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いつもと違う特別なことに、いつもと同じであって欲しい、という矛盾めいた感情

こんにちは、コニファーです。

早いものであと数日で今年も終わりです。

大晦日といえば、紅白歌合戦
と思う人は随分少なくなったような気もしますが、それでもなお、年末恒例のイベントとして、出場歌手はニュースに取り上げられ、楽しみにしている人も多いのではないかと思います。

我が家は紅白を見ないのですが、それでも、旧ジャニーズのタレントは、今年は出ないらしい、なんてことが話題にのぼったりします。


その紅白歌合戦は、今年で74回目だとか。
なんと、74年も変わらぬスタイルで続いているんですね。
女性は紅、男性は白という、多様性の時代においてもなお変わらぬイメージカラー
勝敗を気にしている人は、ほとんどいないにも関わらず、紅白の対決という図式
話題になったタレントを起用しつつも、年配の方も楽しめるように、演歌歌手も多数配置した出演者構成

細部の変化はあれど、基本的な構成はずっと変わっていません。
(決して批判しているわけではありませんので、誤解のないように…)

紅白が好きな人には、このスタイルでいてくれることに、大きな意味があるのでしょう。
変わってしまうと、きっと残念に思うはず。

では、特に好きではない人たちは、変わって欲しいと思っているかというと、意外とそうでもないのでは?と思ったりします。

もし、「紅白」じゃなくて「黒緑」になったり、
イマドキの若いアーティストばかりになったら、
そこにきっと違和感を覚えて、
これはもう、あの「紅白」じゃなくて、全く別のものと捉えるのではないでしょうか。
(文字どおり紅白じゃなくなっていますがw)


それはつまり、
年に一回のイベントという日常からの”変化"として特別視していながら、
同時に、「紅白」っていうのは、こういう番組という定義がはっきりしていて、そこに毎年"変わらない"同じ姿を求めているという、
なんとも不思議な、矛盾めいた感情が、我々人間にはあるということかなと思いました。

うちの犬猫たちを見ていると、彼らには特別な日なんてないことにあらためて気付きます。
むしろ、同じ毎日を繰り返すことによる安心感が大事だったりもします。

動物として、いのちの安全を担保するために、いつもと同じを求める本能的な部分と、
人間として、"変化"という刺激を求める部分が、共存しているんですね。

人間って面白いなと、あらためて感じた次第です。



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