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「日東電工社長 『聞かぬは恥』は100日まで」に注目!

日東電工社長 「聞かぬは恥」は100日まで - 日本経済新聞 (nikkei.com)

日東電工の高崎秀雄社長の歩みをまとめた記事です。

日東電工は2031年3月期の営業利益を前期実績比1.6倍の2400億円に高める目標を掲げました。足元で電子部品業界は市況低迷で苦戦するものの、同社は並行して先行投資を進め次の成長機会を狙います。社長就任から10年目の節目を迎えた高崎秀雄は自身の経験をひもときながら半歩先んじた判断ができる集団こそ生き残れると社内に発破をかけます。

時は第2次オイルショック。就職活動を始めたときは企業の求人が絞られており、周囲には就職浪人があふれていました。最初に内定をもらったのが絶縁材メーカーの日東電気工業(現日東電工)だったとのこと。「当時は選択の余地はなかったが、今思えばこれも縁だったのかもしれない」と笑います。同期入社約20人のうち大半は技術職でしたが、営業職として採用されたそうです。

絶縁材の営業でまず上司に言われた言葉が「(電気ケーブルメーカーなどの)顧客のところに朝から晩まで毎日行け」。最初は迷惑がられて「苦痛でしかなかった」が、そのうちミカンをくれたり「なんでこの前は来なかったんや」と声をかけられるようになったり。3〜4年で人間関係を構築し、6年で業界の全体像を語れるようになったとのことです。

すると営業成績も上がり始めたそうです。業界のトレンドを見ながら、その構成要素であるメーカーの足元の需要に即した営業提案ができるようになったためです。「提案するにはニーズを把握する必要があり、本当のニーズは確固とした人間関係がなければ得られない。巡り巡ってこの時、上司の言っていたことが理解できた」と話します。

電子部品の営業を経て1996年、長野県の営業所長に配属となりました。現地の主要産業は農業です。農業向けの取引先開拓を模索していたある日、車を飛ばして午前4時半ごろからキャベツ畑の収穫風景を眺めていました。老夫婦が収穫したキャベツを重そうにしながら段ボールに詰めている姿を見て「何とかせなあかん」と思ったそうです。

スーパーマーケット向けに生産していた段ボール底面に自動でテープを貼る機器を、本来の用途とは異なる農業向けとして農協に売り込みました。すると当時1台30万円の機器が1週間で100台と飛ぶように売れたそうです。高崎が今も標榜する「現場主義」の原点はこの時の経験にあるといいます。

その後、営業畑一筋でやってきた高崎の最初の転機が訪れます。2000年、埼玉県深谷市にある関東事業所に事業部長として赴任しました。「小さな事業部ではあるものの製造から品質管理、経理までを取り仕切る立場となり初めて経営を意識するようになった」と振り返ります。当時は赤字の事業部であり、それを黒字化することが最大のミッションでした。

とはいえ「一体何をすればいいのか」。途方にくれたそうです。迷った末に着手したのが「ひたすら聞いて聞いて聞きまくること」だった。バランスシートの見方を経理に聞き、成績の上がらない製品を生産する工場現場に理由を聞き、営業に何がネックとなっているのかを聞きました。数字と実際に現場で起こっていることの因果関係が頭のなかで結びつくまで繰り返し確認したそうです。

原因は成長が見込みにくいが惰性的に続けていた事業にも多くのコストをかけていたことだったそうです。「強い事業を伸ばしそうでない事業は縮小か集約する」ことを徹底しました。配置転換を含め事業構造のテコ入れの経験はなく「自信はなかった」ものの、自らが納得するまで追究した赤字の原因を自分の言葉で説明することで従業員の納得につなげたとのことです。

この時学んだことは「(異動から)最初の100日は部下を含めた誰に何を聞いてもいい。ただし100日過ぎたら『聞くのは恥』となる」。新たなトップは100日後には自ら経営判断を下す必要がありますが、それまでのインプットの質が、その判断の成否を左右します。この考えは「今も変わらず、役員など異動者には全員に伝えている哲学だ」といいます。

その後は再生請負人として、赤字の欧州本社(ベルギー)に赴任。問題の根幹は「深谷と同じ」であったことから、経験を生かし立て直しに尽力しました。ガバナンスにも課題があり現地の人材で構成していた経営陣を刷新。反発はあったが酒場などでの1対1や会議の場で丁寧な説明を重ねました。「深谷での経験が生きた」といいます。

とがった技術を持ち、小さくともその分野で不可欠な部品を供給する「ニッチトップ」戦略を令和の時代にも貫徹させます。時代の流れに取り残されるのではなく、少し未来を先読みした経営判断のスピード感を社内に広く求めています。

日東電工は新用途開発と新製品開発に取り組むことで、新しい需要創造を行う「三新活動」を行っています。例えば、高崎社長の話に出ていた絶縁材では、電気絶縁用ビニルテープから自動車部品表面保護フィルム、ステンレス表面保護フィルム、自動車用塗装保護フィルム、光学部材表面保護フィルムへと進化することで、新たな顧客や業界における需要を創造してきました。

また、高崎社長はオルガンが趣味で日曜日は弾き語りすることが恒例になっているそうです。その理由は、たまたま家にピアノがあり、高校時代に独学で始めたことがきっかけ。青春時代に英ロックバンド、プロコル・ハルムの「青い影」を聞き、ハモンドオルガンの音色に魅了されたそうで、教会などにあるパイプオルガンの音色を再現した電子鍵盤楽器の一種で、社会人になってから自費で購入したとのことです。

これからも、日東電工のイノベーションのDNAに期待しています。