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雑誌『Early Music』創刊から半世紀!

さて、2023年も残すところ少なくなってまいりました。

個人的に今年は、公私ともにいろんなことが起こりすぎて、年明けから順に起こったことを振り返る余裕すらないというのが正直なところですが、せっかくなのでもっと大きいスパンで、今年を象徴する出来事を一つご紹介することにします。

私の専門であるヨーロッパの古楽と呼ばれる分野で、最も権威ある学術雑誌と見なされている『Early Music』(アーリー・ミュージック)が、1973年の創刊から、今年でちょうど50年を迎えました!

こちらが雑誌『Early Music』の公式サイトです。

古楽に従事する人で、この雑誌を知らない人はまずいません
どれほど知られているかというと、科学の分野に当てはめたら雑誌『ネイチャー』のようなもの、だと言えば伝わるでしょうか。

そして当雑誌の出版元は、天下のオックスフォード大学出版局(Oxford University Press、略称 OUP)。


オックスフォード大学出版局の本部。今年7月に現地で撮影したものです!

『Early Music』に論文や書評が載るのは、音楽学者にとってはこの上ない栄誉とされています。
我々演奏家の方も、新譜の音盤や演奏会のレビューがここに載ってようやく、その方面で「一人前」と見なされるのかもしれません。

『Early Music』は創刊以来季刊誌で、現在は2・5・8・11月に新刊が出ます。
特に今年の5月号では、創刊からの半世紀の歩みを振り返る特集企画がなされました。
過去の主だった号を一堂に並べた表紙は圧巻です。

『Early Music』2023年5月号表紙

『Early Music 』が扱っている音楽の範囲が相当広いということに、この表紙のラインナップを見て気づかれると思います。

今ではより対象が細分化された音楽雑誌、具体的には中世音楽のみ、ルネサンス音楽のみ、はたまたオルガン音楽のみ、宗教音楽のみ、家庭音楽のみ・・または、音楽と美術または文学に特化した雑誌なども続々出ているものの、古楽の総合学術雑誌としての『Early Music』の優位は当面揺るぐことはないでしょう。

ここに掲載される論文は厳格な調査・査読を経ているので、基本的には学術的に信頼に足るものだと言えます。自分と同時期に留学していた音楽仲間が、既に複数回ここに論文を載せていたりするのを見ると羨ましくもあり、また同時に自分とは違うフィールドだなと思いつつ、最新号が出るたびに必ず一度は手に取るようにして、なるべく「旬の」情報を得るようにしています。なかなか全ては追いきれませんが・・

さて、そんな『Early Music』の創刊号はどんなものだったのでしょうか
ありがたいことにこれだけ権威のある雑誌ですから、欧米でも日本でも、音楽大学の図書館にはよほどのことがない限り所蔵されています。

気になって勤務先の音大の書庫にある『Early Music』の棚の端に手を伸ばしてみると・・ありました!

『Early Music』1973年の創刊号を含む、4冊の合巻。

最初の年に出た4冊はとても薄いもので、後に(おそらく1年後に)新しい表紙を付けての合巻となったようです。
しかも、愛の営みをしている男女をリュート弾きが傍で見守っているという大胆な構図ではありませんか!

調べてみると、この素材の元ネタは私の住んでいるバーゼルで16世紀の中頃に出た木版画だということが分かりました。
この後になると、雑誌の表紙に使われる絵は現物のコピーになったので、こうして一部を取り出して新たにデザインしたものはレアです。

1973年といえば第一次オイルショック勃発の年ですが、翌1974年には『Early Music』の定期購読者のリストが発行されます。
これまた、音大の図書館で現物を見つけました。

『Early Music』1974年発行の定期購読者リスト。

要するに個人情報のオンパレードで、約半世紀前のものといってもその中身をここで公開するわけにはいきません。

・・それでもちょっと、気になりませんか?

「創刊号から日本に定期購読者はいたのだろうか?
もしいたとしたら、最初の一人は誰?」

ちょっとしたミーハー心も手伝って、国別の購読者リスト中のItalyとMalta(!)に挟まれたJapanの項目を見てみると・・
ただ一人だけエントリーした方の名前を発見!

