6.Believe your 鳥肌

気温は28°C、透き通るような青い空は南国にいる事を実感させる。日陰は一瞬涼しいかなと感じる程乾燥しているのだが、ひとたび日向に出ると日射が肌に突き刺さる。サングラス無しでは眩しくてコックピットウィンドウから外を見ることが出来ないだろう。

初めてのTAXINGは想像以上に難しい。
ラダーペダルで方向を操作するのはハンドルで運転する車と全然違うのだ。
誘導路上の真ん中の白線の上を進むのは至難の技だ。コツを掴む間もなくRunway横に到着する。

"Line-up and wait"
の指示が管制官から来る。

センターラインにアラインしてる事を確認する。
エンジン計器の針はアナログ計器らしくブルブル震えているが全てグリーンラインの中に入っている。

「いよいよ初めて離陸するんだ」と思うと少し指先が震え心拍数が上がった気がした。
アドレナリンが出ている証左だ。

鳥肌もののこのワクワク感、堪らない。

管制塔からテイクオフクリアランスが来る。若干の横風らしい。

Cessna172のスロットルはノブを押し込む形だ。

「初めはゆっくり、エンジンの回転が落ち着いたらスムーズに押し込んで。さあ行こう!」とインストラクター。

ゆっくりとスロットルノブを押し込んでいく。力強くプロペラが回転する。
この騒音はヘッドセット無しでは85dBは下らないだろう。

Cessnaが離陸滑走を始める。

勝手にラダーペダルが動くのはインストラクター側のラダーペダルと連動しているためである。

真っ直ぐ進むように踏んでくれているのだ。

スロットルをフルパワーまで押し込むとみるみるうちに風景が流れていく。全ての計器の針が時計回りにグッと回る。

たった150馬力ちょっとの飛行機でさえ当時の僕にはとてつもなくパワフルな乗り物に乗っている気分だ。

「よし、引いて。」
という落ち着いた声のインストラクターの合図で操縦輪を手前に引っ張る。

下に押さえつけられる加速度を感じながら地面からタイヤが離れるのが分かった。
振動が静かになる。

「私は力入れてませんから、今あなたの力で離陸したんですよー。」とのこと。

案外あっさりだった割に自分の力で離陸したと思うと感動だった。

Tumonから北東に向かって飛び、恋人岬を見下ろし南へ反転。白とベージュの海岸線が綺麗だった。
グアムの南側は森林地帯と海岸線に道路があり一気に大自然になっていて、いつかレンタカーかバイクで行ってみたいなと思った。

これが俯瞰するってことなのだろう。

「パイロット、目指してたんです。」とインストラクターに言うと途中で操縦特性の説明をしてくれてラダーペダルだけで旋回したりさせてくれた。他にも乗って試してみない事には分からないような飛行機の挙動を沢山教えてくれた。
ずっとしゃべり続けてたと思う。それでもインストラクターはペダンチックではなかった。とにかく飛行機を触って楽しめということのようだ。
おかげで後席の人はかなり酔ったらしいが僕はそっちのけで楽しんでいた。

最後はタッチアンドゴーまでしてくれた。
僕には最高だったが「間も無く降りられる」と思っていたはずの後席は大変だっただろう。

30分ほどで僕の初フライトは終了した。この経験は大きな転機だったと思う。

◆◆
僕は就活を4月で終えていた。とても運良く会社に拾って貰えた結果、まさかの超大企業に内定する事となった。

周りからはとても祝福されていたため、まあ世界中飛び回るパイロットがよかったけどこっちの道も安定していていいのかなと半ば納得していた。

そんな時、5月の連休に友人達と就活終了祝いでグアムに来ていたのだ。

H.I.S.の超格安プランで、往復の航空券を入れても4万円以下だった気がする。
それからすると1万円くらいする体験フライトは安くないが『体験』しておかないと後悔すると思ったし、『飛行機の操縦って思ったよりも面白く無いな。大変だな。』という感想が持てたらいいのに、とすら思っていた。
つまり諦めるためにCessnaに乗ったのだ。

◆◆
夜、海岸バーベキューで食欲を満たした後はDFSの方に歩いて行く。
「オニーサン、射撃ドウ?」
と流暢な客引きをあしらいながら喧騒を抜けOutrigger hotelの1階にあるバーに行く。

