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つながりの中で創造していく

「怪獣ショボーンはショボーンなのに赤色なんですね。」

自分の中に在る様々な、一見、負であり、不快である気がする、でも確かに存在してる感情に私は名前を付けている。怪獣ショボーンとかライライラーとか、自分責め隊とか、まぁ、いろんな子たちがいる。

先日、ふと、怪獣ショボーンを描いてみたくなった。そして、出来上がった作品を先週、展示に出してみたら、冒頭のお言葉をいろんな方から頂いた。

「赤い強い感情。例えば、イライラして攻撃しちゃう状態とか、そういうものの根本に、私の場合は怪獣ショボーンがいたりするんですよね。例えば、夫と喧嘩するとき、タオルがちゃんと畳まれていないとか、そういう喧嘩のきっかけになる話は大した問題じゃなくて、それがきっかけで何かが爆発して 攻撃態勢に入るけど、紐解いていくと、その根本には“家のことに無関心で寂しいなー。一緒に向き合って欲しいなー!“という寂しい気持ちが隠れていることが多くて、それって怪獣ショボーンなんですよね。

怪獣ショボーンと遊んであげずに放置しちゃったら、真っ赤な攻撃したい気持ちが発生して怪獣ライライラーが現れる!!みたいな。描いているときは全く意識してなかったですけど、そういう意味があったのかも知れません。」

ある方との話の中で、気付いたら、そんな風に答えている自分がいた。

意味もなく、理由もなくショボーンとする時もあって、それまた怪獣ショボーンだから、必ずしも赤を纏っているわけじゃないかも知れないけど、でも、意味もなく、ショボーンとするときは、なんか血の気が引いていく感覚があったりするので、本能的にやっぱり赤を求めているかも知れない。

正直、絵を描いている瞬間はそんなこと全く考えていない。ただ、ただ、直感的に色を重ねていく。あ、ここに何か生まれそう、と、思ったら、描いてみる。そんな単純な動きで絵を描いている。今回だって、怪獣ショボーンを描いてみようかな、と思ったとき、描きかけの赤いキャンバスが目に飛び込んできて、「あ、ここにショボーンいるじゃん!!」と、すでにそこに存在していたショボーンに、私はただ輪郭を加えただけなのだ。

でも、展示会で絵画を鑑賞してくださっている方々とお話をしているうちに、作品の中にどんどん意味が生まれていった。今回はチャドクガとかカツオノエボシとか、毒を持った生き物を描いた作品もあったので「毒が好きなんですか?」とも聞かれたりしたのだけど、生きとし生けるものみんな、毒も蜜もあって、そして、生まれて、死んでいく、そんな風景を描いているのかも知れない、と気付いたりもした。

こうして、私の作品たちは、人との間で、つながりの中で、一度、完成する。そして、お迎え頂いた作品たちは、私の手を離れ、意図を離れて、それぞれの場でさらに育っていく。全く自分の思う通りにならない、この現象が私はとても好きで、好き過ぎて、何が生まれるのか、楽しみで、楽しみ過ぎて、だから制作活動はやめられない。

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3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