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#24 ChatGPTを使うことの副作用

どうも。こみっくです。

小学校での人権教育は、子供たちが社会の一員として共生する基盤を築くための重要な要素です。以下に、小学校で大事にしたい人権教育を5点にまとめました。

  1. 尊重の精神の育成: すべての人が平等な価値を持つという考えを理解し、他者の意見や背景を尊重する心を育てること。

  2. 多様性の理解: 異なる文化、宗教、性別、障害、家族の形など、多様な背景を持つ人々に対する理解を深める活動や授業を取り入れること。

  3. 自己肯定感の醸成: 一人ひとりが自分の価値を認識し、自分自身を大切に思うことができるようにする。これにより、他者を尊重する基盤が築かれる。

  4. いじめや差別に対する意識の啓発: いじめや差別がなぜ問題であるのか、それが他者の権利を侵害する行為であることを理解させる。また、それらの問題に対する具体的な対処方法や予防策を学ぶ。

  5. 実践を通した学び: グループ活動やロールプレイを通じて、人権に関する考えや態度を実際に体験することで、理論だけでなく実践的な学びを得る。

これらの要点は、子供たちが健全な人間関係を築き、社会的な課題や問題に対して適切な態度で取り組む基盤となります。


この文章は、おなじみChatGPT君に「小学校で大事にしたい人権教育のポイントは何?」と質問して答えてもらったものです。
質問をして、ものの数秒でこの回答が返ってきました。
改めてスゴイ時代になったものです。

さて、ChatGPTを始めとしたAIを使って生活する時代はもうそこまで来ています。
というより、もう来ています。
例えば、siriやAlexa(アレクサ)なんていう便利なものを使っている先生もおられることでしょう。
それらももちろんAIです。
僕もアレクサを使っていますが、今日の天気を教えてくれたり、電気をつけてくれたりと、生活の質が飛躍的に向上しました。
僕たちにとってAIはなくてはならないものになっていくでしょう。

この動画は5年前に内閣府が提唱した「Society 5.0」を広報用にまとめたものです。5年前っすよ。
こういう世界がくるんですよ。というのを政府が言っていました。

私たちが暮らしているこの時代にAIが導入され、便利な世の中になっていく一方で今の子どもたちが大人になったとき世界はどうなっているのだろう。と疑問に思うと共に、怖くなることがあります。

いまある職業をAIがどんどん奪っていくことが聞いたことがある先生もおられるでしょう。
いまの子どもたちが大人になったとき、今よりさらに便利な世の中になっていると思います。
しかし、それと同時に生きづらさを感じる世界になっている気がしてなりません。

我々や子どもたちを含めた現代を生きる人たちに必要な資質の一つに「AIを使う側になる」ということがあると僕は思っています。
決してAIに使わされてはいけないのです。

例えば、さっき上に上げたChatGPTに答えてもらった文章。
これはAIによるアドバイスに他なりません。
これを鵜呑みにしてそのまま実践する。
これは本当に正しいのでしょうか?
AIがいっていることをそのまま実践する。
これは「AIに使わされている」ことになりかねません。
もちろん、参考にするのは構わないしチェックをしたうえで活用するというのは大賛成です。
もっとも、僕もよくAIの文章を引用しているからです。

しかし、人間である以上、自分の主観や思いがあります。
そこを大事にすることが本当に必要なことではないでしょうか。

ChatGPTを使うことの副作用はまさにここにあると思います。
つまり、AIに頼りすぎるがあまり、「自分の考えを持たなくなってしまう」そうして「AIに利用される側になってしまう」という怖さです。
それこそが副作用なのです。

何度も繰り返しますが、僕はAIをどんどん活用すべきだと思っています。ただ、使い方に気を付けて「AIを使う側になろうぜ」というだけです。

人権教育もそうですよね。
これは学校現場における最も大切な教育の一つです。
どれだけAIが発展しようとも、人と人の心のつながりはAIには分からないでしょう。
今の混沌とした世の中から、あらゆるものをそぎ落としていったとき最後、本当に大事なものとして根底に残るのは心を通い合わす「思いやり」ではないでしょうか。
こればっかりはAIには頼れません。
教師として働く以上、子どもを取り巻く人権問題に一人ひとりの心を持って取り組んでいければ素敵だなあ。と思います。

生徒指導でもそう。
何か問題行動が起こった時には「なぜこの行動に及んだのか」という観点を持つこと。
クラスの子なら普段の様子から分かることもあるでしょう。
これこそ人間である我々教師にしかできないことです。
AIに頼るところと、我々教師が自ら勝負するところをあいまいにしてはいけません。

この仕事をしている以上、自分にしかできないことが必ずあります。
教師という自分たちの仕事に誇りを持って2学期もぼちぼち頑張りたいですね!

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