石丸市長「京大学生新聞」卒業生インタビューが笑える @saktshare
京都大学の学生新聞の卒業生インタビュー企画として
石丸インタビューが掲載されているが、色んな意味で面白すぎるので逐次批評する。
石丸「東大や医学部には行けたけど行かなかった」
出身校の広島県立祇園北高校の進学実績によれば、東大京大は殆どゼロ。その意味では石丸は努力したといえよう。
しかし、京大の非医学部ならともかく、東大や、国立の医学部医学科に合格できるような高校ではない。
したがって、石丸が東大や医学部に進まなかったのは明らかに学力が理由であり、「選択肢はあったけど、敢えて進学しなかった」が歴史改ざんなのは明らかだ。
そもそも、石丸は一浪している。
「実家が貧乏で、手っ取り早く手堅く稼ぎたい」なら、一浪したのは自己矛盾では?
京大経済学部は紛うことなき一流大学だし、合格したのは素晴らしいことは確かだ。
ならば、変に言い訳をせず「共通テストの点数が足りなくて東大諦めちゃいました」とか、「理系科目が伸びずに文転しました」とか正直に話せばよかったのでは?
四十路超えの石丸が20年以上前の大学入試について言い訳をするのは見苦しい。
石丸「私は極めて合理的な判断、選択をしました」
こういうこと、普通自分で言いますかね?
私がインタビュアーなら真顔を保てる自信がありません。
その割に市政運営は非合理の塊ですけどね。
石丸「ボクの特技は大道芸」
確かに現在も議会や会見で発狂芸を披露しており、一部では大人気のようです。これも一種の大道芸でしょう。
その原点が京大にあるとしたら、本当に罪深い大学だと思います。
石丸「マナーや所作はアルバイトで学んだ」
現在の石丸のマナーや所作はホテルのアルバイトで身につけたようです。では、石丸の「マナー」や「所作」がどういう結果をもたらしたかをご覧ください。
石丸「ボクには相手の心に訴え、評価してもらう能力がある!」
これは、ある意味で事実だと思います。野次馬連中が何を見たいのかを想像する能力はあるでしょう。
しかし、それは「価値を見出す」「評価する」とは必ずしも同じではないことを理解できないようです。
石丸が「バズってる」理由は、彼の政策への評価ではなく、発狂芸がウケただけでしょう。そこに安芸高田市へのリスペクトは全く存在せず、無責任に消費されているに過ぎません。人気も一過性のものと推察します。
石丸「ボクは批判されてもヘッチャラさ!」
議会だよりの些末な記述を捉えて、何ヶ月も掛けて粘着発狂し続けたり、あまつさえ議会だよりの予算を削除するなどの無意味な行為で市政を空転させる人間が、「ボクは批判されてもヘッチャラだもんね~!」とは悪い冗談でしょう。石丸は、人一倍批判を嫌がり、考えることから逃げます。
石丸のニューヨーク「栄転」の正体が垣間見えた
本インタビューで最重要なのがこの箇所
注目点①:年間100日の出張
1年間の営業日は250日。休暇なども含めると稼働できるのは220日程度だろう。つまり、石丸は年の半分出張していることになるのだ。営業職なら客先訪問自体が本来業務なので、半分出張もあり得る。
しかし、石丸はアナリストなのだ。
金融機関のアナリストが、担当企業の訪問のために出張する機会があるのは理解するが、アナリストの本来業務は「分析」である。つまり、帰社した後こそが本番なのであり、1年の半分を不在にしている人間がマトモな「分析」などできるのだろうか。
注目点②:「一人で」担当
この「一人で」というのが引っかかる。
市長としての石丸の独断専行ぶり、協調性の欠如を目の当たりにすると、
やはり複数人での相互協力を必要とする業務は難しかったのではないだろうか。すると、NY転勤は本当に「栄転」「出世」だったのか疑問が残る。
注目点③:「かなり珍しいキャリア」
私が最も違和感を覚えたのがこの表現である。
「珍しい」とは、つまり「前任者がいない、前任者がいても内容や態様が大きく異なる」という意味だろう。
日本トップのメガバンクとして、あらゆる業務をカバーしている三菱UFJ銀行に、「前任者がいない/大きく異なる」業務などあるのだろうか?
メガバンクは、とにかく保守的で前例踏襲である。減点主義で、出る杭は打たれる社風だ。
そのような企業で人事政策上最も評価されるのは「どのような部署やポストであっても無難に対応し、成果を出せる人間」なのは間違いない。つまり、既存の組織構造に従順に適応できる人間なのであり、逆に、能力に凸凹があり、部署やポストを選ぶような人間は評価されない。
もちろん、近年はデジタル分野を始め、ヘッドハンティングや中途採用で、特定のスキルに特化した尖った人材を採用する動きも見られる。しかし、石丸は単なる新卒プロパーの学部卒社員であり、そのような特別な処遇がなされたとは考えにくい。
つまり、「珍しいキャリア」は、三菱UFJ銀行においては褒め言葉ではなさそうだ。
以上のことから、石丸は組織内で処遇に困る人材であり、一刻も早く追い出したいが、受け皿となるポストが無く人事も困っていた。そのような人材を体よく追い出すために、ポストを新設したと思われる。
これが石丸の言う「珍しいキャリア」の正体だ。
「珍しいキャリア」を歩んだのは自らの能力でも上司の計らいでも無く、「既存のポストに柔軟に適応出来ない困った人材」だったから、追い出すためにポストを新設したのである。
次のような経緯でのニューヨーク転勤だったのでは無いだろうか。これは単なる推察だが、概ねこんな感じだろう。
これ以降もインタビューは続くが、
以降は市長時代の話であり、いつもの議会批判や自己賛美に終止しており、批評の価値はない。
銀行時代の石丸の等身大像が垣間見えたという点で、非常に意義深いインタビューだった。
それにしても学生新聞でこの品質は素晴らしい。京大が大変優秀な大学であると再認識させられた。
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