S.Nakagawa氏なる人物、それはこの方以外に考えられないでしょう。

今も頻繁に更新されている、ご本人のブログのタイトルは桑名市民ならではの命名(!)で、これはもう間違いありません。

そこで、現在も中京地区を中心に演奏活動を続けておられる中川氏に直接連絡をとってみてお話を伺うことにしました。

以下は、ご本人の承諾のもと掲載する内容ですが、創刊当初のいきさつは以下のようであったようです。

確か創刊号を持っていた記憶があるのですが、探してみましたら1976年の10月号しかありませんでした。もう50年近く前のことなのであまりはっきりとは覚えていませんが、古楽の雑誌が創刊されたとのことで購読を希望する連絡をしたのだと思います。ただ、実際にはお金を送っておらず定期購読はしていません。

1974年当時はまだ大学生で、ちょうどその年の11月が人前でクラシック・ギターを弾いた最後となりました。まだ爪を伸ばしていましたがすでにバロック・リュートも弾いていました。その頃は大英博物館(現在では大英図書館)やオックスフォード大学図書館など、Ernst Pohmann著『Laute, Theorbe, Chitarrone』などで調べられる限りの図書館に手紙を出してマイクロフィルムコピーを集めていた時期でした。もちろん今もそれらの資料を使っています。そういった時期にEarly Music創刊を知ったのです。ただ定期購読するとは連絡をしたものの実際の送金手続きなんかが面倒だったので実際には購読しなかったのかも知れません。

というわけで、半世紀前はけっこう鷹揚な時代だったのですね・・それでも、中川氏がこのリストに唯一日本人として記載されている事実は変わらないわけで、しかも半世紀経ってなお現役のリュート奏者として活動されているということがまた尊い!

半世紀前の日本の先達が、ヨーロッパからリュートの楽譜や資料を取り寄せる苦労は、今では想像もつきません。特に後半は貴重な証言ですね。

中川氏は、バーゼル・スコラ・カントールムにリュートで留学された経験があり、つい最近にはこちらの労作を自費出版されました。

ジョン・ダウランドの息子、ロバート・ダウランドの編纂によるリュート教本にしてリュート曲集、『Varietie of Lute Lessons』 (1610)の全邦訳です。

原典はこちらからどうぞ。
リュートに関わる人々にとっては、まさに必読の文献です。

私はこの資料を、実際のレッスンでも頻繁に使ってきたのですが、何ぶん原典資料はシェイクスピア時代の英語で書かれているので、専門用語も含めて読解に苦しむ点が多くありました。

中川氏は英語教師・教材作成者としての長年の知識・経験に、リュート奏者としての実践的な側面を反映させつつ、じっくりと時間をかけてこの重要資料の全訳に挑まれ、ついにこのたびの出版となったそうです。

私は今回の『Early Music』の件でお話を伺うのに先立って、ご本人からこの邦訳本を購入させていただきました。
その際にいただいた内容説明も、参考までに転載させていただきます。

献呈の辞などの前文、ジャン・バティスト・ブサールによる論文、ジョン・ダウランドによる論文、曲集からなる原書における全ての英文を日本語に翻訳しました。2つの論文においては約90項目の詳細な脚注および考察をつけ、曲集では印刷ミスの訂正、修正案、および脚注をつけました。

本書の内容は極めて興味深いものです。ブサールの論文ではリュートを始めるに当たっての心構え、左手・右手の技術的規則、装飾音に関する考え方などが述べられており、またダウランドの論文ではガット弦に関する考察、フレッティングに関する数値的理論などが述べられています。なお本書は私のブログで82回に渡って連載しました翻訳に大幅加筆修正を加えたものです。また原書におけるレイアウトもできる限り尊重しました。

本訳本はA4サイズ全86ページ、本文は90kgの用紙(コピー用紙70kgくらい)、表紙は110kgのクラフト紙、プラスチックリング綴、厚さ約6ミリです。

プロ・アマ問わず、リュートを弾く方はこの訳本を持っていて絶対に損にはなりません

ご購入は、上記の中川祥治氏の公式サイト内のコンタクトフォームからどうぞ。

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