見出し画像

【第二の性】私たちの血の中、骨の中に深く根を張る「差別」

この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ、「武器になる哲学×私の実体験」に基づいて、いくつかの記事を書いています。

第一回となる以下の記事は「世界は本質的に公正ではなく、努力が必ずしも報われるわけではないが、しかしそれでも ”公正を目指す” ことが私たちの責務である」という内容であり・・・

第二回の記事では「公正性の追求が個人に与える心理的圧力と、その結果として私たちが社会から下される評価の問題について、”本当に公正は望まれているのか?” よくよく考えてみる必要がある」という指摘をさせていただきました。

上記二つの記事の内容は、一見すると「矛盾」しています。

前者では「そもそも世界は公正ではないが、それでも公正を目指すべき」と主張しているにもかかわらず、後者では「それでは仮に公正を達成したのならば、その反作用により強いストレスを感じる人々が急増してしまい、自己肯定もへったくれもなくなってしまう」ということを述べているのです。

それなのになぜ、更に加えて ”それでも叶えなきゃならない公正さがある” という記事を書いているのか?

私なりの結論としては「社会に根強く存在するジェンダーバイアスの認識と、それらによって抑えられる女性の可能性の解放に向けた ”公正” についての意識改革をしなければならない」とでも表現すればよいでしょうか、これが私たちの社会に数ある解決すべき大きな問題のうちの一つであると、そう強く感じています。

さて、さっそく本題です。まず始めに「武器になる哲学」からそのまま抜粋する以下の文章をご一読ください。

そういえば以前、こんなことがありました。 産休で休んでいた女性の昇進について審査していた際、非常に尊敬していたオランダ人の上司が突然立ち上がり、 屹然として次のように指摘しました。

「日本は文明国だと思っていましたが、今日の皆さんの議論に非常にショックを受けています。このような前時代的で女性差別的な議論が、世界中の弊社オフィスのどこかで行われているとは考えられないし、さらに言えば許されているとも思えない。」

このとき、とても印象深かったのは、その場にいた日本人のほとんどが、豆鉄砲を食らった鳩のように「キョトン」としていたことです。つまり、「全く悪意もなく、ましてや意図的に差別してやろうという気もなかったにもかかわらず、そのような指摘を受けたのは心外だ」ということです。 この点にこそ、この問題の根深さ、難しさがあります。

指摘を受けてバツが悪い思いをするようであればまだいい。「痛いところつかれた」と思えるのは、そう思えるだけの罪悪感をすでに持っていたということです。しかし、この場合はそうではなく、指摘されてもなおその場にいた人たちには「自分たちのどこにそのような性差別的な意図を感じたのか?」が、よく分からなかったのです。

会議に参加していたのは外資系コンサルティング会社の役員ですから、基本的には非常にリベラルな価値観を持った集団のはずなのですが、そのような人たちですら、知らず知らずのうちに「人の昇進を審査する」といったデリケーターな局面では、自分たちに染み込んだジェンダーバイアスに絡めとられてしまうのだということが、この経験からよく分かりました。

お読みいただいたうえで、私たちが真に気を付けなければならないのは「自分はそのようなバイアスからは自由だ」と誤解することだと思っています。むしろ「自己欺瞞」に陥っていると表現した方が良いかもしれません。なぜか?同著は以下のように語っており、過去の私自身がまさに「無意識的に自分自身を欺いている」ことに気が付けていなかったからです。

この国の性差別はとても根深く、私たちの眼に見えない形で、血の中、骨の中に溶け込んでいます。

少し極端かもしれませんが、私はこのバイアスから自由でいる人は、いまの日本には一人もいないのではないか?と考えています。

男らしさ(女らしさ)を求める傾向の強さ

この点を考察するにあたって、オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステードが提唱した「男性らしさ対女性らしさ」を取り上げてみましょう。ホフステードは IBM からの依頼を受け、各国の文化的差異を次の六つの次元に整理しました。

①Power distance index(PBI)上下関係の強さ
②Individualism(IDV)個人主義的傾向の強さ
③Uncertainty avoidance index (UAI)不確実性回避傾向の強さ
④Masculinity(MAS)男らしさ(女らしさ)を求める傾向の強さ
⑤Long-term orientation(LTO)長期的視野傾向の強さ
⑥Indulgence versus restraint(IVR)快楽的か禁欲的か

