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なぜ離婚したのか⑯

今日も心が赴くままに書いてみる。食事会の準備~終わりからまさに離婚へのカウントダウンだった。

2人の食事会の主役は式の代わりだからもちろん2人が主役だ。食事会も2人が中心となって準備すべきだ。ただ、やたらと義理の両親が熱心に会場に足を運んで打ち合わせをしていることに気づき、不思議に思ったころ、義理の両親が言った言葉にまたあきれてしまう。

「食事会の準備をするように息子に言ったら、“忙しい”と断られた」

と、、、

2人は週末婚で、平日は仕事で一緒に準備は難しいけれど、週末何かすることは可能だ。主役たちは何もしないで、上の息子からの一言で文句も言わず、行動する両親。お客さんの帰りのお土産(引き出物みたいなもの)は私が選んだが、その注文書を書く際にも黙ったまま、親にさせようとする旦那を見て、さすがに

「自分たちのことなんだから、自分で書いたら」

と旦那に向かって言った。

こんな息子なのに昭和初期の家なので、新郎新婦代表のあいさつは、旦那がすることに。きっと今まで生きてきた中でほとんど人前でのあいさつの経験はなかったろうに・・・

「明日のあいさつは大丈夫?」

と前日両親に聞かれていたが、

「うん」

と不機嫌そうに答えるだけ。旦那のこういう態度が一番嫌いだった。自分がきちんと言わないから分からず両親が聞くのに、中2の反抗期のように40過ぎたおっさんが不機嫌に答える。飛び蹴りしてやりたくなる!

彼の食事会でのあいさつは予想以上にひどかった。

「本日はお忙しい中お集りくださり、ありがとうございます。まだまだ未熟な2人ですが、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。」

みたいな、くだらない、お祝儀返せ!っていいたいくらいの定型2文だけで終わった。これなら、だれでも本番数分前に考えてできる内容。こんなことなら、私がでしゃばって、両親への手紙でも読めばよかったな。全くつまらない食事会でわざわざ来てくれた義理の妹やいとこ、おばさんたちに本当に申し訳なかった。

その後、交通事故→初夜となる。私にとってはこの1日だけで離婚するには十分過ぎる内容だった。忍耐が足りないって言われるのかな。でも、とにかく私の人生に「つまらない」ことは時々あるのは仕方がないけど、結構大きなイベントでこんなに「つまらない」とは思わなかった。そして、結婚したばかりで、私こそ旦那に似てきて受動的になっている自分の行動にこのときには気づいていなかった。

この日から約3年半は長かったなー

今日の内容はいつもに増してつまらなくてごめんなさい。どうか、反面教師にしてください。

続く

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