ぼくがアインシュタインを好きな理由

ぼくはアインシュタインが好きだ。

アインシュタインは誰でも使える方法だけで世界を変えた。
アインシュタインは世界の全部が反対しても自分の戦争を戦い抜いた。
アインシュタインは孤独だった。

とても重要な引用

十代の頃、ぼくはアインシュタインを崇拝していた。天才だから、というのはもちろんだけれど、人柄がいかにも温かそうだからでもあった。(中略)けれども、そのような見方はやがて変わってきた。
アインシュタインといえども、完璧な人間ではなかった。それどころかどこか寂しげでさえあった。いろいろな意味で茶目っ気のあるひとだったけれど、本人は他人と深く親密にかかわったことがないことをはっきりと自覚していた。「私は真実『孤独な旅人』で、自分の国にも、ふるさとにも、友だちにも、一番身近な家族にさえも、心の底から属したことはない」と書いている。抽象の世界ではあれほど他人の身になったアインシュタインだが、
実生活では一番身近な人々にさえ妙なへだたりを感じていたのだ。

「ふたりの微積分 数学をめぐる文通からぼくが人生について学んだこと 
スティーブン・ストロガッツ著 南條郁子訳 岩波書店」

https://www.iwanami.co.jp/book/b263059.html

アインシュタインは孤独だった。
才能に恵まれ、家族や友人に恵まれてもなお、孤独を感じていた。
そのあまりに明晰な思考の鋭さは、
他人との隔たりを感じさせるには十分だっただろう。
今回はそんな話しをしようと思う。

アインシュタインは誰でも使える方法だけで世界を変えた。


あまりにも有名な方程式

E=mc²

E(エネルギー)、m(質量)、c(光速)。
これはエネルギーと質量の等価性に関する公式で、
とても大切そうなものが三つ。
この公式は、特殊相対性理論から一般化された。
特殊相対論は絶対的な空間や時間の概念を破壊した。
あまりの神聖さゆえに不可侵であったはずの、
ガリレオとニュートンの静止した宮殿のイメージを破壊しつくしたのだ。
少しおおげさに書いてしまったが、
実際にはニュートン力学を修正・拡張したというのが正しいだろう。
とくに時間が一定ではないなんでいまだに直感に反する事実だ!

とにかくこの発想の凄まじさを伝えたいのだがうまい方法が思いつかない。
アルキメデスとフェルマー、ニュートンとライプニッツの微積分。
コペルニクスは地球が太陽を中心に運動していることに気づいた。
マクスウェルは、電磁波に関連した方程式から
光の正体が電磁波であることを見出した。
先人たちが作った下地や、
実験結果が不可欠な要素であったのは間違いないが、
そのすべての段階で、発想と思考の飛躍が必要だった。

アインシュタインの特殊相対論のなにが特別だったか。
それは特殊相対論に必要な思考や数学の道具立てが、
簡単なもので成り立っているということだ。

特殊相対論の発想のスタートラインは
「自分が光を超える速度で移動したらどうなるか?」を考えることだ。
そこから発展する特殊相対論の主だったアイデアは、
数式を使わずとも思考実験だけでたどり着くことができる。

”考えること”はだれもが使うことのできる道具だ。

さらに踏み込んだ数学を必要とする内容も
高校生くらいまでの知識で読み解くことができる。
なぜアインシュタインはだれでも使うことのできる
簡単な道具立てで特殊相対論を積み上げたのか。

それはアインシュタインなりの世界への愛だと、ぼくは思う。

自分が小さな子供だった頃を思い出してみてほしい。
ひとりで外に出て、光り輝くような美しい世界を見て回ったあの日々を。
家に帰って、その美しさをあなたの大切な人に伝えるために何をしたか。
上手にはできなかったかもしれないが、
そのひとに伝えるための言葉を選んだはずだ。

アインシュタインは特別だった。
特別だったから、孤独だったのかもしれない。
自分が思考の中で飛び回って見てきた光り輝く世界を
できるだけ多くの人に伝えるには、
できるだけ簡単な道具を使う必要があったのではないか。

