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民主主義を学べる体育祭とは【CompathレターVol.4】

皆さん、お疲れ様です。Compathレター担当のがみです。
CompathレターVol.4をお届けします。

『Compathレター』は、皆さんの忙しい日常の中に、ふと足を止めて自分や社会について少し考える時間を提供するニュースレターです。日々流れる様々なニュースの中から厳選し、そのニュースから思い浮かぶ小さな“問い”も添えてお届けします。

今回お届けするニュースは、『学校の「当たり前」をやめた。』で有名な、横浜創英中学・高等学校の、工藤勇一校長のインタビュー記事です。教育が本来果たすべき役割を常に強く意識し、これまでの慣習に縛られるのではなく革新的な学校運営を続けている工藤校長。今回は、そんな工藤校長が学校の体育祭に施したある仕掛けについて、語ってくれています。

体育祭を通して、一体どのようにして民主主義を学ぶことができるのでしょうか。
是非、読んで、一緒に考えてみてください。

ニュース紹介 ~民主主義を学べる体育祭とは~

それは、工藤校長が現在の横浜創英中学・高等学校ではなく、麹町中学校という学校で校長先生を務めていた時のことです。

当時、麴町中学校には運動会があり、それはもう一般的なものでした。
学年ごとにどんな競技に取り組むのかは決まっており、任意のチームに分かれて勝利を目指して取り組む。運動会前はみんなが練習し、勝ったチームは笑い、負けたチームは悔しがる、そんなありふれた、でも一見決して悪いようには見えない、運動会でした。

しかし、その運動会を見て、「学校経営的には大きな問題がある」と考えたのが工藤校長でした。

「そもそもどのクラスも優勝をめざして取り組むわけですから、優勝した1クラス以外は目標が実現しない教育活動だということです。(略)言い方を換えれば、ほとんどのクラスが失敗する行事です。中には練習がうまくいかず、友達同士が仲違いし、クラスがバラバラの状態になったりもします。(略)スポーツは楽しいよと教えるはずの運動会が、生徒によっては苦痛を与えられるものになってしまうのです。」

こう捉えた工藤校長は運動会を廃止し、新たに民主主義を学ぶ活動になるために、生徒たちのお祭りとしての体育祭を新設。そしてなんと、どんな体育祭にするかの決定権をすべて生徒にゆだねたのです。

何をしてもいい体育祭で、ルールはただ一つだけ。
とにかく生徒全員を楽しませて!
最初は喜んだ生徒たちですが、運営を進める中で徐々にその難しさに気づき始めます。しかし、先生たちの入念なサポートもあり、この運営準備を通して生徒たちは民主主義を学んでいくのです。

象徴的なエピソードが、全員リレーをやるかどうか、という議題でした。
アンケートを取ると、8割は「やりたい」、1割は「どっちでもいい」、1割は「やりたくない」でした。たった1割、15人の生徒だけが全員リレーを嫌がり、ほとんどの生徒はやりたがっている、という構図でした。

この15人をどう捉えるか。
生徒たちが下した決断は、「全員リレーはやらない」でした。

記事には、後日行われた生徒会長に対するインタビューも掲載されています。

「もし、賛成が100パーセントだったなら、僕たちは全員リレーをやったと思います。でも結果は違いました。話し合いをした結果、僕たちは全員リレーをやらないという結論を出しました。それは僕たちのゴール(目標)『全員が楽しめる体育祭』を実現させるためです」

ただの多数決に逃げず、どうすれば全員が満足できるのか、という難しいお題に向き合い続ける。民主主義の社会に生きる一員として誰もが模範とすべき行動を、たった15歳の中学生が体現した瞬間でした。

出典:PRESIDENT Online「リレーをやりたい生徒8割、やりたくない生徒たった15人・・・それでも「中止」を選んだ中学生が守りたかったもの」

このニュースを読んで考えてみたい「問い」

いかがでしたでしょうか。
是非このニュースを読んで、皆さんがどう感じたのか、少し時間を取って、掘り下げて、考えてみてください。

以下に、その考えのサポートになればと思い、私が思う掘り下げたい”問い”の候補を挙げてみたいと思います。

Q1.「8割は賛成だけど、1割だけが反対していること」に対峙したときに、あなたはどう判断するだろうか
Q2.もしこの体育祭を運営する経験を積めていたら、どんなことを学ぶことができただろうか
Q3.逆に、従来の運動会で学べていたことの良さはなんだろうか
Q4.あなたが普段何かを決める場面において、参考にできることはあるだろうか

続いて、私自身がこのニュースを読んで考えた事をシェアしたいと思います。

今回の記事ですが、民主主義に生きる者として心がけなければならないことが詰まっているなと感じる記事でした。

よく、民主主義は多数決と同一視されますが、ここでいう民主主義って多数決とは全然違いますよね。多数決では、多数こそが正義であり、少数派の意見は無視されます。それは少数派の傷として残り、徐々に分断が広まっていきます。
自分たちこそが正義と主張しあって、自分の意見に少しでも多くの人が扇動できる人が最もルールメイクできる世界。それが多数決だけの世界です。

でも、ここでいう民主主義は違います。賛成反対の決議は多数決のためではなく、全体の意見に耳を傾けるための機会として捉えられています。そして、目指しているのは、「参加者全員が楽しめること」、つまり、全員の幸せです。そのために、人として発達している巨大な脳を使って、難しいことに答えを見つけるために考えるのです。

このプロセス全体こそが、民主主義としてのあるべき姿だなと思いました。つまり、参加者が考えるべきは全体の幸せであり、票取りゲームではありません。

もちろん、それはとても難しいことです。「じゃあいいよ、そっちに合わせるよ」となってしまったらどうしよう?とか、二つの意見を昇華させてより良い案が浮かべばいいですが浮かばなかったらどうしよう?とか。
時間は有限であって、大小あれど期限は存在します。その期限の中で、全体を正しく俯瞰し、全員が最も幸せになるにはどうしたらいいか?を考えることが、民主主義の理想の形だなと、思いました。

そして、その民主主義を中学生のうちから体感できる教育は本当に素敵だなと思いましたし、一社会人として、負けてられないな、しっかり見本になれるように動かないとな、と思いました。

おわりに

いかがだったでしょうか?
是非ニュースを読んで、考えてみて、それぞれの考えや感想がありましたら、シェアしてくれると嬉しいです。

一つのニュースでも捉え方はきっと様々。「こんな角度から考える人もいるんだ!」「自分と全然違う考えだけど、面白いな!」そう思うことが増えれば増えるほど、有意義な時間になっていくんじゃないかと思っています。

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この「Compathレター」は、北海道東川町で、北欧発祥のフォルケホイスコーレをモデルにした大人の学び舎を運営しているSchool for life compathがお届けしています。
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それでは、また。


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