔があれば、笑顔で受け流せるし我慢もできる。
けれど、それは友達の顔とはちょっと違う。
ロクシタンを手に塗り、今日も働く。
ーーー式場の写真☆
ーーー妹たちの服装どうしよう!!
携帯が鳴っているけれど、見るのはよそう。
見たら返事をしなければならない。
浮かれてるなぁ……
自分の時はなるべく冷静でいようと決意ところで、ふと思う
冷静でいたら結婚ってできないよね。
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