【第282回】『ラン・オールナイト』(ジャウマ・コレット=セラ/2015)

 ジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビによる好調に飛ばしまくる通算3作目。『アンノウン』の特大ヒットから、次作では主人公をもっと若返らせるかと思ったが、トム・クルーズもブラッド・ピットもショーン・ペンもレオナルド・ディカプリオも起用せずに、あえてリーアム・ニーソン主演で押し通すジャウマ・コレット=セラの昔気質な頑固さが素晴らしい。今作はこれまでの3作の中で一番ハードなアクションながら、2人の信頼感からかリーアム・ニーソンの演技もいつになく光る大作に仕上がっている。

殺し屋として闇の世界に生きるジミー(リーアム・ニーソン)は、仕事のために家族を捨て、一人息子のマイク(ジョエル・キナマン)とも疎遠になっていた。しかし、ある日、殺人現場を目撃して殺されそうになっていたマイクを救うため、NYを牛耳るマフィアのボスの息子ダニーを射殺してしまう。ボスのショーン(エド・ハリス)とは固い絆で結ばれた30年来の親友だったが、息子を殺されたショーンは、嘆き、怒り、ジミーに宣告する。「お前の息子を殺して、お前も殺す」と。朝が来る前にジミーたちを葬ろうと、ニューヨークは今、街中が敵となった。父と子の決死の戦いが始まる─。

冒頭、リーアム・ニーソン演じるジミーの境遇は実に孤独で寂しい。ベトナム戦争では特殊部隊として活躍し、帰国後アイルランド系マフィアに雇われる殺し屋となり、実に20人以上もの人間を殺してきた。そのため、既に初老になる年齢にも関わらず、家族にも疎まれ、半ば絶縁されている。マイクは父親をほとんど知らないまま育ち、ボクサーを目指す父親のいない貧困家庭の子供にボクシングを教えている。彼は同じニューヨークに住む父親を徹底的に嫌い、父親との一切の思い出さえ断ち切って生きているのである。

今作において最も重要なのは、アイルランド系マフィアの掟である。マフィアのボスであるショーン・マグワイア(エド・ハリス)とは共に戦地で戦った戦友であり、今はニューヨークの暴力に塗れた歴史の生きた証人である。家族よりも大切な仲間というのがマフィアであり、その集団の掟であるとジミーは常々信じて生きてきたのである。マフィアにおいて忠誠とは何よりも重いボスと自分との契りである。だからこそジミーは息子のサンタ役の無茶振りにも嫌々応じ、クリスマスにサンタ役を嬉々として演じようとする。

そんな父親とは対照的に、息子は父親の足跡を見ないように堅実に生きている。2人の娘と、『エスター』でもエピソードとして登場した死んでしまった娘の挿話がふいに明かされる時、この息子は妻と娘たちの父親として堅実に生きていこうとしているのだと知る。今作においては出て来ないが、おそらく昼間は背広を着た別の仕事をしながら、夜もハイヤーの運転手として二重仕事をしてまで、娘たちを扶養しようとしている健気な父親である。それが何の因果かある夜、この街の触れたくない殺人事件に巻き込まれてしまう。

アイルランド系マフィアのボスであるショーンもショーンで、息子のダニーとの間に、マフィア同士のどうしようもない考え方の隔たりを抱えている。今作においてエド・ハリスが演じるのは、70年代に隆盛を誇った実在のマフィア・グループである「ヘルズ・キッチン」を仕切っていた“ウエスティーズ”という組織の人物から着想を得ている。彼は残忍なやり方でニューヨーク中に恐れられていたが、魔薬の売買に関わったことが元で、ほとんどの仲間が逮捕されたか過剰摂取で死んだ。だからこそ今は表向き堅気の商売をしながら裏社会を牛耳っているのだが、息子はそれが気に入らない。彼はヤクを売りさばき、手っ取り早く稼ごうとするが、ことごとく父親に止められる。この敵味方両者の、父と子の葛藤こそが物語の根幹にある。