科学の基本的な哲学は、発見することにある。
創造するのではなく、もともとそこにあったものを見つけ出す。
そしてその発見を、自分が世界を切り取った方法を、誰かに伝えるのだ。

アインシュタインは自分のことを知ってほしかったかのではないか。
それは自分自身を愛することであり、自分以外のなるべく多くのひと、
つまり”世界”を愛することだ。

とにかく、アインシュタインが特殊相対論を
簡単な道具立てだけで積み上げたということは確かだ。

その姿は、ちいさな子供が母親を見上げる姿と重なるような気がする。
「ねえ、聞いてよ」と言いながら母の顔を見上げるその姿が、
ぼくを惹きつけるのだ。

アインシュタインは世界の全部が反対しても自分の戦争を戦い抜いた。

アインシュタインは2つの大戦に常に否定的な立場をとった。
ドイツに生まれたユダヤ人科学者であったアインシュタインは、
シオニズムを支援しその結果ナチスからの迫害を受けた。
ナチスがドイツ政権を獲得した翌年の1933年にアメリカに渡り、
1935年にはアメリカでの永住権を取得した。
著名になったのち、さまざまな政治的発言や活動を行っている。
しかし、アインシュタインは前述のように
国家やふるさとへの帰属意識が薄いことを告白している。
心から湧き上がる衝動に任せてというようなタイプではないと思えるし、
自分の社会的立場の役割を演じたというような印象を受ける。
アインシュタインがどういう社会的立場にあり、
その役割を背負ったのかを紐解いてゆこう。

アインシュタインが特殊相対論を発表したのが、1905年26歳のとき。
1914年に第一次世界大戦が勃発し、1916年に一般相対論を発表した。
1919年5月、第一次世界大戦の終戦の興奮も冷めやらぬなか、
アインシュタインの一般相対論の裏付けをする観測を行ったのは、
英国王立天文台アーサー・エディントンの観測隊だった。
アーサー・エディントンは、英国では無名だったアインシュタインと
その一般相対論を自国科学界に紹介し、
その正しさを実証するために国家間の科学的協同をもって尽力した。
ドイツ人科学者のアインシュタインの理論の立証のためにだ。
当時の国際的な情勢を考えれば、
この科学者たちの友情や情熱には頭が下がる思いである。

産業革命による大量の物資の投入と、塹壕戦での膠着した戦線により、
あまりに悲惨な結果を残したこの大戦では、科学も重要な役割を果たした。無線通信や電話、戦車や飛行機はそれまでの戦闘の在り方を一変させた。

でんぷんからコルダイト火薬の原料を工業的に生成するABE発酵法
(のちのイスラエル初代大統領 ハイム・ヴァイツマンによる)は、
連合国側の勝利に大きく貢献した。

フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが1906年にドイツで開発した
ハーバー・ボッシュ法
(化学肥料となる窒素化合物であるアンモニアを大量に安価に合成する)
は、増え続ける人口の深刻な食糧問題解決への大きな一助となった。
それを評価されフリッツ・ハーバーは、
1918年のノーベル化学賞を受賞している。
またアンモニアは火薬の原料でもあり、第一次世界大戦下では
英国の海上封鎖により硝石を輸入できないドイツに火薬を供給し続けた。

フリッツ・ハーバーは化学兵器である毒ガスの開発でもよく知られている。
第一次世界大戦開戦当初から、各国で実験投入された化学兵器だったが、
特に大きな成果をあげ世界にその効果を知らしめたのが、
1915年イーペル戦線でフランス軍に対して大規模に使用された塩素ガスだ。
フリッツ・ハーバーはアインシュタインの親友だった。

科学が大きな効果をもってその力を示したのが
第一次世界大戦であったと言えるだろう。
そんな時流のなか、科学者たちは発言力や影響力が大きくなり、
一流の知識人としてその言質が大きく注目された。