注目するのは四番目の「男らしさ(女らしさ)を求める傾向の強さ」です。ホフステード自身は、この指標について次のように説明しています。

まず「男性らしい社会」(ホフステード自身はイギリスを例に挙げています)では、社会生活を行う上で男女の性別役割がはっきりと分かれる傾向が強くなります。また、労働にも明確な区別が生まれ、自分の意見を積極的に主張するような仕事は男性に与えられます。男の子は、学校で良い成績を取り、競争に勝ち、出世することを求められます。

一方「女性らしい社会」(ホフステード自身はフランスを例に挙げています)では、社会生活の上で男女の性別役割が重なり合っていて、論理や成果よりも良好な人間関係や妥協、日常生活の知恵、社会的功績が重視されます。

ホフステードが同依頼を受けて調査した時点において、前者の「男性らしい社会」のスコアで、日本は残念ながら調査対象となった53カ国中でダントツの1位でした。 ちなみに女性進出が世界で最も進んでいると言われる北欧諸国は反対におしなべで低く、例えばスウェーデンは最下位の53位となっています。

こちらのリンク先で最新のデータが確認できますので、よろしければご自身の眼でご確認ください。「面倒だ!」と仰る方は、以下のデータをご覧ください。一瞥するだけでもお分かりいただきやすいように、アジアとヨーロッパに絞っています。

上がアジアに絞ったデータ、下がヨーロッパです。

圧倒的右上にいる日本
圧倒的左下にいるスウェーデン

実にわかりやすい結果ですね。日本では、2022年に他界した安倍前首相が率いる政権時代から「女性の活躍」が政策目標に掲げていますが、日本を女性が働きやすい社会にするというのは、実は極めて挑戦的な目標なのだ、ということをまずは自覚しておきましょう。

この挑戦的な目標をどのようにして攻略していくのか。ポイントになるのは、社会で実権を握っている男性たちが、自分たちが囚われている社会的性差に関する認識や感性の歪み、いわゆる「ジェンダーバイアス」について、どれくらい自覚的になれるか、という点です。

ジェンダーバイアスとは、性別に基づいた不当な偏見や差別を指します。これは、特定の性別に対するステレオタイプや先入観によって形成されるものです。例えば、職場において、男性が女性よりも昇進や賃金の面で優遇される場合、それはジェンダーバイアスの一例です。

私自身に置き換えると、私は若い頃に6年余り営業の職に就いていました。そんな当時の私の営業活動をサポートをしてくれていた人は皆が女性でした。「営業事務」「アシスタント」「秘書」など色々な呼称があるとは思います。当時の私は彼女らの仕事について、ある違和感を持っていました。違和感?それは「彼女らは、男性より忙しくしている」という事実です。

当時の役職者は皆が男性でした。数字を稼いでくる私のような営業職も全員が男性でした。私たち男性は「忙しい」という印象を与えたいのか、秘書やアシスタントに自分の事務処理などといった作業を押しつけていました。しかし、押しつければ押しつけるほど、男性の作業は減り、女性の作業は増えていく一方です。入社してすぐにはそれが当たり前だと教わっていましたが、この違和感=女性が忙しいという事実に気づいてからは、慌てて謝罪し一緒に作業をこなしたことを記憶しています。

皆さんの職場でも、未だにこうした無意識のジェンダーバイアスに捕らわれている人はいませんか?私たちは「男らしい仕事」「女らしい仕事」といった無意識的な概念に、いい加減に気が付かなければならないと思うのです。

一人ひとりが、職場に根強く残るジェンダーバイアスに意識的になることが大切です。そのうえで、先述した「武器になる哲学」の引用にあるように、昇進の意思決定の際などに、間違っても「男らしさや女らしさ」を持って評価するなどあってはならないと、留意しておく必要があるでしょう。

そんな評価・・・されたいですか?・・・許せますか?

ジェンダーギャップ、日本は何位?

