お通夜と告別式に参列して、自分はどんな最期を迎えたいのかを考えていました
お通夜と告別式に参列してきました
義理の祖母が亡くなり、お通夜と告別式に参列してきました。
生前、年末年始などの節目にご挨拶させていただくぐらいの関係性だったので、悲しみと言うよりは残念という思いの方が強く、ひ孫ともっと触れ合ってもらえば良かったというある種の後悔のような感覚をおぼえています。
お通夜においても告別式においても、当然ながらお坊さんの読み上げるお経について、理解はおろか詳細を聞き取ることも難しく、やはり途中からさまざまな考えや想いが頭の中で駆け巡ることになるのですが、誤解を恐れずに言うと、人の人生ってとてつもなく重く、あっけないぐらい儚いもんなんだなと。
重い
親戚が多い家系なので、下は0歳から70代まであらゆる世代で構成されているのですが、そもそも祖母がいなければ、こうはならない。僕はうちの奥さんと出会うこともなければ、3人の子供たちに会うこともなかった。
儚い
とはいえ、前述の感謝の念を持ちつつ、戦争を乗り越え、激動の日本を駆け抜けた世代の方だとは理解しつつも、祖母が息を引き取って数日が経った今日も、なんら変わらず世界はまわる。
自分自身がどんな最期を迎えたいかを考えていました
とりあえず、やり残していることがありすぎるので、まだまだ息を引き取るわけには当然いかないのですが、キレイになっている祖母との最後のご挨拶を終え、自分だったらどんな風に送り出してもらいたいんだろうか、を考えていました。
結論、
「もうさすがに走り過ぎたでしょ、ゆっくり休んでね。」
と、笑って送り出してもらいたい。
内心「こいつについていくのはもう疲れた」と思ってもらえるぐらいでもいいです。笑
なんというか、生きていれば大変なことや嫌なことのひとつやふたつあるわけで、何も考えずにゆっくり休みたいなぁなどと思う時もあるのですが、義理の祖母の表情があまりにも安らかで、子供、孫、ひ孫みんなに送り出されているのをみて、ゆっくり休むのはもうちょっと先に取っておいてもいいかな、という気持ちになりました。
まだまだ、しっかり走り続けて行きたいと思います。
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