【第561回】『秒速5センチメートル』(新海誠/2007)

 小学3年生の春、父親が転勤族である遠野貴樹(声=水橋研二)は東京都世田谷区の小学校に転校して来る。ちょうど1年後の春に、タカキは同じクラスに転校してきた明里(声=近藤好美)と出会う。転校生で身体が弱いタカキとアカリは図書館にこもり、互いに読んだ本の話で徐々に親しくなる。ある日の教室、黒板に2人の仲を揶揄した落書きをされたアカリが黒板の前で動けなくなっているところを、登校してきたタカキが助ける。線路沿いの道を2人並んでゆっくりと歩く2人、突然アカリは早足になり、遮断機の向こうでタカキの到着を待つ。「来年の春も、桜の舞う季節をタカキと一緒に過ごせたらいいのに」仄かな少女の願いは随分あっさりと断たれる。アカリは小学校卒業と同時に、親の仕事の都合で栃木への転校を余儀なくされる。今作は遠野貴樹の東京での中学生時代、鹿児島・種子島での高校生時代、再び東京に戻ってきた社会人時代を描写した3部の連作短編集である。小学4年生の時のアカリとの初めての出会いから、主人公は一貫してアカリへの恋心を隠し切れずにいる。第1話では小学校卒業と同時に栃木へと転校したアカリとの手紙のやりとりに始まり、主人公は遂に中学1年生で豪徳寺から岩舟まで彼女に会いに行く。殺風景な両毛線の風景、岩舟駅で恐る恐る扉を開けるタカキの思いは、見事な背景描写によりリアリスティックに胸に迫る。中学1年生にしては成熟していた2人の思いはやがて電気が走るような衝動となり、タカキの気持ちを決定付ける。

これまでの新海誠作品同様に、今作もしっかりと合致していたはずの少年と少女の思いはいつしかすれ違う。その様子を誰にでも当てはまるようなごく普通の日常風景の機微で丁寧に紡ぎ出す。タイトルの『秒速5センチメートル』は桜の花びらが舞い落ちる速度を意味する。これまでの作品以上に「距離・時間・速度」がタカキとアカリを苦しめる。第1話では強風に飛ばされる手紙、大雪に見舞われ、一向に着かない電車の遅延という突発的事象を盛り込みながら、「距離・時間・速度」のズレが生む2人の温度差を丹念に映し出している。第2話ではタカキのモノローグを中心とした第1話とは打って変わり、澄田花苗(声=花村怜美)というタカキを好きになった別の女性の視点で物語が紡がれる。種子島の中学でタカキと同じクラスになった少女には、高校教師の姉(声 - 水野理紗)が1人いる。高校3年生の夏、クラスメイトたちが次々に進路を決める一方で、カナエの心は微妙に揺れ動く。その気の迷いを嘲笑うかのように、得意のサーフィンでずっと波の上に立てないスランプ状態に陥っている。彼女の気の迷いの前にはタカキがいる。一心不乱に弓道部で的を射抜くタカキの姿に、少女はもう一度波に乗れたら、正々堂々とタカキに告白しようと決心している。

第1話で一瞬通じ合ったはずのタカキとアカリの思いは、その後ゆっくりとすれ違い始める。豪徳寺と岩舟の手紙のやりとりに始まったタカキとアカリの恋は、メールのやりとりへと主流が移る90年代後半になり、思春期の微妙な感情と共に曖昧模糊としてくる。カナエはタカキの純粋な優しさに触れながらも、ちょっとした間にもメールを打つ先の誰かに嫉妬する。やがてその思いは「出す宛のないメールを打つ癖がついてしまった」というタカキの独白に繋がるが、ロケットの発射に遠距離恋愛への思いを重ねるタカキは、カナエの気持ちに気付くはずもない。アカゲラの鳴き声、列車の往来、空の天候の変化、路上に差し込む光など幾つかの新海誠的な記号的風景を散りばめながら、移ろいゆく季節に呼応するように、登場人物たちの感情も少しずつ変化していく。第3話で都会のストレスの中で疲弊したタカキは、いつしか自分の気持ちが消えてしまったことを思い知る。少年から大人への成長によって得たものと失ったもの。それは今作では語られていないアカリのその後をも予感させる。遠因となる水野理紗(声=水野理紗)との恋愛は映画版では極端に省かれているものの、山崎まさよし『One more time, One more chance』が挿入歌以上の存在感を発揮するクライマックスの怒涛の演出が素晴らしい。ラストのコンビニの場面にタカキの思いは垣間見えるものの、今作で新海は初めて、「セカイ系」への紐付けを意味付けられたSF要素を排除し、淡々とした日常風景を描写している。

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