見出し画像

【自由からの逃走】「鋭い考察」はいつも「鋭い問い」から生まれる

「自由」とは何か?

とても広く、深く、大きく、そして難解な問いです。

この問いについて、ドイツ出身の社会心理学であるエーリッヒ・フロムは、その著書『自由からの逃走』において、「自由」という概念を「〜からの自由」と「〜への自由」とに分けて考察をしました。

「~からの自由」

個人の自由を完全に否定し、国家の権威に全ての個人生活の側面を従属させようとする政府の形態を「全体主義」といいますが、この全体主義からの自由に関しては、人間の自由を測定する包括的な指標である「人間の自由指数(HFI)」という指数が参考になります。

この指数は、世界人口の98%以上を代表する165の国と地域をカバーしており、「自由についてのグローバルな測定」としては最も包括的なものの一つとされています。法の支配、安全と保障、移動の自由、宗教、結社の自由、表現の自由、情報の自由など、多岐にわたる要因に基づいたもので、83の異なる指標を基に、個人的および経済的自由を測定しています。

このような指数をランキング形式にして見てみると「だいたい日本は悪いスコアなんでしょう?」という向きがあるかと思いますが、2022年の結果を見てみると、なんと日本は世界の国々と地域の中で「16位」にランクインしています。どうやら日本は比較的高いレベルの個人的および経済的「自由」を享受しているようだ、ということが見えてきます。

ただし、もちろん日本はそもそもが「先進国」であるということを忘れてはならず、私の書き方では若干ミスリーディングな表現に感じさせてしまうかもしれないですね。

さて、そんな「既に自由を手にしている」と言えるような状態にある現代を生きる私たちは、それでもなお「自由がない」と感じたり、「自由がほしい」と願ったりしながら日々の生活を送っています。

ではあらためて、ここでフロムの言う「~からの自由」について見ていくと、彼によれば「〜からの自由」だけでは十分ではないと唱えているのですね。この考えが同著の中心的なテーマの一つです。

「〜からの自由」はある種の抑圧や制約からの解放を意味しますが、それだけでは人間の潜在能力を完全に発揮するには不十分であり、実際には新たな形の不安や孤立を生むことがある。

その理由として彼は、単に外部の制約から解放されるだけでは、人は自己の内面にある生きる目的を見出すことができず、結果として「方向感」やその「意味」を見失う可能性があるから、と述べています。

自由とは、耐えがたい孤独と痛烈な責任を伴う

現代に生きる私たちは、無条件に「自由」を良いものだと考えています。しかし、本当に「自由」というのは、そんなに良いものなのでしょうか?フロムは、私たちの「自由」に対する認識に大きな揺さぶりをかけます。

あらためて考えてみれば、『自由からの逃走』というのは奇妙な言い回しです。私たちは、「制約や束縛」から「逃走」して「自由」を獲得するというイメージを持っています。しかし、フロムの題名は『自由からの逃走』となっている。

なぜ「自由」から「逃走」しなければならないのか?フロムは以下のように考察します。

市民が、中世以来続いた封建制度への隷属から解放されるのは、ヨーロッパでは16世紀から18世紀にかけて、ルネサンスと宗教改革を経てからのことです。日本でいえば明治維新を経てから、ということになるわけですが、この過程で市民が「自由」を獲得するまでには数えきれないほど無数の犠牲が伴っています。いわば「自由」というのは非常に高価な買い物であったわけですが、ではその高価な「自由」を手に入れた人々は、それで幸せになったのでしょうか?

フロムはこの問いを考察するに当たって、ナチスドイツで発生したファシズムに注目します。なぜ、高価な代償を払って獲得した「自由の果実」を味わった近代人が、それを投げ捨ててまでファシズムの全体主義にあれほどまでに熱狂したのか?

鋭い考察」はいつも「鋭い問い」から生まれます。この「問い」に対するフロムの回答もまた、私たちに突き刺さるような鋭いものです。

確かに「自由」は個人に選択の自由を与えるが、それは同時に耐えがたい孤独と痛烈な責任を伴う。疎外感を感じながら自分たちの選択に対して全責任を負わなければならず、その重圧は耐え難いものになることがある。人々は次第に疲れ果て、とても高価な代償を払って手に入れたはずである「自由」を投げ捨て、ナチズムの全体主義に傾斜することを選んだ。フロムの分析をまとめればこのようになります。

特に、ナチズムの支持の中心となったのは小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者などから成る下層及び中産階級だったという点にも注意が必要でしょう。というのも、いままさに日本で進んでいる「自由な働き方」の主な対象となっているのも、同様の層だからです。

