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コロナウイルスに関する責任は誰にあるのか?

風邪程度なので安心してください by 厚生労働省 デマには気をつけてください by 厚生労働省 子供は安全、若い人も感染しません 流行は確認できていません対策は不要です by 厚生労働省 中国への渡航歴ある人間以外は症状があっても検査しません by 厚生労働省 医師からの依頼があっても疑いがあっても基準に達しなければ検査しません by 厚生労働省 市中感染は確認できていません  by 厚生労働省 満員電車も安全ですから規制しません  by 厚生労働省  小池百合子

    • 「まだ大丈夫だよ」とみんないうけれど。

      軽々しく大丈夫だよ、なんていうのはすべて生存バイアスだ。こちらの立場の検討なしに大丈夫なんて言えるのは。 早く生存バイアスを撒き散らす側にいきたい。

      • オリンピックは中止でいいじゃん、とみんないうけれど。

        社会の構成員って誰だろう。企業(とそのオーナー)は優遇され、そこで働く個人は? ぼくたちはいなくていいのか? きっかけはこの記事。不景気が加速する中、政府が真っ先に考慮する対象は固定資産を有するもの。つまり、企業や資本家だ。 不景気で苦しい思いをする人間、貧乏人とは、固定資産など有していない。極端な話、貧乏人がどれだけくたばろうとも日本の経済にさしたる影響はない。経済に打撃を与えるのは少数のお金持ちだ。国の健康維持のためにはそういう少数のお金持ちを守れば良い。たとえ数多く

        • 「伝える」が、バズるに負けている、とみんないうけれど。

          note に何年か振りに投稿するが、そのきっかけはこの記事。 ちょうどぼくが3〜4年前に書いたことが思い出される。 結局人々は、長くて退屈な「文脈」よりも明快でわかりやすい「数」を求めてしまい、結果として「伝える」は死ぬということ。SNS(というか「拡散」を下支えする いいね! や シェア の機能)は確実にインターネットの未来を殺した。 あるいは これも関連しているのかも。

        コロナウイルスに関する責任は誰にあるのか?

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        • オモシロ
          5本
        • 未来編集研究会
          8本

        記事

          音読したら町へでよう #即興小説 #おでかけ

          僕はずーっと家にいた、できることなら寝ていたかった。だって心が痛かったから。 *** 君が行ってしまって、僕は暇。君が買い物に行ってしまった昼。 なーんにもすることない、そう思っていたけど、 「しまった」と、僕は呟いてケータイで友の様子を探る! だって! 今日は親友と約束が! 忘れていた! でも今日は寝ていたいな、おとなしく。大人らしく。 どうせカレーたべるだけだ。チキンカレーとマンゴーラッシー。彼女らしいっちゃ彼女らしい。でも、 僕は悲しい。だって君はもういな

          音読したら町へでよう #即興小説 #おでかけ

          https://note.mu/yuuuuuiiiii/n/nae560f98bf3d ↑僕は、彼女とは反対に現代人は「匿名を恐れ」ていると思う。彼らは顔の「一部」を隠しているのであって、つまり、「隠しつつも見られたい」という曖昧な態度決定をしている。これは、「面倒に巻き込まれたくないが、評価されたい」という欲動。

          https://note.mu/yuuuuuiiiii/n/nae560f98bf3d ↑僕は、彼女とは反対に現代人は「匿名を恐れ」ていると思う。彼らは顔の「一部」を隠しているのであって、つまり、「隠しつつも見られたい」という曖昧な態度決定をしている。これは、「面倒に巻き込まれたくないが、評価されたい」という欲動。

          「拡散」は結局「大きな物語」へ向かう――「数-知」論

          「お、この記事いいな、いいね!しよ」「ワロタwwwRTwww」「やっぱ、XXXさんには共感です。鋭い」 日常的に起こりうる光景。こういう行為を見るたびに、資本主義的イデオロギーの蔓延と革命からの退却を感じざるを得ない。 なぜか。結局われわれは「記号・数値化された大きな物語」で世を埋め尽くそうとしているに過ぎないからである。 大きな物語とは、簡単に言えば、科学、哲学を基礎づける「知」。もちろん、リオタールが『ポストモダンの条件』でその終焉を告げているのだが、私からすれば、

          「拡散」は結局「大きな物語」へ向かう――「数-知」論

          ハッシュタグ「#お菓子」、即興小説をやりましょう!! ★即興小説について https://note.mu/complaindeer/n/n6ca1d0838df5 ★例 https://note.mu/complaindeer/n/n670303cf16ca

