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有名人じゃなくても「人に教える」

人前に立つのは好きでも得意でもないが、思いがけず人から頼まれたことをキッカケに、今は自分の講座をつくり、自分のコンテンツで、人に伝える仕事をしている。

テーマは、コミュニティ、セミナー企画といったところだが、私がそれらの分野で著名でも、第一人者というわけでもない。でも、時にはそれなりの対価を頂き、仕事として人前に立ったり、アドバイスをしたりしている。

生来、能天気なところもあるが、一応それなりに工夫もしているはずだ。自身だけでなく、他に同様なことをしている人の事例もふまえて、誰でもできる考え方を整理してみよう。

発想の転換

「人に教えるためには一流でなければならない」

多くの人はそう勘違いしている。例えば、ショパンコンクールで優勝したピアニストが、小学生にピアノを教える先生として適しているとは限らない、といえば、直感的にわかるのではないか。

土俵ずらし

電通の新卒入社3ヶ月の新人が当たり前に習っていることが、ソニーに10年いた人間にとって、目からウロコの学びになることがある。そのように、自分の専門を、自分が普段戦っている業界ではなく、異分野の人向けに教えればいい。

私は経営企画とか事業戦略といった、一般的には、クリエイティビティより論理性が重んじられると考えられている経歴が長かったが、人を直感的に動かすクリエイティブの必要性を感じ、コピーライターの友人にお願いして、一般的なビジネスパーソン向けに、人を動かす言葉のつくり方を教える講座をやってもらった。

最初は「自分は人に教えるような有名クリエイターではないのだけれど」といった反応があった。確かに、宣伝会議のような学校で、プロを目指す人向けに教鞭を取るなら、そうかもしれないが、入門編の知識もない異業界の人々にとっては、曲がりなりにもプロとしてやっている人の知見は、十分価値があるのだ。

むしろ、自分達の業界や、素人の分からないところといった、聴衆のことへの理解が深い人の方が価値を感じてもらえる可能性がある。

提供価値のメタ化

土俵ずらしとセットになるのがメタ化である。例えば、コピーを広告の言葉と捉えるのではなく、本質的な価値を人に伝わるコンセプトにして人を動かす、と考えれば、その能力を必要とする人は格段に広がるだろう。

小学生向けの教材やDMをつくってきた、といえば教育サービス業にしか行けなそうだが、子供が直感的に理解し、アクションするような情報の構成ができる、と定義し直したらどうだろうか。そういった能力を必要とする仕事は?という観点で洗い出せば、かなりの範囲になるだろう。

局地戦

自分の専門分野でも、範囲をマニアックなくらい絞れば戦えることもある。サカゼンという特大サイズ専門の服屋が昔からあるが、全体から見ればマイナーな分野に絞ると、その分野に限れば、メジャープレイヤーにも勝てるようになる、というやつだ。

私はオンラインセミナーの企画・アレンジや体制構築を対価を頂いて教えているが、これもオンラインではないセミナーなら、先行して著名な人もたくさんいたのだが、たまたまコロナになったタイミングで、半月かそこら人より早くオンラインに着手しただけで、「セミナー企画xオンライン」という要素の掛け合わせで希少価値が一時的に生じたので、なんだかその道の人のようになっている。

あるいは「セミナーxコミュニティ」といったところもそうだが、得意なものを2つ3つもって、それを組み合わせ、ハマるところをうまく見つけると、他に同じようなことができる人がいないカテゴリを創造できるかもしれない。

熱と量

好きこそものの上手で量をこなし、質に転じる作戦だ。量稽古という言葉もあるが、たくさんやれば誰だって語れるくらいにはなる。漫然とたくさんやっても意味がないが、学校の勉強や部活の練習のような強いられてやるものならともかく、自らやるもので、目的も動機もなく、量をこなすことなどできないだろう。

モチベーションが内側から湧くなら行動の量も増える。自発的にやれているのは好きだからであり、好きなら人に言われなくても細部に神を宿そうと、考える量も増えるから、質も高まり、スキルも上がる。

ピカソや北斎や手塚治虫は大袈裟にしても、才能があるということは、量をこなしている、ということだと考えている。手前味噌ではあるが、2017年に未経験であったセミナー企画を早稲田大学の教員から頼まれた後、2019年には1年で200件、営業日でほぼ毎日のペースで実施したが、そこまでやれば、未経験でも大抵の人よりはできると言えるようになる。

発信

圧倒的に考えて行動していれば、方法論が洗練されていく。逆に、方法論が確立していなければ、質も量も出せはしない。考えながらやっていれば、必ず言葉にしている。書けるかどうかはその人の筆力にはよるが、話すことはできるだろう。中身のあることは、拙くても伝わるし、表面的な言葉は、文章が上手くても人には刺さらない。そもそも、思い入れがあれば、人に伝えずにはいられないのではないか。

結果、文字なり動画なり音声なり、あるいはセミナーでも、何かしら発信することになるだろう。それも数をこなしていれば、自ずと刺さるものが出てくる。

バズらなくてもいい。必要な人に届け続けていると、何かの拍子に向こうから声がかかることがあるものだ。打数と打率で喩えれば、打率を2倍にするのは至難だが、打数を10倍にするのは容易い、ということだ。

ご縁と共創

私はシステムの営業をやっていたが、案件とは既にあるものを競合して勝つよりも、案件そのものをお客さんと一緒につくり出し、他に競合がない状態で、取る方がよほど楽だし、やりやすいし、利益率も高い。

仕事になるかどうかなど考えず、一緒に考えて汗をかいていたら、思いがけず予算が取れたし、申し訳ないので、仕事としてお願いします、なんて仕事が降ってきたこともある。

そういったものはポッと出てくるわけではないので、ゆるやかな人のつながりを、手数をかけず無理はせず、仕組みを工夫してつくり、見返りを期待せずにGiveを継続していれば、信用残高が勝手に溜まって増えて、思いがけない時に配当がくる、なんてことがある。

あまり打算的に考えず、その人のために何かしたい人に囲まれ、役に立つようなことを続けていればいいのではないか。何もないかもしれないが、期待していなければ問題ないだろう。少なくとも、いいことをして、時々感謝されるなら、いい気分にはなれる。

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