西洋教育史概説のおもいで

私は教育学部を出ているのだが、そこに「西洋教育史概説」という授業があった。私は、教育学部にいる者として西洋の教育史を知っておくことは重要だと思っていたし、この科目が教員免許状取得のための単位にカウントされるということもあって受講したのであった。今回はそのおもいでと今にどう繋がっているかを語ろうと思う。

結論から言うと、この授業はまったく西洋教育史の概説ではなかった。

担当教員は川本隆史先生。ロールズ『正義論』の翻訳で有名であり、博士論文は『現代倫理学の冒険』。この時点で明らかに歴史の専門家ではなく、倫理学(それも主にここ200年ほどの倫理学)の専門家である。

授業内容も、西洋教育史のキーワードであるという建前で、「理性」「労働」「社会」「正義」「ケア」といった概念を掘り下げるという内容であった。私は寡聞にして、そのような歴史観は聞いたことがない。つまり実態は、教員が自身の専門領域を語るだけの講義だったのだ。

私は西洋教育史の授業だという認識で出席しているから、徐々に何を目指しているのかが分からなくなり、やる気を失っていった。そんなわけで当時この講義が面白かったとは到底言えなかったのだが、今から思えば、現在に最も影響を与えているのはこの講義なのだ。いくつかポイントをみていこう。

①疎外論をベースにしたマルクス解釈を学んだ。

周知の通り、マルクスをどう解釈するかという問題はあまりに論争が激しい。その中の派閥の一つに、『経済学・哲学草稿』に主として現れる疎外論をベースにした解釈というものがある。いわく、最晩年の『資本論』に至るまで、マルクス理論の核心にあるのは疎外論だというのだ。

実は私はこの解釈をとる立場なのだが、それは川本先生の影響である。『経済学・哲学草稿』を引きつつ、疎外論や、その前提となる人間の労働の特質(ビーバーなどと違って、最初に頭の中でプランを考えてから実行するという点)を私に紹介したのは川本先生だったのだ。

とはいえマルクス疎外論は難解なので、私はその後『経済学・哲学草稿』と格闘したり、疎外論について論じている論文を読んだり、疎外論と物象化論の論争などマルクス業界の事情を学んだりした。その中で疎外論やマルクスの理解が深まるとともに、原典(この場合『経済学・哲学草稿』や『資本論』)の読み込みやそれをめぐる論文の収集といった人文科学的な調査・研究スキルを身に付けられたと自負している。後者のスキルは実務の上でも生きるものである。

②ニッチだが重要な文献を数多く知った。

そもそも西洋教育史概説と言っておきながら倫理学の授業をやる時点でおかしいのだが、その中で取り上げる文献というのもニッチなものが多く、倫理学概説ですらなかった。しかしそうでなければ一生知らなかったであろう文献も少なくない。

「ケアの倫理」なる概念をうちたてたキャロル・ギリガンの『もうひとつの声』(これは比較的有名か)、人文社会科学における主要概念の意味の変遷をたどるレイモンド・ウィリアムズ『キーワード辞典』、理性について子どもに教える授業実践の記録である林竹二『授業 人間について』などが挙げられる。こうしたニッチな文献は自分の視野を拡げるうえで重要な役割を果たした。(そもそも上記の疎外論も、下手をすればかなりマイナーである。)

というわけで、当時はえらくつまらなかったが、それに反して意外と自分に影響を与えている西洋教育史概説を振り返ってみた。ついでに、ちょっと教訓めいたことを語って締めとしたい。

一点目、教育の効果は講義を受けた直後には測れないということ。もしこの授業を受けた直後に理解度や満足度の評価を行った場合、かなり低い結果となっただろう。教育の意義というのは、随分と時間が経ってからわかる場合があるのである。

二点目、教育には学生の側が意図せぬ出会いを促すしかけが必要だということ。これはどういうことかというと、私は西洋教育史概説という名前だったからこの授業を受けて結果裏切られたわけだが、そういう形でなければこの手の内容の授業は受けていなかったということである。この授業について言えば、看板に偽りありもいいところなので誉められたものではないが、例えば、学生自身の興味に任せていたら明らかに誰も取らないような講義を必修に設定しておくなどして、学生の側が意図せぬ分野への出会いを促すしかけが必要だろう。

以上である。でも川本先生、やっぱりあれはどう考えても西洋教育史概説じゃないよ!


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