大学生のプチ贅沢だ。
曲名を書いた紙をチップと共に渡せば即興で演奏してくれるミュージシャンたちの音楽が場を盛り上げている。

みんなでBBQをワイワイやるのもいいが、少し大人な雰囲気の所に行ってみたかったのだ。

「で、セスナはどうだった?あんな酔う飛行機で訓練なんてパイロットは大変だねー、、タッチアンドゴーはマジで勘弁。」と友人。

それでも写真を沢山撮ってくれていたことには今も感謝している。次回は「アネロン」を飲んでから乗ってもらおうと思った。

「それが思ったよりも面白くて…」

「え、じゃあ社会人になってからお金貯めつつグアムに来てとる感じ?いいじゃん!ライセンス取ったら乗せてよ!」
と他人事な友人。

まあ他人だから仕方ないのだが。

僕が天秤に掛けてるのは大企業に勤めながら休みでライセンスを取る趣味の延長のような選択肢ではなかった。

投資信託のポートフォリオに組み込まれる様な大企業への就職と、パイロットとしての人生とを天秤にかけていた。
多分このまま会社に入ってしまえば僕はそこの居心地良さに満足出来てしまう人間なのだ。

実際、大学受験では拾って貰えた第二志望の大学でも大変満足していた。
そして結果的にはバイクを通じて色んな人に出会えて視野も広がり色んな仕事に興味を持てた。偶然にも東さんに出会ったりしたから人生で初めて熱中できる『パイロットになる』という目標も1度はできた。

同じ様に、きっと企業に入れば入ったで楽しく過ごせるに違いない。内定者もアツい奴ばかりだった。

しかし、心からそれがしたい事かというと違うのは直感で分かっていた。
やっぱり飛びたい。Cessnaの経験は、僕の期待とは反対にその気持ちをより強くした。

詩人ジャン・コクトーの言葉「青年は決して安全な株を買ってはならない」は余りにも有名だが、僕にとっての安全な株とは間違いなく今大企業へ就職することだ。
絶対に僕は東証一部企業にいる、という現状にささやかなプライドを持ってしまい休日返上でお金のかかるライセンスを取ることはしないだろう。周りと一緒にゴルフとか別の趣味を楽しむに違い無い。自分の事は自分がよく分かる。

東さんの座右の銘を思い出す。
「Believe your 鳥肌」
鳥肌は嘘はつかない。自分がやりたいことを貫く、という東さんの考え方なのだ。

僕の周りの人はよくいい言葉をくれる。

正直グアムでCessnaで飛んだ後、僕の中で選択肢は決まっていた。

◆◆
多分今までの人生で1番大きな決断だったと思う。
僕は内定を辞退した。

自費でライセンスを取る事にしたのだ。挑戦しなかった時間はお金では取り返せない。時間、もっと具体的にいえば人生は有限なのだ。

先の就職活動で日本だけでなく海外のパイロットのキャリアに関してはある程度調べ上げていたつもりだった。

技倆を伴ったフライトタイムと英語。

この2つに加えて健康な身体さえあればパイロットの世界ではやっていける。国内外で働くパイロット皆が言う。ポジショントークでは無いと確信できるくらいの異口同音を聞いてきた。

ここから、本当に自分の頭で考えながらの道が始まった。

不安が無かったわけではない。

僕の家庭は普通の公務員家庭。家族はもちろん親族でも民間企業の人はほぼ居ないので航空関係で働くこと自体完全に未知の世界だった。「夜勤」や「シフト」という言葉すらただの「不健康そうな響き」ぐらいにしか感じなかった。

だからこそ、色んな所に赴いて色んな人の話を聞いて自分の思考や価値観を変えていった。

足で稼いだ情報以外はゴールから遠のくノイズである。

周りは言う
「航空業界はイベントリスクが大きすぎる。」

「飛行機なんてほぼ自動で飛べるんだからパイロットなんて職業もいつまであるか分からないよ。15年後にはかつての『馬車の運転手』みたいな状況になってるかも。企業でマーケティングやってた方が潰しがきくよ。(僕は理系だが海外に行きたかったので広報とマーケティングを希望していた)」