現状認識だけはしておきましょう。

結論から参ります。日本は146か国中125位で、2006年の公表開始以来、過去最低です。

これは、2023年6月21日に世界経済フォーラム(WEF)が、男女格差の現状を各国のデータをもとに評価した「Global Gender Gap Report」(世界男女格差報告書)によるものです。

この報告書は、各国の男女格差を「経済」「教育」「健康」「政治」の4分野で評価し、国ごとのジェンダー平等の達成度を指数にしています。

ちなみに、1位は14年連続でアイスランド、このアイスランドは最新の世界幸福度ランキングでも4位です。更に、ジェンダーギャップ指数2位はノルウェー、3位はフィンランドですが・・・どちらも世界幸福度ランキングも上位なのです。北欧・・・素晴らしい。

第二の性

「第二の性」という言葉を述べたのは、20世紀に活躍したフランスの作家・哲学者であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールです。ボーヴォワールという人は、今で言うフェミニストの走りで、社会的な圧力によって押し込められる女性の可能性の解放を激烈に謳った人です。

ボーヴォワールはその主著「第二の性」の冒頭において、有名な「On ne nait pas femme, on le devient(オン ヌ ネ パ ファム、オン ル ドゥービア)=人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と述べています。この言葉は、アフォリズムとしても簡潔でわかりやすいこともあって、20世紀後半には様々な場所で人口に膾炙することになっていったそうです。

つまり、ボーヴォワールは「生物学的な女性」と「社会的な女性」とを整理した上で、生まれつきの女などはいない、みな社会的な要請の結果として「女らしさ」を獲得させられるのだ、と指摘しています。

この指摘はボーヴォワールが生まれ、人生を送った当時のフランスの状況を前提にしているわけですが、「女性らしさを獲得せよという圧力」が、時代や社会をどう変えられるか考える必要があると、私は考えています。

改めて別のデータにて直近の証左を確認しておくと、日本の企業における女性管理職の割合は2022年度で12.7%となっており、これは前年度からわずか0.4ポイントの上昇にとどまっています。この数字は、国際的に見ても低い水準であり、特にG7諸国中では最下位に位置しています[1]。

日本の企業に絞って見てみると、小規模企業では女性管理職の割合が高い一方で、大規模企業ではこの割合が低くなる傾向があります。10人以上30人未満の企業では21.3%であるのに対し、300人以上1000人未満の企業では6.2%、1000人以上5000人未満の企業では7.2%、5000人以上の企業では8.2%となっています[1]。

男らしい社会が良いのか、それとも女性らしい社会が望ましいのかといった安易な二元論で片づけるつもりはありませんが、しかし上記したデータでも、あるいは日本とスウェーデンのジェンダーギャップデータでも、非常にわかりやすい結果=男女差が現れていることもまた事実です。

私は「女性らしさを獲得せよ」という圧力をポジティブに活用することが可能であると考えています。日本では、国際的な基準に比べるとまだまだ遅れを取っていますし、特に大規模企業における女性管理職の割合の低さに、日本の職場における性差別の問題を示しています。

一方で、現代の社会では、男性もまた性別による固定観念から脱却し、女性と同じく多様な役割を担うべきです。職場における女性の進出は、男性にも新たな役割モデルを提供し、性別に基づく固定観念を超えた多様性のある職場環境を実現することに貢献します。

ボーヴォワールの示した「女になる」という過程は、当然ながら男性にも適用されます。私たちが女性の進出を支持し、共に成長する機会を得ることを意味しています。女性の進出を通じて、男性もまた自己のアイデンティティを再構築し、より平等で公正な社会の実現に向けて前進することができます。

女性の職場進出は、単なる雇用の問題を超え、男女共に新たな価値観を築き、より豊かで多様な社会への道を切り開くものと言えます。


2024/1/29追記:

その道は「何が悪なのか?」を知ることで見えてくると思います。よければ、半年前に書いた以下の記事をご参考いただければ幸いです。

キーコンセプト④「悪の陳腐さ」


[1]企業の女性管理職の割合12.7% 厚労省「国際的には低い水準」 | NHK | 生労働省



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ1.現状認識:この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ

キーコンセプト③.第二の性

もしよろしければ、サポートをお願いいたします^^いただいたサポートは作家の活動費にさせていただき、よりいっそう皆さんが「なりたい自分を見つける」「なりたい自分になる」お手伝いをさせせていただきます♡