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リュートのアレゴリー(寓意)

ヨーロッパの絵画には、リュートが実に様々な場面で描かれています。

以前の記事でご紹介したスケッチの類は別にして、ある絵画にリュートを登場させる場合、画家たちは対象そのものを描くのが目的ではなく、しばしば抽象的な概念も含む、何か別の意味をも持たせることを意図していました。

美術用語でそのことを一般的に、アレゴリー(Allegorie)と呼びます。
古代ギリシャ語での「アレゴリア」は「別のものを語る」という意味を持つそうで、なるほどそう言われてみると、語源の点からも納得です。

文章を書く行為に対応づけると、「アレゴリー」まさに「比喩」に近いかもしれませんが、日本語ではもっぱら「寓意」と訳されてきました。

リュートのアレゴリーの例は様々ですが、ここでは16~17世紀の絵画から、特に代表的なものを挙げてみることにしましょう。

以下、ちょっとした「絵解き」の世界へようこそ!

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↑  バルトロメオ・マンフレディ『四季の寓意』(1610頃製作、デイトン美術館所蔵)

「Allegory of the Four Seasons」という題で、米国の美術館に展示されている絵。当初からこの絵にこうした名前がついていたわけではありません。
しかし絵を見る側にとっては、どの人物がどの季節に対応しているかは、あまりにも自明だったのでしょう。

直感的に分かっていただけるでしょうが、こういう対応関係になります。

春:薔薇の冠をかぶり、リュートを奏する女性。
夏:胸を露わにしてこちらを振り返る女性。
秋:「春」に手を抱えて、接吻する若い男性。
さらにブドウの冠をしているのが見えます。
冬:厚着して、寒さに凍えているように見える老人の男性。

「四季の寓意」ということですから、各季節同士の関係も触れておかねばなりません。
「秋」は「春」と「夏」に対して手を差し伸べていて、「夏」も「秋」に手を伸ばしています。
一方、「冬」は輪の中に入りたくても入れないでいる、といった様に描かれています。
「春」は、リュートを演奏しているがために両手が塞がっているので、ある意味でされるがままです。しかしリュートから生み出す音楽の力によって、愛が生まれるという風に解することは可能でしょう。

テーブルの正面に並べられた果物や野菜は、もっぱら「秋」が旬のもの
これらをどう解釈したものでしょうかね?

そして「冬」が明らかに老人になっているとこから、人生のサイクルを季節のそれになぞらえたという説もあります。

となると、男性はまだまだ性欲旺盛な「秋」から「冬」に向けて、一気に老け込んでしまうということでしょうか・・

まあ、この絵についてはこの辺で留めておきます。
この手の絵解きには、「これが絶対!」という答えはないけれども、説明すると大多数の人が納得する解釈というのは、確かに存在するはず。

続いて、こちらの有名な絵に移ります。

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↑  ハンス・ホルバイン『大使たち』(1533年製作、ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵)

テューダー朝の祖、ヘンリー八世の命令により描かれた絵とされますが、実際に描かれているのは王の姿ではなく、2人の外交官(ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴ)。

下の部分に引き延ばされて描かれる髑髏(どくろ)は、一度見たら忘れられない強烈を印象を我々に与えます。

ここで注目したいのが、我々の楽器リュート。
まるで実物と見まがうほどの精巧さで描かれています。

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よく見るとリュートの弦が一本だけ、弦がぷつりと切れています。
これは何を意味するのでしょうか?

「弦が切れている」→「本来あるべき音がない」→「調和を欠いた状態」
これが、弦の切れたリュートに対するアレゴリーでは常套手段と言えます。

逆にリュートの弦が完全に揃っていれば、それはルネサンスの理想とも言うべき、「調和」の理念を表すのです。

この絵についての、さらなる「絵解き」については、こちらの本の導入部分で、分かりやすく、かつ詳しく書かれていますので、ぜひ一度お読みになっていただければと思います。


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↑ ジェリー・ブロトン『はじめてわかるルネサンス』(ちくま学芸文庫)

