【第306回】『SUPER 8/スーパーエイト』(J・J・エイブラムス/2011)

 1979年の夏。オハイオの小さな町で保安官の父と暮らす少年ジョー(ジョエル・コートニー)は、ある夜、仲間たち5人と家を抜け出し、8ミリ映画の撮影に出かける。だが、その撮影中に偶然、米軍の貨物列車の大事故に遭遇。アメリカが絶対に秘密にしなければいけない、“何か”を撮影してしまう。それは実は、アメリカ政府の指示によって秘密軍事施設“エリア51”から“何か”を輸送する途中だったのだ。少年たちが事故現場に落とした8ミリフィルムの空き箱を発見した米軍は、極秘情報が何者かに目撃されたと判断して町中の捜索を開始する。やがて、町では不可解な出来事が連続して発生。犬たちが一斉に消え、9人が行方不明……。さらに、事故現場から持ち帰った白い謎のキューブが不思議な動きを始め、全てを目撃した少年たちは、真実を探しに行くことを決断する……。

J・J・エイブラムズによる現時点での唯一のオリジナル映画。オリジナルとは言っても、そこには今作に製作総指揮としてクレジットされたスティーヴン・スピルバーグの『E.T』や『未知との遭遇』への影響が色濃い。80年代に少しだけ流行したロブ・ライナー『スタンド・バイ・ミー』やリチャード・ドナーの『グーニーズ』(こちらもスピルバーグが製作総指揮)の影響も感じる子供たちの冒険モノであり、途中軍隊の登場シーンは『SF/ボディ・スナッチャー』の影響さえ感じさせる。J・J・エイブラムズはこれらハリウッドの王道的な物語を21世紀に再構築するのである。

冒頭、とある工場の無事故記録のカウントがゼロに戻ったことが、何者かの死を予感させる。少年ジョー(ジョエル・コートニー)は母親を失い、心に大きな傷を負ってしまう。傷心でブランコの上で佇む彼の真横を、一人の男が通り過ぎる。ロン・エルダード扮するルイス・デイナードは、ジョーの母親の死と何らかの因果関係を持っていることを匂わせた導入部分である。J・J・エイブラムズの映画においては、常に両親のどちらか(もしくは片方)が主人公の元から天国に旅立っている。今作においても、主人公は地元の治安を守る保安官である父親を尊敬しつつも、その心の中にはぽっかりと穴が空いてしまっている。

その心の隙間を埋める存在として、彼らが日夜夢中になる8mm映画があり、そこに突然現れた12歳のヒロインであるアリス・デイナード(エル・ファニング)の姿がある。彼女との出会いの場面で、ジョーはアリスのメイクをするため、彼女の顔を凝視することになるが、憧れのアリスの顔を間近で見ると胸がときめく。若い頃は誰にだってあった恋する男と女の視線の交差をこれだけ堂々とした演出で据えるJ・J・エイブラムズのアイデアが素晴らしい。アリスもアリスで、母親と離婚し、今はウイスキーで呑んだくれるばかりの父親ルイスとの2人暮らしに息も詰まりそうな思いを抱えている。まだ幼いアリスにとっても、ジョーにとっても母親の不在は一大事であり、互いに心に傷を抱える2人が、徐々に親密になっていく一連のシークエンスが胸に迫る。いつだって籠の中の鳥を外に出すのは主人公の役目である。ジョーは裏方として、そしてアリスは主演女優としてこの8mm映画を支えることになるのだが、そこにあっと驚く街一番の大事件が待ち構えている。

おそらくCGだろうが、この列車の到着の場面がいちいち素晴らしい。遠くから物音が聞こえ、シャッター・チャンスだと言わんばかりに浮き足立つ5人だったが、ふいに一台の車が線路に侵入し、まるでゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように光と火花を散らしながら、鉄と鉛の物体が勢いよく衝突する。散らばったルービック・キューブは私の記憶では1979年の夏には無かったはずだが、ここで大人たちは誰かがこの秘密を目撃したのではと勘繰るのである。明らかに即死したかに見えた車の運転手は生きていて、「今見たことを決して誰にも言ってはいけない。そうしなければ君達と、君達の親も殺される」という怪しい言葉を残して生き絶える。

ここから物語は単純なファンタジーからサスペンスへとゆっくりと移行していくのである。前記のように『SF/ボディ・スナッチャー』の世界観を持った謎の施設「エリア51」が姿を現してから、保安官にも極秘の作戦は粛々と展開され、住民には全員避難勧告が出される。ジョーの父親は監禁され、陰謀論の渦の中でもがくが、実際に物語を推し進める力となるのは、ジョーとケイリーと、カズニックの姉とデートの約束をしたヤク中野郎のデヴィッド・ギャラガーである。ここでのデヴィッド・ギャラガーはサイモン・ペグよろしく、袋小路に陥った5人の子供たちの救世主となる。

だがJ・J・エイブラムズは肝心のモンスターの正体をなかなか明らかにしない。これは盟友であるマット・リーヴスの『クローバー・フィールド』とまったく同様である。ガソリン・スタンドで保安官がクリーチャーに消されるアイデアはホラー映画への愛すべきオマージュである。Blondieの『Heart Of Glass』をウォークマンで聴く若者もあっさりとこのクリーチャーの犠牲となってしまう。しかしながら肝心のクリーチャーの正体が明かされる頃には、やや拍子抜けしたのは事実である。彼は昆虫のように地下に街中で襲った人間たちを貯蔵し、ヒロインであるアリスを食べる寸前で主人公は辛くも間に合うのだが、正体が明かされたエイリアンのような生物には人間と同じような知能があり、主人公の問いかけに反応を示す。途中、ファンタジーからサスペンスへの移行は見事だったが、そのサスペンスからファンタジーへの寄り戻しを描く術は持っていなかったらしい。

クライマックスのあからさまな『E.T』へのオマージュを、製作総指揮であるスティーヴン・スピルバーグはどのように見守ったのだろうか?かつてJ・J・エイブラムズ、盟友マット・リーヴス、今作で撮影を務めたラリー・フォンは、『SUPER8/スーパーエイト』の仲間たち5人とちょうど同い年くらいだった頃、田舎町で行われた8mm映画の祭典で知り合った。その頃3人はスーパーエイトで自主製作映画を撮り、互いにライバルとして切磋琢磨していた。その姿がある8mm映画祭で審査員をしたスティーヴン・スピルバーグの目に留まり、彼は熱狂的な映画少年3人に声をかけ、自らの自主製作映画の編集を頼んだのである。それから数年の歳月が流れ、スピルバーグの王道を継承しようとする若者が遂にハリウッドに降り立ったことを、スピルバーグ自身がどのような思いで見つめたのか?それを思いながら今作を観ると、なかなかに感慨深い。

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