ジミーの息子マイクは、ある夜ダニーの殺人を目撃したところから、マフィアのボスの息子であるダニー達に命を狙われる羽目になる。父親であるジミーはその危機を救うために、マフィアの絶対的な掟を破り、ダニーを射殺してしまう。この事件により、2つの家族の関係性は一夜にして変わり、ジミーとマイクは組織に追われる身となる。一番巻きこみたくなかったマイクとその家族さえ危険に晒すことになったジミーは、親友であるショーンに「マイクの命だけは助けてくれ」と懇願するが、息子を殺されたショーンは彼ら2人を組織の掟に背いた無法者として抹殺しようとする。この三者三様の葛藤をジャウマ・コレット=セラは実に丁寧に練り上げる。ジミーは身の安全を確保しようと警察に出頭しようとするが、この街では警官さえもマフィアのボスであるショーンに牛耳られてしまっている。マイクにとって、絶対に避けたかった父親と一緒に逃げなければ2人の命はない。この葛藤が緊迫したアクションの高揚感とは別に、ずっと胸を締め付けてやまない。

事件の発端となったダニーの隠れ家での壮絶な打ち合いから、息をもつかせぬアクション・シーンの連続が目まぐるしく続いていく。マイクの部屋、続いてジャウマ・コレット=セラお得意のカー・チェイス(それも殺し屋がパトカーを追う斬新さ 笑)、地下鉄での追いかけっこ、そしてブルックリンの低所得者向けの巨大アパートでの夜の打ち合いが実に新鮮で目が離せない。ジェームズ・グレイの雄株を奪うようなNYの地下鉄の中での攻防に始まり、深夜の低所得者向けアパートの周りにヘリコプターを飛ばし、スコープ・ライトで2人の姿を照らす姿はもはやアクションの名人級である。火事場での死闘の後、烈しい雨が降って来る奇跡も手伝い、列車の停車場での夜の死闘はまさにジミーとショーンの見せ場であるが、くぐって来た修羅場の違いからか、随分あっけなく勝負がついてしまう。逆説的だが、ここでもエド・ハリスの死に方はあまりにも素晴らしい。サミュエル・L・ジャクソンが現れるまで、彼の死に様こそがアメリカだったと言わんばかりの名演である。エド・ハリスの名脇役たる所以がそこには備わっている。

今作におけるもう一つ欠かせない制約とは、ジミーがいかにマイクに引き金を弾かせることなく、自分の手で始末をつけるかである。それは彼を逮捕させないための父親として出来る精一杯の思いやりに他ならない。息子を自分の世界に巻き込んでしまった過ちに対し、出来るだけ自分一人で処理したい。それがジミーの最後の願いであり、ショーンを殺したことでその希望は果たされたように見えた。彼は長年追われてきたNY市警の刑事ジョン・ハーディング(ビンセント・ドノフリオ)に自らの殺した全ての人間のリストを提出することを約束し、牢獄の中で死ぬと宣言もしている。しかしショーンに雇われた殺し屋アンドリュー・プライス(コモン)の狂気に満ちた思いに油断していた親子は一転、森の中に追い詰められる。

クライマックスの銃撃シーンはやや様式的すぎるきらいはあるものの、今作においてジャウマ・コレット=セラが一貫して我々に提示したいのは、誰が撃った弾がいったい誰に当たったのか?それだけである。そこにはジョン・ウーやジョニー・トーのような何十発何百発ものおびただしい銃弾や、近年のアメリカ産ガン・アクションにありがちな闇雲な乱射はない。そこにあるのは、敵に当たったのはマイクの弾ではなく、ジミーのものであるという明確な印となる引き算の銃撃戦なのである。

これまでの2作のようなあからさまなハッピー・エンドではないが、ラストの鏡の場面にはぐっと来た。確かに例のハイ・アングルの過剰な処理の仕方には賛否両論あると思うが、ジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビは、トニー・スコットの後継者としてアメリカ映画の勢力図の中で三たび爪痕を残すのである。

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