もっと感覚重視の判断基準を持ってもいいと思う

もっと感覚重視の判断基準を持ってもいいと思う

こんにちは。長田(@SsfRn)です。

最近とてもよく思うことがあるんです。

人って、もっと感覚で物事を判断してもいいのではないか?と。

仕事をしていると、よくロジカルに物事を考えて、決断や交渉する材料集めをするので、理屈で考えてしまう人も少なくないと思います。

とてつもなく頭がいい人はそれでいいと思うのですが、私は残念ながらそちら側ではなく、頭で考えても限界があるなぁと感じる時があります。

今回はその感覚的判断基準について、書いてみようと思います。


好きを仕事にする人はどんな人なのか?

先日書いたこちらの記事。

この中で、ホリエモンが「考えないで動くのがバカだから、それはうまくいくんです。」と言っています。

行動することが大事だよ!って伝えていることだと思うんですが、僕は「自分の感覚を信じられるか?感覚を判断基準として重要視できているか?」ってことだと解釈しています。

理屈で考えてしまう人は、自分の感覚に素直になれない。その結果行動に移せない。移せたとしても時間がかかる。

ホリエモンがバカになれ!と言っているのは、きっと「自分の感覚に従え!」ということなんだろなぁ。

そして、好きを仕事にしているひとは、それが出来る人たちなんだろうなぁ。

と感じる今日この頃です。

そして、この自分の感覚に素直になることが、今の時代の生き方なのかなとも思ったりしました。


努力の娯楽化

先日、鳥井さんのこちらの記事を読みました。

私が昔から感じていたことが言語化されていて、目から鱗。

「努力の娯楽化」という発想の転換。「あれ?やっぱり努力なんじゃん!」と思うじゃないですか。いや、努力じゃないんです。「努力の娯楽化」なんです。この話は以下のように続きます。
僕の考える解決策はひとつしかない。それは「努力の娯楽化」という発想の転換である。客観的に見れば大変な努力投入を続けている。しかし当の本人はそれが理屈抜きに好きなので、主観的にはまったく努力だとは思っていない。むしろ楽しんでいる。考えてみれば、それが「努力」かどうかは当事者の主観的認識の問題だ。「努力しなきゃ……」と思った時点でもう行く先は怪しい。だとしたら、「本人がそれを努力だとは思っていない」、これしかないというのが僕の結論である。
そう、だからやっぱり「好きなことをするしかない」んです。今の時代に生まれてしまった僕らは。他人から見たら「努力」にしか見えないけれど、自分にとっては「娯楽」でしかないことを選ぶしかない。下記の記事にも書きましたが、それこそが僕らの唯一の生存戦略。

努力の娯楽化。

私が何かしら行動が形に繋がっているときは、だいたいこの「努力の娯楽化」状態なんです。

テニスが好きで楽しくて打ち込みまくったら、全国大会行けたり、

人を繋ぐのが好き!でスポーツコミュニティ作ったら200人ぐらい人が集まったり、

フレスコボールもっと広めたい!と行動したら、それが仕事になったり、

コミュニティを探求して形にしていきたい!と行動と発信したら、色んな案件にお誘いいただいたり(具体的なことは下記へ!)

これらの時は、自分としては全く努力している感覚がありません。ただただ楽しんでいると、そうなった。という感じなんですよね。まさに、努力の娯楽化だなぁと、記事を読んで腹落ちしました。


もっと好きに素直になる

好きなことを好きと言う。これは今後も積極的にやっていきたいなぁと思うこと。こんな感じで。

自分がこれが好きだ!これを追求したい!という好きの追求。

それが結果として、あらゆる形に繋がっていくんだと思います。

だからこそ、僕は好きなことを好きと声を大にして伝えていきたい。

その結果、離れてしまう人がいてもそれは仕方のないこと。お互いにとって、それで良かったんだと思います。

好きに素直になり、好きやワクワクなど、自分の感覚を判断基準に行動する。それが僕のスタイルだなぁと思うのでした。

それでは!


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