「自費でライセンスを取っても就職があるか分からない。」

◆◆
悪く考えることは簡単だ。
上述の話は全てパイロットを目指してない人からの言葉だった。
心配してくれて有難う、を通り越して「そんなになって欲しくないのか?」と思ってしまうくらいだった。

航空業界はこの先20年のアジアの需要を考えても伸びる分野だ。1機当たりの必要クルーは20人。アジアへの新造機は14000機以上でGDPの成長率は4%を上回る。
単純に考えてもアジアだけで30万人近くの新たな運航乗務員が必要だ。日本に拘らなければ絶対に職はある。

さらに10年後導入の新機材の減価償却期間10年を考えても、少なくともあと20年は業界の形態は変わらない。

と、僕は当時考えていたし今ではさらに2030年位まではパイロットは飛行機に乗ると考えている。10年以内に貨物機からまずワンマンにはなるだろうが。
ATCは副操縦士ならぬATC係のSiriかgoogleに任せておけばいい。

そして飛行機よりも早く安全に移動できる手段は海を超える場合、固定翼の他に無い。

マルチコプターはラストワンマイル用であって長距離向きではないしハイパーループは海を越えないだろう。

◆◆
「うちは自費でもライセンス取れるから、よかったらこのパンフレット持って行ってよ!いつか旅客機までステップアップして乗せてくださいね!空はいつでも待ってますから!」

と言っていたインストラクターの人は今どうしているのか。

まさか今僕が推力換算値で数十万馬力の旅客機の訓練をしているとは思っていない思うが、本当に乗って貰えたらなと思う。

名前は忘れることは無い。僕と同じ名前なのだ。

◆◆
『技倆を伴ったフライトタイムと英語と健康な身体。』これはパイロットの絶対のキーワードだと思う。

あと、やはり企業が雇う年齢的な事を言うと自衛隊で飛んでた人を除いて新たに挑戦するなら30歳未満というのがよく言われる話だ。
しかし制限は自分で設けるものではないのであくまで参考としての人の話。

挑戦するかしないかはその人次第。
航空業界での安全の定義は
「リスクが許容されている状態」を言う。

許容出来るリスクは取るべきだと思う。だから人は空を飛ぶ。目的地に徒歩で行く安全性より、早く移動する代わりに堕ちるかもしれないというリスクを取れると判断しているからだ。

パイロットを目指すにあたってのリスクは訓練中に着陸に失敗して大怪我をするようなリスクを想像してる人は稀で、日本の場合、就職が無かったらどうしよう、というリスクを想像してる人が大多数だと思う。
なぜならこの道に進むのは人口比で数%のマイナーな道だからだ。ロールモデルが無いと不安になるのは僕もそうだったからよく分かる。

だからこそ足で稼いだ情報が重要になってくる。

忘れてはならないのは、飛行機に乗っても普段は見えないがパイロットという職業は必ず存在するし、実際なってる人も存在する。
そしてスーパーエリートではなく、ごくごく普通の人間であるということだ。
なれないと思えばその人の世界観の中ではなれないことになってしまう。その逆も然り。

レーシックといった身体検査の項目も見直され始め、欧米のフライトスクールを見ていても身長の規制なんてアジア位だし、フライトでオートパイロットをうまく利用することを認める様々な航空法は規制の緩和が続いている。
裾野は間違いなく拡がってきている。

ピーター・ドラッカーは言う。『成果とは何かを理解しなければならない 。成果とは百発百中のことではない 。百発百中は曲芸である 。成果とは長期のものである 。すなわち 、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである 。それは 、見せかけか 、無難なこと 、下らないことにしか手をつけない者である 。弱みがないことを評価してはならない 。そのようなことでは 、意欲を失わせ 、士気を損なう 。人は 、優れているほど多くのまちがいをおかす 。優れているほど新しいことを試みる 。 』

自分の判断が間違いかもしれないし正しいかもしれない。

迷っているならそれは51%と49%の差ぐらいだろう。自分の選択が49%を選んでいたとしても、迷っている時間を浪費する位ならそれを100%にするために僕は時間を使いたいと思った。

いま選び得る選択肢を洗い出さねば。

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