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思考の強制終了も必要

何のために生きているのか、何のためにがむしゃらになっているのか。分からなくなる瞬間はふと訪れる。

止まってしまった足が動かない。喧騒が自分から切り離されたかのような感覚。夢中で没頭していた時には感じなかった寄る辺なさ。

そういう時は大抵疲れている。心の容量が悲観に占められている。悪い方、悪い方へと進む思考は止めた方が良い。思考に毒される場合も充分にある。

誰かと親密な関係にあっても、この空白は埋められない。自分が自分を癒やすしかない。

何事にも疑いの目を向けるのが大事であるのと同時に、何も目に入れない瞬間も必要。傷にそっと手を当てて目を瞑り、頭を空っぽにするのだ。

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