私自身もまさにその層に属している。ということは、私もそのような全体主義に傾倒していってしまうのでしょうか?・・・あり得ないですね。「本当に良いのか?せっかく手にした自由でしょう?」と、喚き散らかすことでしょう、絶対に。だからこそ「このような」記事を書いているわけですからね。

そうです、「ヒトラーは悪である」ということばかりが語られがちですが、彼を選んだのは国民です。自由に伴う孤独と責任という不安から逃れるために、一人ひとりが強力なリーダーシップを選んだということなのです。

権威主義的性格

フロムはまた、自由から逃れて権威に盲従することを選んだ一群の人々に共通する性格特性についても言及しています。フロムはナチズムを歓迎した中産階級の人々が、自由から逃走しやすい性格、自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めやすい性格であるとし、これを「権威主義的性格」と名付けました。

彼によれば、この性格の持ち主は権威に付き従うことを好む一方で、他方では「自ら権威でありたいと願い、他のものを服従させたいとも願っている」。つまり、自分より上の者には媚びへつらい、下の者には威張るような人間の性格です。この権威主義的性格こそが、ファシズム支持の基盤となったものだとフロムは言います。

これは、皆さんの周りにも無数に存在しているはずです。「上司にゴマをすり、部下にパワハラする」という行為だけではありません。「クライアントに媚びを売り、下請け以下の業者に偉そうな態度をとる」「仲良しグループを優遇し、新参や強調しない者らを冷遇する」「マイノリティを崇め称え、マジョリティをコケ堕とす」これらは全て同じなのです。

ではどのようにすれば「自由の果実」を真に享受できるのか?先人たちが犠牲を厭わず高い代償を払ってまで叶えてくれた「自由」を謳歌することができるのか?あるいは自由から逃走するのではなく、自由と共に闘争できるのか?『自由からの逃走』の最後に、フロムは次のように回答しています。

「~への自由」

「人間の理想である、個人の成長、幸福を実現するために、自分を分離するのではなく、自分自身でものを考えたり、感じたり、話したりすることが重要であること。さらに、何よりも不可欠なのは「自分自身であること」について勇気と強さを持ち、自我を徹底的に肯定することだ。」と。

私たちが自己のアイデンティティを確立し、自分自身との関係および他者や社会との健全な関係を築くためには、「〜への自由」、つまり自己実現の自由、自己の能力や可能性を最大限に発揮する自由が必要である、というのが彼の主張です。

現在の日本で生を営む私たちは、企業や地域などの職場と離れ、自由に生きるということを絶対善として崇め奉りながら、「そこ」には一切の疑いを挟まないことを前提として、さまざまな施策を講じています。パラレルキャリア、働き方改革、第四次産業革命などは全て、中世から近代、近代から現代へと連綿と続いている「自由・解放」という大きなベクトルの上にある。

しかしでは、本当に私たちは、組織やコミュニティからの束縛を受けない、 より自由な立場になったとして、本当により幸福で、豊かな生を送ることができるようになるのでしょうか?自由というものが突きつけてくる重りに対して、私たちはあまりにも訓練されていません。

ではどうするか?自由の追及をあきらめて、全体主義の衆愚に陥るべきなのか?確かに今でも世界には中国・ロシア・ベラルーシなどそのような流れとして整理できる国が増えてきています。

あるいは職業が世襲され、身分が固定されていた中世のような世の中に戻るべきなのか。そのような社会の方が心地よいものに感じられる、という人も少なくないでしょう。「政治家」や「〇代目社長」と呼ばれる人たちもそうかもしれません。

あるいはまた、自由というものが突きつけてくる孤独と責任を受け止めながら、 より自分らしい生を送るための精神力と知識を持った人々を育てていくのか・・・。果たしてそれは可能なのでしょうか?

可能です。フロムの分析は、自由が私たちに重い責任をもたらすことを認めつつ、それを乗り越えるための内なる強さと教養が重要であることを強調しています。自由を追求する過程で直面するかもしれない孤独や不安に打ち勝つためには、精神的な成長が不可欠です。全体主義の誘惑や過去への退行ではなく、自己の力を信じて、より自分らしい生を送ることが、私たちの目指すべき道です。

これをひと言で表現すれば、それは「自我と教養の強度による」ということになると思います。

私たちには、「より充実した人生を築くための選択肢」が無限にあります。普段は意識をしていないが故に、それらに気がつかないだけなのです。フロムの教えは、私たち一人一人が自由と責任を受け入れ、自己実現への道程を、勇敢に歩み続けることの価値を再確認させてくれます。



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ1.現状認識:この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ

キーコンセプト10「自由からの逃走」

もしよろしければ、サポートをお願いいたします^^いただいたサポートは作家の活動費にさせていただき、よりいっそう皆さんが「なりたい自分を見つける」「なりたい自分になる」お手伝いをさせせていただきます♡