この時点でのアインシュタインの立場や思想を明確にする逸話がある。

1914年8月、民間人や非正規軍による戦闘に手を焼いていたドイツ軍は、
フランスルーヴァンでの占領の混乱のさなか
中世から続く美しい街と、大学とその図書館の貴重な蔵書25万冊を
燃やし尽くしてしまったのだ。
ヨーロッパ共通の貴重な文化が失われたことに、
世界中が怒りを露わにした。

1914年9月 「イギリスの戦争の擁護」ロンドンにて、
英国の代表的な作家が連名で出した声明。
コナン・ドイルやH・G・ウェルズも含まれる。

同10月4日「93人のマニフェスト」ドイツの知識人93人が発表した声明。
科学者や作家などあらゆる知識人たち93人の連名。
ドイツの戦争行為を正当化する内容。

同10月16日「ドイツ帝国大学声明」ドイツの大学人3000人余が署名。

同10月21日「ドイツ大学人への返答」大英帝国の大学人117人が連名。

立て続けに、ドイツや英国の知識人たちが今回の戦争における相手の非、
自らの正当性を主張したのだ。
一方アインシュタインはというと、
英国・ドイツ双方の知識人たちの行動にとことん失望した。
もともと一般相対論の検証のための観測が戦争のために滞り、
いらだっていたアインシュタインだが、
敬愛してやまない知識人の友人たちが、戦争に熱狂し国粋主義に傾倒、
対立しあう姿が残念でならなかった。

アインシュタインは、
友人のゲオルク・フリードリッヒ・ニコライが書いた宣言に署名した。
その内容は戦争そのものを批判し、
ヨーロッパ全体の共同をもって難局を乗り越えようといったものだ。
ヨーロッパのほぼすべてが国粋主義に傾倒してゆくさなか、
それは勇気が必要で危険な行動であった。

1914年10月「ヨーロッパ人への宣言」
ゲオルク・フリードリッヒ・ニコライ(アインシュタイン含む4名の連名)

この宣言はベルリンの知識人の間でほとんど無視された。
無理もない、戦争の熱狂や狂乱、そこから生まれる共同体への帰属意識。
情報時代の現代ならまだしも、
1914年のこの時期にぼくは戦争を批判できただろうか?自信がない。
ましてや科学が社会的な力を急速に拡大しているなかでだ。
この宣言までは、政治的な発言をあまりしなかった、
というよりはあまり興味なさげであったアインシュタインだが、
これ以降には皮肉やウィットに富んだ政治的発言を数多く残している。

このアインシュタインの屈強な意思の強さは、
心頼もしいような気もするが、
反面あまりに人間離れしたような精神の寒々しさをも感じる。
自立と孤独は別物だが、心の中ではそれが溶け合っているようで、
そこがぼくがアインシュタインを尊敬する要素の一つでもある。

さて先述したように、一般相対論のある予言を裏付ける観測のためには
国際的な(文字通り世界を股にかけた)観測が必要不可欠だった。
「ヨーロッパ人への宣言」より前に、戦争がアインシュタインを苛つかせた最大の原因がこれだろうとぼくは考えている。
戦争が続けば、観測を行うのは困難だからだ。
ある予言というのは「重力が光を歪ませる」ということだ。
大きな質量(すなわち大きな重力)を持つもののそばを通過した光は歪む。
地上からの観測でその結果が得られそうな十分な質量をもったもの、
それは太陽だ。
太陽が出ているとほかの天体の光の観測はできないので、
日食のときに行う必要がある。
タイミングと場所、それと人的や物的な資源がそろわなければならない。
荒れた世界情勢の中それができる人物や機関は限られていた。
英国王立天文台アーサー・エディントンだ。
エディントンは平和主義の宗教上の理由と、
科学への貢献を理由に兵役を免除されている。
暴力行為そのものを否定する立場にあったとはいえ、
国立機関の責任ある人間が、
敵性国家だった科学者の理論を実証するのである。
この二人の物語は、現代社会に生きるわれわれにも多くの教訓を伝える。
第一次世界大戦直後の英国人科学者とドイツ人科学者、
ひいては科学そのものの物語である。
アインシュタインとエディントンの友情、
それぞれが戦い抜いた戦争に関しては、
「アインシュタインの戦争 相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか マシュー・スタンレー著 水谷淳訳 新潮社」
が詳しい。


