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芒種 第26候・腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)

腐れたる草が蛍となる。

腐った草が蛍になるなんて、、、ちょっと不思議です。


草が腐って、蛍になるのではなく、腐った草も蛍の命の部分になっている。草の中に沢山の細胞が生きていました。それぞれに生命誌が刻まれています。蛍も沢山の細胞が形作っています。かたちは一度無くなりますが、魂はずっと転生していく。個体と固体の話ではなく、生き物は全て死に、そうして次の命の場所になるということ。日本の言葉では「死ぬ」は「萎う」ことで水分が失われ、硬くなり、縮小することで、新たに水や息吹としての魂が宿れば復活すると考えられていました。

「枯れる」は魂が離(か)れたということ。

預かっていた魂を手放し、土に帰る身体。さっきまで魂という何か重力を持つ天体(太陽)のようなものに引き寄せられていた小さな他の命も溢れ落ちていきます。

命あるものは、沢山の、それはそれは沢山の、命のつながりでできています。

僕の命は、今生きているあらゆる命とつながっているのと同じように、これまで生きたそれら全てとつながっていて、いろんな命を賜っていただいています。

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オタマジャクシとカエルと姿形が全く異なりますが、ひとつの命です。蝶も、芋虫と成虫である蝶は全く異なりますが、同じひとつの命です。そのように命とは、魂とは、いろんな形をとったひとつながりのものです。

太陽のような魂という核が何処かに生まれるとそこに沢山の命が引き寄せられ、合わされ、膜ができ 体が生まれ、心が生まれ この大気中でしか生きられない儚い生命体を作るのです。


芭蕉の句

いのちふたつ中に活きたるさくらかな        翁


さくらの側から見ると、さくらの命もそれぞれの中に息づいているということでしょう。

唐詩の

「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」

去年今年 同じさくらも春もやってこない。似ているけれど全く異なる。石も木も水も花も鴉もみんな 命を移し(映し)、他者の命の中で生きていく。

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心震わせ命を燃やすものたちー 自分の内側で 新しい命となって活き燃え続けるそんな木や花や月、風景や、生き物、魂に 僕たちは一体どれくらい出会えるのだろう。それらは内側で光りはじめる。蛍のように。




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