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ああいうときってどうしたら

ここのところずっと風邪をひいている。今日で3週間目くらい。

一回なおりかけてまたはじめに戻っての2ターン目。2ターン目はこちらの体力もちょっとあがっている。
でも耐久的な感じですねえ。

私は、昨日ある行きつけのチェーンファーストフード店で、自分の話をされてるのを聞いた。知り合いではないひとに。
もうね、びっくりした。キーワード的に、いくつかあったんだけど、完璧に私のことだったし、その話してるひとが私の口調まで真似するもんだから、向こうがこちらに気づいてないのに、恥ずかしくてちょっといたたまれなかった。
あれは風邪による幻視幻聴ではないよなあ。
ああいうときってどうしたらいいんですかね。

このところの私ときたら、考えてることはたくさんあるはずなのだが、書けることがあんまりない。
ずーっとテニスのラリーで打ち直すことばかりしていたら、こちらからサーブを打つ感覚を忘れてしまったみたいだ。
こういうことが私には、ままある。

少し前、東京にいたとき、いまの私からみたら時間がびっくりするくらいあった。当時、自分はその時間をほぼもて余していた。まあ今なら仕事に使えよって思うんだが、その感覚がまだ身についていないときで、仕事に使っても趣味に使っても、時間があった。

たまたまその頃、祖父の調子がよくなくて、私はその時間を祖父の介護(というより介護しているひとのケア)に使った。

いまとなっては、それで良かったと思うし、その後祖父が亡くなったあとも時間があって良かった。
身内の介護っていうのは、自分の家族関係や家族と過ごしてきた時間を振り返ることになってしまうんだ、ってことが、よーくわかる経験でもあった。
あと、祖父が亡くなったあと、初めて自分が長女で3きょうだいの一番上の姉なんだっていうことを自覚した。これはそのときまでの私の人生にはなかったことだった。

親には複雑な思いがあるが、素直に感謝していることもある。それは私をお姉ちゃんと一回も呼ばなかったことだ。(上の弟もお兄ちゃん的な呼称はない)
私たちは、常に名前(愛称)で呼ばれてたし、きょうだい間でもそう呼びあってきた。
そのせいが大きいと思ってるのだが(あとたぶん私だけ年が離れてるのもあり)、私は自分のことを「姉」だと認識したことがほとんどなかった。
ややひとりっ子時代の長かった、ふらふらした長子、昔の家には1人くらいこんなんいたよねくらいにしか思っていなかったのだ。

祖父が亡くなったとき、正直私の目からみて親が使い物にならず(憔悴していたという意味ではなく、対外的に役にたたなかった)、葬式やらなんやらは祖母が取り仕切っていたので、私ができることはほぼやった。親の仕事の手伝いまでやった。
その頃、ふらふらしていた下の弟は葬式で泣きまくり、結婚している上の弟は、本人にその意図はなかったと思うが別の家族です的な感じで参列し、私は裏方仕事をしていた。
そのとき、あ、私、長女じゃんって初めて思った。別に、弟たちのそういう態度に腹がたつわけでもなく、彼らは言われないと動けないので、人手が足りないときは、ガンガン使った。

葬式では泣けなかった。というか、泣き方がよくわかんなくなっていた。
その頃読んでいた小説で、身近な人の死は忘れたころに現実に噛みついてくるみたいな描写があって、そうなんだ、それはこわいなぁ、ひとり時差は嫌だなあと思っていた。
どんなに注意してても、それはくるような気がして、常に警戒していたら、祖父の死がいつも身近にあるような感じにもなってしまった。

その数年後、人前で話す機会をもらい、今に至ってるのだが、ひとつのテーマとして「死」の話をしないとならず(いま思えばそんなこともなかったんだけど)、どうもそれに取り組みたくない自分がずっといた。ある程度のことは話せる。でも、自分がその話をしたくないっていう感覚が3年くらいあった。
今年、それがなくなった。
でも、祖父の死が自分のなかでなくなったわけではもちろんない。
現実が噛みつかれていたのだろうか。それが終わったから、心のつっかえみたいなものがはずれて話せるのだろうか。

死をめぐる話はいまでも別に好きなわけではない。ロマンティシズムと欺瞞と美しい言葉で溢れているからだ。
美しい言葉は何かを大抵隠している。
だから、私は美しい言葉は好きじゃない。

美しい言葉に対抗できる言葉を常にさがしている。

(三木)