1916年一般相対論から100周年に 
LIGO レーザー干渉計重力波天文台(LIGO科学コラボレーション)が
一般相対論が行った予言のひとつ重力波の検知を発表した。

LIGOは総額6億2000万ドルをかけた「世界最大の重力波施設」で、
中性子連星やブラックホールが回転しながら衝突するときに生まれる
重力の波を検知する装置だ。
ごくごくわずかな重力の揺らぎをとてつもなく大きなレーザー干渉計で
測るもので、LIGO科学コラボレーションおよびVirgoコラボレーションが2015年に検知した重力波は地球から13億光年離れた二個のブラックホールが衝突・合体した時のものであるらしい。すごい。

重力波とその検知装置の歴史などについては以下の書籍が詳しい。
「重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち 
ジャンナ・レヴィン著 田沢恭子・松井信彦訳 早川書房」


アインシュタインは孤独だった。

特殊相対論にしても、国家主義への反発にしても重要となるのは、
独立した個人の視点だ。
相手の立場に立つこと、相手と自分の違いを混同しないこと、
それを徹底した先にアインシュタインの目線がある。
アインシュタインが人情味のない人間だったかというと、
それは間違いだと誰もが言うだろう。
ではなぜ、アインシュタインは他人(ほかの観測者)の立場に立つことに
こだわり、発見したことを平易な方法で伝えることにこだわったのか。

とても重要な引用

アインシュタインといえども、完璧な人間ではなかった。それどころかどこか寂しげでさえあった。いろいろな意味で茶目っ気のあるひとだったけれど、本人は他人と深く親密にかかわったことがないことをはっきりと自覚していた。「私は真実『孤独な旅人』で、自分の国にも、ふるさとにも、友だちにも、一番身近な家族にさえも、心の底から属したことはない」と書いている。抽象の世界ではあれほど他人の身になったアインシュタインだが、実生活では一番身近な人々にさえ妙なへだたりを感じていたのだ。

「ふたりの微積分 数学をめぐる文通からぼくが人生について学んだこと 
スティーブン・ストロガッツ著 南條郁子訳 岩波書店」

引用の発言は、孤独であったことの表明ではないだろう。
単純に「わたしは寂しい」というメッセージだとぼくは思う。
こんな回りくどい表現をしたのは、
アインシュタインが大切だと思えるひとたちに囲まれていたからだろう。
自分を大切に思ってくれているだろうひとたちを前に「わたしは寂しい」は相手を傷つけかねない。

なぜ自分が孤独であると感じるのか。
それを解決するためには、自己と他者を相対化し、
違いを埋めるための一般理論を確立しなければならない。
=(等号)をはさむ二つの式は、等しい。
表現の仕方が違うだけだ。
その理論を大切なひとたちに理解してもらうのだ。

もともと世界に内包されている理論を発見する。
まずそこにとてつもない喜びがある。
だれもまだ見つけていないものであればなおさら喜びは大きい。
そしてそれを一般化する。それが科学の基本的な哲学だ。

「こう考えれば、ぼくのこと(この世界のこと)を理解できるでしょう?」
分かり合いたいと思うのは、その相手のことが好きだからだ。

その基本的な哲学にぼくは共感するのだ。

ぼくはなんとか、ぼくが見つけたことを伝えたい。
この世界は輝くような機会と、美しいものでいっぱいだ。
悪いものもたくさんあるけど、もっとも美しいものはここにある。

アインシュタインも同じような気持ちだったのではないか。
ぼくらは孤独かもしれないが、この世界をとても気に入っている。

そういった理由で、ぼくはアインシュタインが好きなのだ。

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