寿命が三年延びた

コロナが騒がれだす少し前、日本に帰国したときのこと。
私は地元のバーで場所を少し貸してもらってアンテークを売っていて、普段はそこのオーナーに管理を任せっぱなしなので滞在中くらいはと思い、閉店間際までお店にいたときだったと思う。

帰ってゆく友達たちにハグをして別れた、またあおうね。気をつけてね。次に会えるの楽しみにしてる。

私とオーナーともうひとり、常連のおじさんがまだいた。そのおじさんはかれこれ20年くらい前からの知り合いで、当時の私はピチピチぎゃるだったけれど、そのひとはその時からおじさん然としていた。その変わらなさよ。

アラスカちゃん、ぼくにもハグして。

・・・・。

ふ、不意をつかれた。
だいたいその距離1.5M。脳内ででいろんな声が錯綜した。でも、
ハグってもんはためらってはいけないのだ。

わー!寿命が三年延びたわー!!

さ、三年。。。

意外とみじかい。。そう思ってしまった。
いや、いや、寿命が延びたと言ってもらえるだけありがたい。だって、彼は見た目はおじさんでも心は少年なのだから。齢40(当時)、やれやれ微妙なお年頃になってしまった。

今思うと、そこくらいから私の aging crisisがやんわりと幕開けしたように思う。二十代半ばで結婚し専業主婦、初めてでわからないことだらけの育児、夫は留守がちで気づけば名古屋、気づけばアメリカにいた三十代。社会とダイレクトに繋がっている夫や子どもたちの生活を環境にアジャストさせることが私の最優先事項だった。日々の忙しさにかまけて四十代を迎える心構えもないままに四十代を迎えてしまい、その事実に心がついていけていないとでもいうのかしら。別に歳を重ねることに抗おうとしているのではなくて、甘んじて受け入れるつもりなのだけれど、あまりに自分自身は何だったのか、何をしていたのかって(この年になっても)思っちゃうのだった。
つまるところ、妻でもなく、母でもなく、私自身としての立ち居振る舞いが気づいたら分からなくなってしまっていた、ってことなのかもしれない。

先にaging crisisって言ったけれど、たまたま育児の終わりがそろそろ見えてきたタイミングってだけなのかもしれないしそこはわかりようがない。今、息子がIdentity cricisを迎えていてやんわりめの思春期で、私も同時に二度目の思春期を迎えているような昨今です。
残念ながら、あの頃の透明感はないですけれど。





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