【第429回】『マイ・インターン』(ナンシー・マイヤーズ/2015)

 木漏れ日の下、緑あふれる公園で太極拳にいそしむ初老の男。黒縁メガネに幾重にも刻まれた皺。ゆったりとした時間に悠々自適のスロー・ライフを満喫しているのかと思いきや、彼はもう一度社会への復帰を仄かに願う。ビデオ・レターに込めた初老の男の切なる思いは汲み取られ、無事アパレル企業にインターンとして滑り込むこととなる。一応の骨子は、冒頭の太極拳にもあるように、ある種の悟りを追い求めた男が、妻に先立たれたセカンド・ライフで社会貢献しようともがく物語である。料理教室に通い、ゴルフやヨガを試し、北京語を習い、たまったマイレージで世界各国を旅するも、どこか心にぽっかりと穴が空いた男が第二の人生を考え、就職する。そこにひりひりするような再就職のリアリティや社会の拒絶は一切必要ない。アメリカ社会とは自由であり、人種差別はおろか、年齢差別なく誰もがチャンスを獲得出来る社会なのだと監督であるナンシー・マイヤーズは嘯く。かくして『プラダを着た悪魔』から順調にキャリア・アップしたファッション業界のやり手の女社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)は、40歳も歳の離れた初老の男ベン・ウィテカー(ロバート・デ・ニーロ)を迎い入れる。

全面ガラス張りで意欲溢れる社内、活気を帯びる会議室でのやりとり、デスクワークでの色恋沙汰など幾つかのハリウッド映画の記号的羅列を散りばめながら、一貫してウェルメイドなナンシー・マイヤーズの手捌きは実に鮮やかで隙がない。社会貢献のポーズということで嫌々ながら老人を引き受けたエリート社長と、元エリート部長だが今はただのインターンの身の老人の小さな軋轢を幾つも積み重ねる。会話のやり取りからドアの開閉、受信メール・チェックなど40歳年上が気を遣って社長に取り入ろうとするが、社長の態度は一貫してつれない。要は彼の存在が厄介なのだが、プライドは捨て置き、彼女に取り入ろうとするインターンの愚直なアピールにジュールズが徐々に心を開いていく様子は女性ならではの観察眼が光る。これまでも一貫して友情を題材にしてきたナンシー・マイヤーズだが、一見して恋愛アプローチと交錯しかねない嗜好性に対し、ベン・ウィテカーとジュールズの間にしっかりフィオナ(レネ・ルッソ)を投入し、一切の倒錯を起こさせない段取りを取るあたりは、リベラリストたるナンシー・マイヤーズの真骨頂である。片付けられない病理を、インターンが朝7時に出勤し、綺麗にしたことでジュールズはベンに対する見方を180℃変えるのだが、それでも彼女の心は頑なに動かない。

中盤からクライマックスまでのジュールズの家庭の不和とそれを慰めるベンへの心変わりはやや強引に見えたが、前半の早い段階でフィオナ(レネ・ルッソ)という一手を打ったことで最悪の様相にはなり得ない。むしろ部屋の前で振り返り、彼女が呟く「サヨナラ」があまりにも強烈な余韻を残す。ジュールズは最愛の夫との不和に悩み、大きな父性を追い求める。今作には彼女の母親は出て来るが、父親は出て来ない。さながらここでは実の娘のような悲哀がベンの心に突き刺さり、彼女に寄り添う。次期CEO候補との話し合いの旅の前夜、精神不安定になったジュールズは実父のようなベンにすがり、悩みを告白する。ここでテレビ画面からふいになだれ込むヴィンセント・ミネリの『巴里のアメリカ人』の映像に中庸の作家ナンシー・マイヤーズの思いが滲む。アメリカ人の画家とフランス人の女性の恋を描いた悲恋がまるでベンとジュールズの不透明な関係性を描くかのように佇む。その映画を観て、思わずベン・ウィテカーはポロポロと涙を流す。

キャリアウーマンの仕事と愛の両立を描いたまごうことなき女性向けの映画ながら、ロバート・デ・ニーロの老獪さが実に素晴らしい。『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』のモーガン・フリーマン、『ヴィンセントが教えてくれたこと』のビル・マーレイも最高のオヤジぶりで期待に応えてくれたが、ロバート・デ・ニーロの完璧な仕事ぶりも大胆で余念がない。彼はジュールズの頑張りを100%受け入れる。そのメンターとしての一点の曇りもない活躍ぶりに今作は支えられる。Facebookのやりとりで打ち解け合う父親と娘のような2人。母親に送信されたメールを巡るドタバタなやりとりなど、9.11以前ならばウディ・アレンが撮っていたかもしれないニューヨークの見事な群像劇である。やはりここでもアメリカは強い父性の復活を望んでいる。

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