          ハッシュタグ「#お菓子」、即興小説をやりましょう!! ★即興小説について https://note.mu/complaindeer/n/n6ca1d0838df5 ★例 https://note.mu/complaindeer/n/n670303cf16ca

          ウイルスが潜む

          「何をしているの?」と彼は彼女に聞いた。彼女はスマートフォンを持っている。そして、手の中を真剣な表情で覗き込んでいる。 「ツイッター」と彼女は言う。ツイッター――この休むことなく生成される情報の壁、私たちの「リアル」じゃないリアルタイムを押し付けてくるタイムラインに、彼女は夢中なのだ。 タイムラインの構造、フォローした人物の情報によって構築される。フォローするか否かは、自身の裁量次第である。したがって、「自分の好きな人」の情報だけがタイムラインを流れる。 なんだって? リ

          小説家は小説に何を求めるのか?

          最近また、noteを利用する機会が増えてきたのだが、人それぞれ提供するコンテンツは当然異なるわけである。 その中で、小説を書くとプロフィールに記載している方々が多数おり、非常に興味深い。小説とは何か? もっと言えば、21世紀に小説を書くという決断はどこから生まれるのだろうか。 20世紀以来、われわれの感覚、とりわけ五感の中でも視覚が強烈な影響を受けて研ぎ澄まされてきた。言うまでも無く、写真の普及と絵画の発展、映画の登場からマンガやアニメまで……様々なヴィジュアル経験を通じ

          小説家は小説に何を求めるのか?

          即興小説 #買ってよかった2015 #Xmas2015

          「クリスマスだなー」と友人からラインでメッセージが届いた。だから私は「そうだね」と返した。 クリスマスといえば何を思い出すのだろうか。サンタクロースやトナカイは歌の中の生き物で、結局フィクションなのである。思い出すのは…… 金田一少年が解決した「赤髭のサンタクロース」。麻薬中毒のおじいさん。赤は血の象徴だって? それは殺人事件が「赤」を規定するために先行してしまっているだけだ。あいつは共産党だって!? そんなバカな! いつだって、政治を語りたがる奴は、事を単純にしたがる!

          即興小説 #買ってよかった2015 #Xmas2015

          「即興小説」ってやりたくないですか

          百番煎じでしょうが、「即興小説」なるものを提案したい。 ルールは簡単。以下をご覧ください。 (1)ツイッターやノート等、提供された・あるいは人気のあるハッシュタグを使用してお題を設定。これは、閲覧数を稼ぐためである。 (2)基本的にタグに沿った内容で書くこと。しかし、論理・整合性は重視しない。やっつけでもOK。 (3)文字数・時間だけは制限したい。文字数は1記事1000文字以上、制作時間は10分以内。これは、読む人・書く人ともに、苦痛を味わうためである。 以上です。

          「即興小説」ってやりたくないですか

          noteにも面白いクリエイティブはそこそこあるけど、私は「世に流行らないもの」しかキュレーションできないのが非常に残念だぜ

          noteにも面白いクリエイティブはそこそこあるけど、私は「世に流行らないもの」しかキュレーションできないのが非常に残念だぜ

          CINRAさん僕を雇って

          ・僕の記事 今年1月:リアクション3 https://note.mu/complaindeer/n/n938e97a14c9d ・塩谷舞産の記事 今年6月:リアクション700くらいhttp://ciotan.com/2015/06/14/internet/ 僕時代先取りしすぎクソワロタwwwwwwwwwwwwwww

          CINRAさん僕を雇って

          盗用されたい

          小説家の文章が「盗用」されたとして、問題となるのはビジネス的な権利関係ですよね。でも、面白い小説を継続して書くという点に注目すると、彼のスタイルが必要になるわけだし、その点に固執するのは小説家になるという偶然性をひたすら主張しているに過ぎないのではないだろうか。

          「人見知りなのでフォロー返しはしません」という人について

          そういう人がSNSをやるのは、まあオンラインでの知り合いとのコミュニケーションとして考えればありうる。 そういう人がブログをやってポストするというのは、“良いもの”を紹介したいという気持ちそれ一点のみでやってるのかな。その可能性について。 というか「人見知り」と「フォロー」の連結について考える必要もあるな。フォローの動機として人見知りが関わるのであれば、当然フォローからコミュニケーションが生まれるものだと想定される。 ところでTLがもっている時間性と、コミュニケーション

          「人見知りなのでフォロー返しはしません」という人について