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ダンスは止められない

最近の私といえば、仕事をするか寝ているかである。あ、当たり前か?
毎日暑いので、ただでさえ無い思考力が低下している。ゼロからマイナスである。暑くないところにいると、からだが暑さから解放されたのかと勘違いしているのか、すぐに寝てしまう。
暑さを感じるところは、脳の怒りを感じるところとほぼ同じ?らしく、納得納得。私の場合は、怒りを通り越して、暑くて悲しいけど。

とにかくあんまり考えることができないので、ここしばらくの好きなことについて書きます。
この3ヶ月くらいは逃避的にBTS(防弾少年団)のダンスばっかり見ている。
心がよくわからない、どうしようもないもやもやで占められるときは(今回は暑さなんだけど、気候とか自分ではどうにもできない)、まったく違う何かをみるとずいぶん気休めになる気がする。日常は気休めなことにずいぶん助けられる。

BTSで好きなところは、ダンスのフォーメーションとステップと振り付け。あれ、これって全部かな?
フォーメーションが面白いのは、彼らは7人グループだけど、場合によって数人(ときには1人)を残して捌けたりする。そういうのって韓国では当たり前なのかな。日本ではなかなか見ない。
捌けたりすることでメリハリがつくのと余白ができる。その余白が面白いところな気がする。

ステップっていうのは、私のなかでは数学の方程式とか図形問題と似ている。一番わかりやすくてスムーズなやり方が決まってる。無闇にやってもバタバタしてるだけで、それはステップにはなり得ないのだ。
BTSのステップはわりと細かいものもあるので、見てるとそれだけに集中できる。どうなってるんだろうと見始めて考えてるときに、頭のなかに言葉は存在してない。からだだけを見て、からだで考えている(実際にやってみないとわからないところがあるから)。
からだの使い方っていうのは、おもしろい。
理由がよくわからないけど、おもしろい。たぶんパーツだけじゃなくて、からだ全体がつながっているのが頭でもからだでもわかるからだと思う。

思えば昔から踊りの好きな子供ではあった。
しかし、私には踊りの才能がほんとになかった。からだが踊ることにまったく向いていなかった。踊るのは好きだったけど、でも集団でやるから、好きだけではどうしようもない、向いてないのがわかってしまうわけですね。

それでも、いまでも踊りを見るのは好きだ。どんなものでも好きだけど、ひとつのジャンルだとどうしても飽きてきてしまうので、あまり限定しない。そういう意味で宝塚っていうのは、様々な分野をみせてくれるのでありがたいわけです。
ただ、からだの全体的な動きがわかりやすいもののほうが、私にとってはみていて楽しいのかなと思う。
自分に踊りの才能がないからなのか、踊りのうまいひとは、問答無用で尊敬する。踊りがうまいというのはひとつの万能感だと思う。厳しい訓練がいるとはいえ、自分のからだを思い通りに表現するというのは、それだけで万能ではないか。
たとえば歌でもそうだけど、芸術に関わる何かに非常に長けたひとは、その表現をしている間、自分ではないこの世でもない、何か別のものを見ている、何かこの世ではない別のものと交信している(ようにしか見えない)。いわゆるゾーンに入るってやつなのだろうが、そのひとにしか見えない何かをみているんだと思う。そういう目をしている。それを見ると、この世界と別の世界をつなぐというか、そういう媒介者にも見えなくはない。だから、踊りが神様に奉納されるというのは、よくわかる。違う世界とこの世界をつなぐありがたみすら感じられるのではないか。

いまのからだでは無理なので、あと10回生まれ変わったら、踊りの名手になりたい。
それまではたくさん踊りをみておきたい。
(三木)