野村克也、沙知代にみた夫婦あい

私が社会に出てすぐの頃だったように記憶してる、今はなき吉祥寺伊勢丹のプレタポルテのお店に配属されて、親ほど、親以上年の離れたお金持ちの方たちと小脇に汗をかきながら対峙していた頃、世間ではサッチーの愛称で親しまれ、その歯に衣着せぬ物言いが受けるのかテレビにバンバン出ていた野村沙知代さんが、懐かし映像でしか観たことないような’過去の人’にその悪行を暴露され世間から手の裏を返すように悪人扱いされていった。

私といえば、当時はまだヤングだったので興味はなかったけれどとにかくテレビをつければその話題でもちきりだし、売り場にいけばサッチー御用達のブランドの店長さんが、おかげで売上下がったわ!と怒り心頭だったのをよく覚えている。(サッチーはテレビに出る時たいていそこのお洋服を着ていた。)

そしてそのサッチー公開いじめの状況は日々白熱していった。これは不適切な言い方だけれど、サッチーの顔のシワの入り方が時代劇などによく出てくる悪役の人と同じ入り方をしていたのでそれがかなり不利に働いていたようにみえた。そして少しも臆せぬ(様に見受けられた)その態度もミセスたちの怒れるハートをがっちり掴んで離さなかった。

そしてそのミセスたちの額には「人の不幸はみつのあじ」と、くっきりはっきり書かれていた。(じんわり熱を帯びると文字が浮かび上がるタイプ)

それが芸能人だからなのか、なんのためらいもなく皆が悪口を言う。言われて当然、とばかりに。あの時のミセスたちの熱量は本当にすごかった。うまくエコシステムを作れれば東京のエネルギーくらい賄えたのではないかしら。

一方のサッチーはというと定かではないけれども私の印象ではだんまりを決め込んで段々と表舞台からフェイドアウトしていったのではないかと思う。別にわざわざテレビにでなくとも彼女にはきっと必要とされる場所がある、ただそれだけなのだろう。
興味ない、定かじゃない、という割に語るじゃないか、それになぜこんな古いはなしを?と思われた人もいるかもしれないけれど、私はよく夫婦というものを考えるときに時々このサッチー公開いじめの件を思い出す。

これは私の勝手な想像でしかないけれど、夫である野村克也氏は変わらぬ態度でサッチーの横にいたのではないかと。ひとこと「気にするな」くらいは言ったかもしれない。いや本当に妄想でしかないのだけれど、私の中ではそういうことにしていて、そこから私は

全世界が敵にまわっても、夫(妻)が味方なら、人は生きて行ける。

という学びをこの事件から得ました。
味方だということを妻(夫)が本当に信じることができたら、という条件付きですが。半ば強引ではありますが、でも本当にそう思うのです。

妄想強め、体感強めでお送りしました。

次回はジャガー横田編をお送りします。

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