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ノッポさん、しゃべる。

リモートワーク23日目。

長い間使っていなかったサーフボードを引っ張り出してみたら、知らないうちにテールが割れていたので、ずいぶん久しぶりに自分でリペアしてみた。傷の周辺をヤスリで削りテープでマスキング、クリアレジンにパウダーを入れて硬化剤を垂らしてぐるぐるかき混ぜてそのままパテのように傷を埋めて、40分くらい放置。ある程度固まったら番手の小さな紙やすりから順番に使い、表面を滑らかに削っていく。

作業を始めて約3時間。うん、我ながらかなりいい出来だ。すっかり満足した僕は、テラスでサーフボードを眺めながら、ビールを片手にamazonで新しいサーフボードケースを購入する。

ああ、なんて素晴らしい充実感。少しだけハードルが高い作業を「自分でできる」ってことは、こんなにも気持ちいいことなんだ。

もう10年近く前くらい、ポートランドのライフスタイルが注目されたりして世の中がDIYムードで溢れているときには、そのムーブメントが僕の日常とどうやってもうまくリンクするイメージが湧かず一歩引いて見ていたのだけれど、今頃になってその楽しさを少しだけ理解できた気がする。

そうか、これって子供の頃の感覚だ。経験も知識も少ない子供にとって、日々の生活はいつだって新しい「体験」で満ちていた。自転車に乗れるようになることだったり、よっちゃんいかでザリガニを釣ることだったり、あるいはお父さんのタバコのおつかいを任されることだったり。今の自分が「ちょうど乗り越えられそう」に見える絶妙な高さのハードルを、あれこれ工夫しながらなんとか乗り越える。そんな感じの小さな成功を繰り返し体験することができていたから、毎日はあれほどみずみずしく充実していたんだと思う。

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「できなかったことができるようになる」って、こんなに素敵なことなんだ。そういえば小さい頃、「チューリップハットのノッポさん」が僕のスーパーヒーローだったっけ。教育テレビで放送していた「できるかな」って工作番組で、退屈したり遊びたがってばかりいるゴン太くんのために、ノッポさんが段ボールやセロテープだけで遊び道具を作る。ありふれた材料がみるみる魅力的な遊び道具に変わっていくプロセスは、まるで魔法みたいだった。

以前は「サーフィンすること」が重要な目的だったから、リペアは「ああ面倒くさい」って感覚だったけど、少し視点を変えて見たら、これほど楽しい時間はない。「自分でつくる」ってことは「自分でできる」ってこと。それってつまり、自分の小さな成長を実感できるってことだ。時間にゆとりができたおかげで、今頃になって DIYの楽しさを理解できた。

ところで「できるかな」最終回で突然ノッポさんが言葉を発したのは、かなりの衝撃だった。すでに僕はずいぶん大人になっていたけど、「しゃべるノッポさん」をしばらくの間、どうしても受け入れることができなかったのだった。

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