先ほどの『大使たち』が、当時のルネサンス世界のあらゆる側面を凝縮した絵であることが、この本を読めば大いに納得してもらえることでしょう。

ちなみに、ロンドンのナショナル・ギャラリーに実際に行ってこの絵を見ると、その精緻さにも驚きますが、絵自体の大きさにも圧倒されます。
ナショナル・ギャラリーに限らず、英国の主要な美術館はこうした至宝を所蔵しながら、一般に無料で公開しているのは、太っ腹としか言いようがありません。まさに「文化的余裕」を感じます。

今度はフランスにある美の殿堂、パリのルーヴル美術館の所蔵品から、リュートの寓意に関わるこれまた有名な作品をご紹介しましょう。
長らく、ジョルジョーネ作『田園の奏楽』として、紹介されてきたものです。 

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↑ ジョルジョーネ(ティッツィアーノ?)『田園の奏楽』(1509年頃製作、ルーヴル美術館所蔵)

ルーヴル美術館の公式データベースでは、この絵の作者をティッツィアーノとしています。
作者に関する議論はひとまず置いておき(といっても、西洋美術史上かなり重要な問題ではありますが)、早速絵解きを行ってみましょう。

構図としては、リュートを弾く男性がほぼ中心に来ています。
しかも最初の絵画の「春」の女性のように半裸ではなく、ちゃんと着衣の上、草むらに直接座って楽器を持っています。

この男性の右手は、リュートの弦から離れています。
つまり音はまだ出ていないか、出した後の状態。
向かい合う半裸の女性が手にしている笛も、明らかに口から離れていて、音が出ているように見えません。

水差しを持って水を注ぐ女性の他に、やや質素な服装(しかもたぶん素足)の男性もいて、リュートを持つ男性と何やらおしゃべりしているようです。
さらに背景の羊飼いも入れて、人物は計5人。

この絵を、単なる「田園の奏楽」の一風景を描いたものと見なす意見は、ほとんどありません。むしろ古典的な解釈によれば、「古代ギリシャからの伝統に基づく、詩歌(しいか)の寓意」だそうです。

その説に従うと、生まれたままの姿に近い女性たちは、詩人や歌い手たちが詩や歌を生み出す際の源泉となる「理想の美」を、実際の形に表したもの。
そして男性たちは、2つある詩歌のジャンルを表している、というのです。
すなわちリュートの男性はその服装から、宮廷をはじめとする高貴な場で披露される抒情詩を、対照的に楽器も何も持たない質素な服装の方の男性は、より世俗的な抒情詩を表している、と解されるわけです。

これらのバックボーンにあるのが、ルネサンス時代に圧倒的な影響力を誇った、古代ギリシャのアリストテレスによる著作『詩学』です。

現代でも「リュート=吟遊詩人」のイメージでよく語られるのは、元をたどると、このあたりに行きつくのかもしれません。

またこれとは別の解釈もあります。
つまり、ここでの羊飼いを除いた4人の人物は、いわゆる四大元素(火・空気(風)・水・土)のアレゴリーになっているというもの。
これらが同時に描かれるということは、各元素の相互の関係性によって生み出される世界の調和も描かれている、ということにもなります。

だとすると、4人のほぼ中央に据えられたリュートはここでも「調和」を表すのではないでしょうか。

しかし・・水差しを持つ女性が「水」、笛を持つ女性が「風」は良いとして、では「火」と「土」はどこに対応づければ良いのでしょう?
男性は2人とも、地面に座っているという点ではともに「土」になりえますが、だったら手前の笛の女性だって、同じことになるわけで・・かろうじて、服が赤いリュートの男性の方が「火」で、服が茶色っぽいもう一人の男性が「土」かな、とややこじつけの感も否めない解釈になってしまいます。

「火」とリュートを持っている人、というのがそもそもリンクしにくいという難点もあり、やはり私にとっては、最初の解釈の方がより魅力的に思われます。

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特に15世紀末から17世紀の前半にかけて、リュートは寓意的な意味を伴って、たくさん描かれました。

先ほどの「四大元素」しかり、詩歌の概念しかり、いわゆる「常識」または「知識の核」が当時と今ではまるで異なってしまっている以上、当時の人たちと全く同じようにはいかないにしても、みなさんも時おり自由な発想で、これらの時代の絵画を前にして、思い思いの「絵解き」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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