阿部元総理 銃撃事件からの考察

最初に、阿部元総理のご冥福をお祈りします。
今回の出来事は心痛めるショッキングな出来事であることは変わりないのですが、それを「許せない。蛮行だ」とかそんな一言二言で片付けて過ぎ去ってしまうことの方が、損失だと私は思う。
このような出来事は、私たちがいつもの風景から一瞬でも足を止めて、内省する貴重な機会でもあることを忘れてはいけない。

それでは早速考察に入る。
事件から数日経つ段階で早くも、犯人の動機などが知られてきた。
動機としては、犯人(山上さん、以降、山上さんと記する。)の親が宗教により生活苦に追い込まれた。そこで山上さんはその宗教に対して恨みを持つようになった。結果としてその宗教と親交が深かった阿部さんを標的としたという内容だ。
 そしてその宗教の名は統一教会という団体ということだが、ここまでの大事に発展することからして、過去にも同じような問題を抱えているのだろうと容易に推測できる。
調べるとすぐに、統一教会被害者の会というワードがヒットした。
詳しい被害状況はこちらを参照してください。https://www.mag2.com/p/news/538254

そしてこの記事の文中のことが真実であるならば、見逃せない一文がある。
「いのうえせつこの『新宗教の現在地』(花伝社)には、菅義偉内閣の閣僚21名の中で次の9名が統一教会に近しいと書いてある。菅はもちろん、副総理の麻生太郎、総務大臣の武田良太、文部科学大臣の萩生田光一、防衛大臣の岸信夫、官房長官の加藤勝信、復興大臣の平沢勝栄、国家公安委員長の小此木八郎、デジタル改革担当の平井卓也。」

つまり、上記から見える事実としては、山上さんを生活苦に追い込んでまで注ぎ込まれたお金は、政治資金になっているということだ。
そのような関係値から見れば、山上さんを生活苦に追い込んだ一旦は阿部さんであるという主張は通っていると言わざる負えない。
いや、むしろ国民の税金で得られた知名度を利用して、一部の国民を不幸にしてしまったという事実を見れば、今回の出来事は自業自得と言っても過言ではないのではないか。

今回の事件を受けて、政治家の方は、民主主義への挑戦などと曲解した、または印象操作しようとするようなコメントを出しているが、動機を見ればこれは民主主義などとは関係はなく、個人的な恨みによる犯行ただそれだけである。

正しさよりももっと根底にあるもの。
阿部さんが行ってきたことは合法なもので国で裁かれるものではないだが、
しかし不幸を助長している行動であるのも事実であった。
そしていかなる時代でも、人に与えた不幸の総量が自分の人生を投げ売ってまで耐えがたいものになったとき、人は相手の命を奪おうとするのは、一般人だろうが、政治家だろうが同じである。
だから、自分の行動により誰かを不幸にしている人は、
1秒1秒と相手が恨みを募らせているのを忘れてはならない。
また今回の事件をきっかけに恨みを買われてる人は、自らの行を考えなくてはならない。
どのような行動があったとしても、そこに度を超える恨みというもの生まれることは、正しさではなく、「ただの邪悪」であるように思う。

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